2019年11月16日

四大聖人ですら、天国に行けていない?! それでは・・・ 《浅川先生の霊界シリーズ》



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浅川先生の霊界シリーズ
今回は、「天国に行くための幸福の原理」です。


幸福の原理は、それを実践したならば、
間違いなくこの世で幸せをつかむことができ、
天国に入ることができるという内容でなければなりません。

原理というのは、永遠不変の法則であり、原則です。

人間が自然の原理を発見し、日常生活に応用することによって、
豊かな生活ができているように、
この世で幸せになり、あの世でも幸せになることのできる、
そのような「幸福の原理」が必ずあるはずです。

それを発見し、実践することによって、永遠の幸せをつかむことができるのです。


この幸福の原理を最も深く探究し、
涙ぐましい生涯を歩んだのが四人の聖人の方々でした。

イエス・キリスト、孔子、釈迦(しゃか)、ムハンマド(マホメット)、
この四大宗教の開祖の方々は、
数え切れないほど多くの人類の中で、最も本性の基準が高く、
涙ぐましいほどに人間のこの世の幸せと来世の幸せを祈願しつつ、
その道を探し求めていかれたのでした。

その四大聖人の解き明かした内容が、もし幸福の原理そのものであるとすれば、
この四大聖人の方々は、自分の教えを最も深く実践されたはずですから、
間違いなく、天国に行けたはずです。

しかし、霊界の実相、霊界の様相、霊界の様子を学んでみると、
この四人のうちのだれ一人として天国に入ってはいないのです。
また、その弟子たちも天国霊界にいる人は一人もいません。

孔子や釈迦は楽園ではありますが、楽園の下流層であり、
また愛と罪のない生涯を歩まれたイエス・キリストも、
天国ではなく楽園の最上層であるということを私たちは知りました。

四人の聖人のいずれも、自分が天国に入ることができなかったのです。

すると、この四大聖人が公表した様々な教えというものは、
天国に行くための幸福の原理の部分的なものであり、
原理そのもの、すべてではなかったということです。


それでは、この幸福の原理とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

四大聖人でさえ発見することのできなかった幸福の原理、
これが見いだされ、明らかにされ、
多くの人がそれを実践できるようにならなければ、
今後もだれ一人として、天国に入ることができないのです。

したがって、幸福の原理はどこにあり、
だれが発見するのかが、まず大きな問題になるのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第八章 天国への道筋
天国に行くための幸福の原理


誰もが死んで霊界に行くのですが、
誰も天国にいない、という事実。
特に、四大聖人が天国にいないというのは、
衝撃的なことなのではないでしょうか。

御自身も真理であることを確信して、
み言を伝えたにも関わらず、
天国に導くことができなかった恨があると思います。

地上でお母様が精誠を尽くされている中に、
お父様をはじめ、絶対善霊、天使天軍が見守る中に、
激しい役事が起こっている時ですが、
四大聖人たちもどれだけ切実であるか、
そのように思います。

ですから、宗教の壁を越えて、
真の父母様に侍るときを迎えているのだと思います。
多くの宗教指導者たちが、大会に参加し、
祝福を受けるという、奇跡が起こっている今、
霊界の協助があると言わざるを得ませんね。

そして、そのような状況を見ながら
恨の心情を胸に抱いて、
彼らの身代わりに立っているのが私である、
そのような自覚を持っていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 11:27 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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