李ヨハネ先生のベスト・アンサー、
今回は珠玉のみ言、
栞をはさんで、何度も読み返したい内容です。
信仰がない人も、あると思う人も、
よく祈れない人も、祈れる人にもお勧めします。
『意識が集中できず、祈りに起伏があるのですが』
に対する回答です。
☆
祈りやすい時は、何か公的に尽くした基準で、祈祷ができるのです。
生活に対してふまじめな時は、祈祷ができないのです。
与え、尽くすという心がない人は、祈れないのです。
祈れる人は、悲しい人、苦労する人を自分のように思える人なのです。
☆
祈祷は自分のことではしないのです。
絶対に私のために祈るのではなく、人のために祈るのです。
その人の苦労を自分が痛感したその時には、
それは一人の苦労だけれども、兄弟の苦痛となる。
☆
それを考えれば、神も大先生(真のお父様)も
イエス様もみな、気の毒な方であったのです。
一人の問題が自分の問題のごとく思ったその種が、
神様の苦しみにまで繁殖するから祈りができるのです。
だから、涙はどういう時に出るかというと、
目の前の人を愛したのちに、
大先生は私たちのような人間を担当して苦痛を受けたか、
神様はどれほど
信じられない人間に対して摂理され、どれほど苦痛だろう。
そこまで神を慰めたくなるのです。
☆
だから私は、
「なんでもかんでも祈祷せよ」とは言わないのです。
何かにぶつかった時に、「ために」暮らしたいと思っても、
思うようにいかない時、祈祷せよというのです。
神様が憐れんでくださるからです。
人間関係と同じで、相対基準が立たないと、祈祷しづらいのです。
心を閉じていると話が通じないし、
神様の心のドアを開けられる実績をもたないといけません。
☆
祈祷は報告なのです。
これからこう暮らしたいと願うのです。
自分で考えるよりも、神様がこう願うから、
このように生きたいと報告するのです。
いつも神に報告して委ねていくのです。
すると神様は、危ない時に主管してくれるのです。
☆
聖書にもあるように、日曜日に礼拝に出るのが神のみ旨です。
その日に行くために、日曜日には火事や戦争が起こらないように、
祈祷しておけというのです。
前もって報告し、お願いしておくのです。
日曜日は聖日です。
その日はいつも頼んでおくのです。
私たちはみ旨を勝利しようとするのですから、常に頼んでおく。
するといつも守られるのです。
私は、一カ月に一度の地区長会議には、大先生にお会いしているのです。
その時に事故がないように、いつも祈っておく。
そういう時に、いつも参加できない人がいるのです。
あなた方も三年間の信仰を積んで、
一生に一度の祝福の日に出席できない人がいるのです。
悔しいことです。
事故が起こったり、反対する両親につかまったりしてです。
☆
生活の中で、常に神に尋ねてみるのです。
そばに相談して教えられる人をおいていると、神は干渉しないのです。
一人ぼっちの所へ開拓に行った人は、いつも霊界が干渉します。
大先生と共にいる人は、全然霊界のことを知らないのです。
私たちの教会の食口より、他の教会の霊通者が、
大先生の価値を、天の秘密をもっと知っているのです。
☆
兄弟を貴重に思って、苦痛を共に祈祷しなさい。
主体者と自分との関係をいつも分かって、祈祷するのです。
起きる時、顔を洗う時、服を着る時、自分がやると思ってはいけない。
観念的ではなく、神と共に暮らしているという生活に、
情的に生まれ変えさせなくてはいけません。
☆
最初、私たちも訓練しました。
「何も知らない人々と、共に風呂に入ることを条件にしてください」
バスに乗る時も、席がない時、お父様の席を考えていると
パッと他の人が立って席があくとか、道を歩く時、
右側は大先生が歩いていると思うのです。
それが慣れたら神と共に暮らすという実感をもつのです。
家を出る時の三歩は必ず思い、御飯を食べる時の三回は必ず思い、
そのうちに基準が立てば、初めは私は神のものだと思い、
慣れれば自分が自分でないという実感をつかむのです。
☆
先生が御自身のことを「先生」と言われるのは、
自分でないからです。
自己否定ということは、大事なことなのです。
☆
今から50年くらい前の草創期の頃のみ言だと思われますが、
「祈祷は報告なのです」と語られています。
今私たちが、報告祈祷を捧げていますけれど、
ヨハネ先生は、すでに悟っておられたのだと思います。
そして、祈りを深めるためには、
心情から入っていく、ということ。
もちろん、神様や真の父母様の心情に通じていれば、
深く祈ることができると思うのですが、
心情が遠かったとしても、
心情が近い人のことを思っていくと、
天に通じる祈りができる、
ということなのだと思います。
そして、日常生活でも、
自分自身を神の宮として、貴く思うこと。
改めて、心がけていきたいです。
ヨハネ先生、貴重なアドバイス、ありがとうございました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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