李ヨハネ先生のみ言。
「孝」の続編です。
☆
真なる夫婦関係
「夫婦有別」というとき、「別」は同位という意味ではありません。
「別」というのは、聖書の言葉でいえばあばら骨ということです。
すなわち、男性のあばら骨が女性だということです。
では、女性とは何でしょう。
男性の前に百パーセント
男性の分身にならなければならないということです。
あばら骨が身体全体の構造を考えないで、
自分が一番だと主張すれば死んでしまうのです。
ですから女性が強く自分を主張すれば、家が滅びます。
女性が自分を主張してはいけないのです。
あばら骨があばら骨自身を主張すれば、
その身体はどうなりますか。あきれた話です。
☆
ところで、聖書にもこのような内容があります。
女性をなぜ創造したのか。アダムのために創造しました。
骨の中の骨であり、肉の中の肉として
アダムの喜びのために創造しました。
ところが、骨が身体だと言ったり、
骨だと言ったりしたらいけないのです。
身体の構造全体の立場から自分は手だと言うことはできても、
手が体だと言うことはできません。
それを主張することはできません。
このように話をするのは愛のみ言なのです。
事実がそうだというのではないのです。
☆
「男性は女性のものであり、女性は男性のものだ」といっても、
女性が主人だというのではありません。
先生は「全大学教授招請講演会」で教授たちに
「男性が持っているものはだれのものか。
それが自分のものと思っているのか。
主人は女性である」と語られました。
自分が自分のものであると思って取り扱ったら、
大変なことになると言われました。
ところで聖書になぜ女性をあばら骨と表現したのか、
ということは先生も話されませんでしたが、
先生がそのように語られたのは、愛という動機によるものです。
☆
ところが、今日西洋では、男性も女性も全く同じように取り扱い、
給料も同じように与えます。
このように女性の経済力が男性と同じようになり、
女性が男性の言葉を聞こうとしなくなりました。
自分が嫌いなら離婚し、好きなら再婚し……。
自分かってにするから滅びるのではありませんか。
本当に夫を尊重すれば、自分が自分ではないのです。
☆
百パーセント夫のあばら骨だと考えてくっついていなければ、
女性は不幸になっていきます。
あばら骨という意味を私はそのように解釈します。
「主体者による私は、夫のものであり、夫は夫だ」
と言わなければなりません。
夫は妻のものであるというのは、話になりません。
私は神ではありません。
神が私の内にいらっしゃるからといって、
私が神だとはいえないのです。
私が父の内に、父が私の内にるからといって、
息子を父だと言うことができないのと同じです。
☆
父が私の内にいるといいましたが、父は父であると言わなければなりません。
また、イエス様は神の内に、神はイエス様の内にいるといっても、
イエス様が「私は神だ」と言いましたか。
神をいつも敬いました。
女性も同じで自分は夫のものだと言うとき、
私は夫の内にいるけれど、夫は夫だと言わなければなりません。
ところが「夫は私のものだ。私の話を聞かなければならない」
と言えばどうなりますか。
考えてみてください。
ですから今日、アメリカの神学やアメリカの文化は、
滅びるしかありません。
行く道がありません。
第二章 孝誠の種 「孝」
真なる夫婦関係
1986年4月統一神学校
(この説教は、統一神学校の四年生を対象に語られたもの)
真なる夫婦関係
1986年4月統一神学校
(この説教は、統一神学校の四年生を対象に語られたもの)
☆
李ヨハネ先生は、女性の権利を主張する
女性解放運動を批判しています。
しかし、時代は進み、
個人の生き方や、家族のあり方について
「多様性」が叫ばれる時代となりました。
ジェンダーフリーから始まって、
同性婚合法化に対する運動など、
個人の考えを主張する時代になりつつあるのです。
そして、行き過ぎた個人主義の背後には、
共産主義の思想があることも忘れてはなりません。
共産主義の悲惨さについては、
別の機会にお話するとしまして、
聖書にはこのようにあります。
そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、
そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、
人のところへ連れてこられた。
(創世記第2章21節22節)
もちろん、文字通りに
男性のあばら骨で女性を造った、ということではなく、
その文面の意味を悟らなければならないのだと思います。
私たちは、神様御自身の中にある、
父性と母性が分かれた分身のような立場にある、ということ。
そのことを個人主義を主張する人たちに
認識していただけるようにしなければ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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