大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」より、
心の病の張本人−「不安」と「怒り」を紹介します。
☆
心の病の背景にある、大きなものが「不安」です。
私たちは、不安になると、物事を客観的に見ることができなくなります。
また、不安になると、合理的・合目的的に行動できなくなります。
不安が小さくなると、客観的に見られるようになり、
合理的な行動ができるようになってきます。
ですから、私たちの中にある不安が、
様々な心の問題を引き起こしている張本人だと言えるのです。
☆
さらに、不安が問題なのは、「怒り」を引き起こすことです。
不安が大きくなると、だんだんイライラしていきます。
そして、そのイライラが臨界量に達すると、
誰かに怒りをぶつけるようになります。
そして、怒りをぶつけたあとは、
嫌な気持ちになって、落ち込んでしまいます。
☆
この「不安」と「怒り」が様々な問題を引き起こしてくるのです。
ですから、心の問題を解決しようと思えば、
この不安と怒りについてよく知る必要があります。
では、不安と怒りはどのようなものなのでしょうか。
そして、不安と怒りは、なぜ起こるのでしょうか。
さらに、不安と怒りを小さくするには、どのようにしたらよいのでしょうか。
☆
まず、不安とは何かを考えてみましょう。
不安は、心の問題や病気の大きな要因になります。
不安自体は、堕落前から存在していたものです。
『原理講論』の中には、次のような記述があります。
「エバはルーシェルから、創造目的に背いた
ということに対する良心の呵責からくる恐怖心を受けた」
という一文です。
私たちは、神様から良心を与えられています。
その良心に背くとき、不安を感じるようになるのです。
不安とは、
「何か悪いことが起こるような気がして落ち着かない状態」を指します。
良心は、理性よりも先に善悪を判断し、警告を与えてくれます。
ですから、本来、不安自体は、
私たちを正しい道へと導いてくれるための警鐘なのです。
☆
しかし、堕落により、心の知情意のバランスを崩すとともに、
環境が悪なるものとなってしまったため、
不安は良心作用として働くばかりでなく、
変質して心を蝕(むしば)むようになってしまいました。
ですから私は、本来神様から与えられた良心作用による不安とは区別して、
この不安を「何か悪いことが起こるのではないか、
という根拠のない思い込み」と定義しています。
私たちの心の問題を引き起こす不安は、根拠がない思い込みなのです。
根拠があるものであれば、その根拠を客観的に見て、
合理的に解決していけばいいのです。
☆
しかし不安が大きくなると、そのように解決することができません。
このまま、こんなことをしていて大丈夫なのだろうか、とか、
大変なことになってしまうのではないだろうか、などと感じて、
居ても立ってもいられない気持ちに巻き込まれます。
不安になると、何とかしなくてはと思い、行動します。
不安に駆られるという状態です。
このような状態の時の行動は、多くの場合、あまり良い結果を生みません。
なぜなら、先に述べたように、不安が先に立つと、
客観的に物事を見ることができなくなり、
合理的・合目的的に行動できなくなるからです。
☆
また、不安に巻き込まれると、何もしなくなり、
身動きできなくなることもあります。
周囲から見れば、きちんと対応しなくては大変なことになる、
と思われるようなときでも、本人は何もせず(できず)に、
周囲だけがやきもきしていることもあります。
この場合には、不安により
現実を直視できなくなっている状態、と考えられます。
☆
どちらにしても、不安が高まると、客観的に物事を見ることができなくなる、
あるいは合理的・合目的的に行動できなくなる、
ということは理解していただけると思います。
このように、不安は心の問題や病気を引き起こす厄介者ですが、
不安が不安のままでいてくれないということが、もっと大きな問題です。
不安が大きくなると、イライラしてきます。
つまり、不安は怒りに変わるのです。
この怒りは、不安よりももっと厄介なのです。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
☆
続きは来週お届けします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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