2020年03月23日

「3世代で暮らしなさい」と言われる理由?! 《大知先生の「氏族伝道の心理学」》



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大知(おおとも)先生の氏族伝道の心理学。
「濃くて良い人間関係をつくる」の続きです。

 
私たちは、教会に来ることにより、
親子関係や兄弟関係、氏族関係が
薄くなってしまっていることが多いように思います。
 
もちろん、み言を聞くことによって
私たちの心情が変わったことにより、
親子関係が良くなったということもあるでしょうけれど、
その一方では、入教生活をし、
み旨を中心とした生活をする中で、
親・兄弟・氏族と接する機会が少なくなったために、
関係が改善したと感じていることもあるのではないでしょうか。

先に述べたように、本然の関係は、濃くて良い関係です。
私たちが目指すところは、親・兄弟・親戚と
一つ屋根の下で暮らして、それでも不安と怒りのない、
愛の関係をつくることです。

お父様が「三代で暮らしなさい」とおっしゃる理由は、
先に挙げた親に侍ることによる
四大心情圏の完成ということとともに、
堕落性を脱いで創造本性の関係をつくるためにも
必要なことだと感じています。

遠くに住んでいると優しい気持ちになれるし、
穏やかな気持ちで電話をしたり、物を送ったりできます。
しかし、一緒に暮らすと、いろいろな思いが出てくるものです。
 
 
私自身のことについてお話しします。
 
私は一人っ子で、かわいがられて育てられました。
父は大学教授で、母は専業主婦で料理の先生でした。
何不自由なく育てられましたし、
両親が感情的になって私を怒ったことは
ほとんどありませんでした。
もちろん両親が私をたたいたことも、記憶にありません。

私は、大学院に入るために親元を離れ、
長い間両親と離れて暮らしていました。

み言を知っているということもありますが、
遠く離れて暮らしていると、
両親に対する怒りが湧いてくることは全くありませんでしたし、
親孝行ができていないことも本当に申し訳なく思っていました。

それが、ある時から一緒に暮らすようになりました。
すると、父親や母親のちょっとした言動に
イライラしている自分がいることを感じるようになったのです。

ほんの些細(ささい)なこと、親にとっては何気ない言動、
場合によっては、私のことを思って言ってくれている一言が、
私の心をイライラさせるのです。

こうした自分自身を見ながら、
改めて完成への道のりが遠い自分自身であることを
感じさせられています。

今、私自身、両親との関係を
一つずつ整理しながら歩んでいるところです。

早く先に紹介したお父様の平和のメッセージの中にあるような、
無上の喜びを感じることのできる
孝行息子になりたいと思って、日々の生活をしています。
ただ、その基準ははるか彼方ですが……。

 
こうした私の体験からも、堕落性を脱いで
本然の関係を回復していくためには、
親子が一緒に暮らすことが不可欠だと言い切れます。

離れていては、心の奥底にある
歴史的な堕落性を掘り起こしていくことができないからです。

お父様が三代で暮らしなさい、という
メッセージの意味の一つには、
三代で暮らす中で親子の間に創造本然の情関係を結べたときに、
その血統の歴史的な問題が解決し、
本当の意味で完成していけるということが
あるのだろうと考えています。

創造本然の親子関係とは、どのようなものなのでしょうか。

 
お父様の平和のメッセージの中には、
真の愛の人生について、次のような一文(文章)があります。


「(真の愛とは)与えても、与えたという事実すら
記憶せず、絶えず与える愛です。

母親が子女を胸に抱いてお乳を飲ませる
喜びと愛の心情です。

子女が父母に孝行して喜びを感じる、
そのような犠牲的愛です」。



 
私は、初めてこの文章を見たとき、びっくりしました。

親に孝行をして感じる喜びとは、
母親が子供を抱いてお乳を飲ませる喜びと
同じレベルで感じられる喜びだということを
初めて知ったからです。

私は男性なので、子供を抱いてお乳を飲ませる
喜びというのを実際に体験したことはありませんが、
それが無上の喜びであろうことは、想像に難くありません。

親孝行の喜びとは、それに勝るとも劣らないものであったとは……。

私の親に対する情が、いかに本然の基準から
かけ離れているかということを実感させられた瞬間でした。

私たちは、そうした情を復帰していかなければならないのです。
そのために、親に侍り、氏族に侍り、
氏族的メシヤを完成していくのです。

そして、それが結果として、
私の心の問題の解決となり、
夫婦の問題、子供の問題の解決につながるのです。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
「濃くて良い人間関係をつくる」より


お父様の真の愛に関するみ言は、
今まで何気なく拝読していましたが、
大知先生のご指摘で、私も衝撃をうけました。

「与えても、与えたという事実すら
記憶せず、絶えず与える愛」
そのような犠牲的な愛が、真の愛であるということです。

そこで挙げられているのが、
母親が赤ちゃんに授乳する時の愛と、
親孝行の心、すなわち「孝情」です。
おさなごのような、素直な愛のことでしょう。

つまり、無心に喜んでつくす孝情は、
母の犠牲的愛に並ぶような
「真の愛」であるということになります。

なるほど、そういった意味だったんですね。。。
今までピンときていませんでした。

今では、お母様が端的に「孝情」という言葉で
表現してくださっていることが、
どれだけ、素晴らしい概念なのか、
と、あらためて感じます。

「神様の愛は家庭に現れる、
それが四大愛(心情)である」といいますが、
三世代で暮らす、ということは、
孫の愛、祖父母の愛が加わり、
愛の次元、器がさらに広がっていきます。

それぞれが「孝情」をつくしつつ、
四位基台の中心に祖父母がくれば、
神様を迎えやすいと感じます。

具体的な侍り方、心情復帰については、
これからの記事になります。
お楽しみに。





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posted by ten1ko2 at 09:34 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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