李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「草創期の先生と私」
とても貴重な証しです。
☆
草創期に先生が憲兵や警察を避けて回っていた時は、
先生がおじけづいてそうされるのだと思いました。
しかし過ぎてみると、おじけづいたのではなく、み旨が重要だと思い、
神のためにそうされたのだということが分かりました。
そのように逃げては再び集まって礼拝すると、
「韓国がしがみついて、文先生を殺そうと押しかけてきても、
私が死にさえしなければ勝つのであり、
世界が先生ゆえに風を起こそうと、
私が死にさえしなければ私の前に負けるのだ」
このように語られたりしました。
☆
凡一洞(ポミルドン)の谷にいながらも、大きな話ばかりされました。
将来は人々があまりにも押し寄せてくるため、
ジェット機に乗って逃げなければならないとか、
世界旅行をするのも、一文もなしにできるようになるとか、
「李牧師、あなたも一等で歩めば、
将来世界のどこにいるのか分からない一等の食口の家に行くようになり、
二等の食口になれば、世界の二等の食口の家に行くようになるのだ」
こういうみ言を語られながらも、憲兵隊が来れば、
なべや瀬戸物の器をみな投げ捨てて逃げていきます。
そのようにして帰ってみると、
警察が所帯道具をすっかり持っていってしまっているのです。
大邱でも何回も所帯道具をすべて失ってしまいました。
そういう時節に信じることができたでしょうか?
☆
その時の私の願いとは何だったかというと、
まず家でも一軒買って、先生の部屋を一つ造り、
礼拝堂でも一つ造って看板を掛けることでした。
貸家に隠れて通い、礼拝を受けるので人々が一層疑いました。
しきりにうわさが立ちました。
平壌から来た文なにがしという青年が、教会でよく信じる
教会員ばかり引き抜いていくといううわさが立ちました。
事実、よく信じる人たちが啓示を受けて来るので、
引き抜いてくるみたいでした。
ですから、他の人たちが聞けば疑うのは当然です。
堂々と看板でも掛ければ、それほどでもなかったでしょう。
それで、私の願いは家を買って看板を掛けることでした。
☆
そのようにしたのならいいのですが、
先生はお金ができるとよく使いはしても、
家を用意する考えはもたれませんでした。
私には理解できるはずがありませんでした。
ただ来る人ごとに服を買って着せてあげました。
男性が来ると、洋服を買って着せ、
女性が来ると高級なチマチョゴリを買って着せて、
恨を解いてあげられました。
その日に稼いできたお金を、その日に全部使ったりされるのですが、
私は横にいながらも意図が分かりませんでした。
過ぎてみると「ああ、あの期間には、
先生の財布に一文もあってはならなかったんだなあ」
ということが理解されたのですが、
その時は一言のみ言もなくそのようにされるので、
理解ができませんでした。
☆
先生はその時既に神の悲しみを知っておられ、
「世界が自分を追い詰めるならそうしたらいい、
世界が追い詰めてきた時は、私が父の恨を解いてさしあげるのだ」
こういう覚悟で暮らしておられたので、逃げていって座っても、
泰然自若としてみ言を語られました。
私たちなら再び捕らえられるかもしれないとおじけづき、
心配になって精神が曇り、み言がよく語れなくなるでしょうけれど、
先生は前後左右をすべて知って出遭う事件なので、
毅然としておられました。
☆
その時私には十分に理解できませんでしたが、
今は凡一洞で語られたことがたくさん成されていくのを見て、
本当に驚くべき方だなあと、いまさらのように感じられます。
私も今まで信じると言いつつも驚き、悩み、
心配になる時が多かったのですが、
過ぎてみると神の心配は考えもせず、
自分の心配が先立ったからだなあと悟るようになりました。
「み旨による私だ」
このように言いながらも、
自分の事情による役目をより多くしていたということです。
職員修練会での説教
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所
☆
草創期、お父様は引っ越しを
たくさんされていたことは聞いていましたが、
このような事情があったことは、初めて知りました。
食口たちには、事情を言うに言えなかったことは、
お父様としてはあまりにも歯がゆくて歯がゆくて、
本当に仕方がなかったと思います。。。
しかし、教会の看板もかけることができない、
そのような生活をせざるを得ない、
蕩減の期間があったのだと思います。
そして、将来のことも、大きな基盤ができることも、
目に見えるようにわかっておられたので、
毅然としておられたのだと思います。
どんな時にも、「生きた神様がともにある・・・」
そのことを確信されながら歩まれた真のお父様でした。
今こそ私たちも強い気概をもって、
立ち上がらないといけないのだと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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