2019年04月23日

「不安」は根拠のない思い込み、しかし「心の問題」に発展?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」より、
心の病の張本人−「不安」と「怒り」を紹介します。


心の病の背景にある、大きなものが「不安」です。
私たちは、不安になると、物事を客観的に見ることができなくなります。
また、不安になると、合理的・合目的的に行動できなくなります。

不安が小さくなると、客観的に見られるようになり、
合理的な行動ができるようになってきます。

ですから、私たちの中にある不安が、
様々な心の問題を引き起こしている張本人だと言えるのです。


さらに、不安が問題なのは、「怒り」を引き起こすことです。

不安が大きくなると、だんだんイライラしていきます。
そして、そのイライラが臨界量に達すると、
誰かに怒りをぶつけるようになります。

そして、怒りをぶつけたあとは、
嫌な気持ちになって、落ち込んでしまいます。

 
この「不安」と「怒り」が様々な問題を引き起こしてくるのです。
ですから、心の問題を解決しようと思えば、
この不安と怒りについてよく知る必要があります。

では、不安と怒りはどのようなものなのでしょうか。
そして、不安と怒りは、なぜ起こるのでしょうか。
さらに、不安と怒りを小さくするには、どのようにしたらよいのでしょうか。


まず、不安とは何かを考えてみましょう。

不安は、心の問題や病気の大きな要因になります。
不安自体は、堕落前から存在していたものです。
『原理講論』の中には、次のような記述があります。

「エバはルーシェルから、創造目的に背いた
 ということに対する良心の呵責からくる恐怖心を受けた」

という一文です。

私たちは、神様から良心を与えられています。
その良心に背くとき、不安を感じるようになるのです。

不安とは、
「何か悪いことが起こるような気がして落ち着かない状態」を指します。

良心は、理性よりも先に善悪を判断し、警告を与えてくれます。
ですから、本来、不安自体は、
私たちを正しい道へと導いてくれるための警鐘なのです。


しかし、堕落により、心の知情意のバランスを崩すとともに、
環境が悪なるものとなってしまったため、
不安は良心作用として働くばかりでなく、
変質して心を蝕(むしば)むようになってしまいました。

ですから私は、本来神様から与えられた良心作用による不安とは区別して、
この不安を「何か悪いことが起こるのではないか、
という根拠のない思い込み」と定義しています。

私たちの心の問題を引き起こす不安は、根拠がない思い込みなのです。
根拠があるものであれば、その根拠を客観的に見て、
合理的に解決していけばいいのです。


しかし不安が大きくなると、そのように解決することができません。

このまま、こんなことをしていて大丈夫なのだろうか、とか、
大変なことになってしまうのではないだろうか、などと感じて、
居ても立ってもいられない気持ちに巻き込まれます。

不安になると、何とかしなくてはと思い、行動します。
不安に駆られるという状態です。
このような状態の時の行動は、多くの場合、あまり良い結果を生みません。

なぜなら、先に述べたように、不安が先に立つと、
客観的に物事を見ることができなくなり、
合理的・合目的的に行動できなくなるからです。


また、不安に巻き込まれると、何もしなくなり、
身動きできなくなることもあります。

周囲から見れば、きちんと対応しなくては大変なことになる、
と思われるようなときでも、本人は何もせず(できず)に、
周囲だけがやきもきしていることもあります。

この場合には、不安により
現実を直視できなくなっている状態、と考えられます。


どちらにしても、不安が高まると、客観的に物事を見ることができなくなる、
あるいは合理的・合目的的に行動できなくなる、
ということは理解していただけると思います。

このように、不安は心の問題や病気を引き起こす厄介者ですが、
不安が不安のままでいてくれないということが、もっと大きな問題です。

不安が大きくなると、イライラしてきます。
つまり、不安は怒りに変わるのです。
この怒りは、不安よりももっと厄介なのです。


大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り



続きは来週お届けします。





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posted by ten1ko2 at 09:08 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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