2019年12月15日

傷だらけの人生──それは「我」が多いから?! 空気のような愛を 《浅川先生》



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真の家庭祝福祝祭および平和祝福式 (2019.11.29)
ニジェール・ニアメ Palace of Congress☆


今、私の心の中には
小さな傷一つ残っていません。
真の愛の前にあっては、
傷など何でもないのです。

文鮮明先生の自叙伝より☆


浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「悪なる心を断ち切る真の愛」です。

個人的にも、お勧めの、とても深い内容です。
では、どうぞ。


この(怨みなど)悪なる心を断ち切らない限り、幸福にはなれません。

幸福とは、愛する心、愛を感じる心、感謝する心、素直な心、謙虚な心、
そしてすべてに責任を取ろうとする心から生じます。

では、どうしたら悪なる心を断ち切れるのでしょうか?
愛の刀で断ち切るのです。

ただし、それは普通の愛ではありません。
普通の愛とは、「我」がある愛です。
自己本位に人を愛する愛です。


「我」があれば、必ず心に傷がつきます。

柱にナイフを刺せば傷がつくでしょう、柱という形があるからです。
しかし、空気は決して傷がつきません。

ひたすら、人のために存在している空気には
「我」という形がないからです。
100パーセント人のために生きています。

人のために生きる心には、我がないのです。
もし、どこかに我が潜んでいれば、傷がつきます。


もし、自分が幸せになりたいために、夫を愛しているなら、
妻は夫の一言で傷つきます。
妻は「夫の言葉が私を傷つけたので愛せなくなった」と言うことでしょう。

しかし、真実は違います。
妻の心の底に「我」があるので傷ついたのです。
傷つけば歩けなくなるように、
夫を愛する心が停止してしまったのです。


「我」のある愛は、憎しみや怨みを断ち切ることはできません。
「我」という根源が同じだからです。

「私が」不幸にさせられた、「私が」面子を潰された。
「私が」不愉快な思いにさせられた、
「私が」尽くしたのにお返しがない。
「私が」愛されたい。

「私が」の心は、憎しみの心、許せない心、
そして怨みの心へと肥大するのです。

そのため、「我」の入った愛は、鈍くてほころびやすく、
そのため、憎しみの心を断ち切れません。
簡単に折れてしまい、逆に怨みの刀で断ち切られてしまうのです。


真の愛は、「我」がない愛です。
相手の幸福のために生きるという純度100パーセントの愛なのです。
空気のような愛なのです。

与えたことを忘れて、また与える心なのです。
相手が不幸であれば、自分の不足を恥じてさらに、与える愛なのです。
父母がひたむきに子女に与える無償の愛なのです。

それゆえ、真の愛の刀だけが、怨みや憎しみの心を、
断ち切ることができるのです。


文鮮明先生の素晴らしさは、「我」のない、
真の愛で人類を愛されたことです。

迫害や拷問、牢獄、誹謗(ひぼう)中傷など、
ありとあらゆる困難に出遭いました。

もし、普通の愛であれば、傷だらけとなり、
途中でやめていたかもしれません。
しかし、こう言われます。

「日本の植民統治時代と北朝鮮の共産政権、
大韓民国の李承晩(イ スンマン)政権、
そしてアメリカで、生涯に六回も主権と国境を超えて、
無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、
肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。

しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残っていません。
真の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。

真の愛の前にあっては、
怨讐さえも跡形もなく溶けてなくなるのです」

(自叙伝5ページ)


浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第二章 愛の刀で苦悩を断ち切る


「我」がない、というのは、
空気みたいなものだ。。。

なるほど、さすがは
浅川先生です。

与える心情、真の愛に満ちていれば、
たとえ誰がなんと言おうと、へこたれない、
怨みの心情にはならない、ということです。

「うちの夫は、〇〇で・・・」
ということを言われる方は、よくおられるかもしれません。
で、ご主人のお話を聞くと、
とても良い方で、もっと忍耐されていたり
ということもあります。

うちの夫婦の場合も似たり寄ったりかもしれませんが、
今回のお話を通して、
自分の動機を正される気がしました。

この浅川先生のお話を心に刻んで、
それは素晴らしいお話ですが、
相手に求めたとしても裁きになってしまうので、
まずこういういいお話を聞いた人、知った人が自覚して、
悟らないといけないということでしょう。

真の父母様が越えた道、
それを私たちも歩むことができること、それが
感謝なのだと思い、歩んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 07:49 | Comment(0) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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