2020年03月12日

あなたの「あばら骨」に徹する幸せ?! 《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
「孝」の続編です。

 
真なる夫婦関係

「夫婦有別」というとき、「別」は同位という意味ではありません。

「別」というのは、聖書の言葉でいえばあばら骨ということです。
すなわち、男性のあばら骨が女性だということです。

では、女性とは何でしょう。
男性の前に百パーセント
男性の分身にならなければならないということです。

あばら骨が身体全体の構造を考えないで、
自分が一番だと主張すれば死んでしまうのです。
ですから女性が強く自分を主張すれば、家が滅びます。
女性が自分を主張してはいけないのです。

あばら骨があばら骨自身を主張すれば、
その身体はどうなりますか。あきれた話です。


ところで、聖書にもこのような内容があります。

女性をなぜ創造したのか。アダムのために創造しました。
骨の中の骨であり、肉の中の肉として
アダムの喜びのために創造しました。
ところが、骨が身体だと言ったり、
骨だと言ったりしたらいけないのです。

身体の構造全体の立場から自分は手だと言うことはできても、
手が体だと言うことはできません。

それを主張することはできません。
このように話をするのは愛のみ言なのです。
事実がそうだというのではないのです。

 
「男性は女性のものであり、女性は男性のものだ」といっても、
女性が主人だというのではありません。

先生は「全大学教授招請講演会」で教授たちに
「男性が持っているものはだれのものか。
それが自分のものと思っているのか。
主人は女性である」と語られました。

自分が自分のものであると思って取り扱ったら、
大変なことになると言われました。

ところで聖書になぜ女性をあばら骨と表現したのか、
ということは先生も話されませんでしたが、
先生がそのように語られたのは、愛という動機によるものです。


ところが、今日西洋では、男性も女性も全く同じように取り扱い、
給料も同じように与えます。

このように女性の経済力が男性と同じようになり、
女性が男性の言葉を聞こうとしなくなりました。
自分が嫌いなら離婚し、好きなら再婚し……。
自分かってにするから滅びるのではありませんか。

本当に夫を尊重すれば、自分が自分ではないのです。


百パーセント夫のあばら骨だと考えてくっついていなければ、
女性は不幸になっていきます。

あばら骨という意味を私はそのように解釈します。
「主体者による私は、夫のものであり、夫は夫だ」
と言わなければなりません。

夫は妻のものであるというのは、話になりません。
私は神ではありません。
神が私の内にいらっしゃるからといって、
私が神だとはいえないのです。

私が父の内に、父が私の内にるからといって、
息子を父だと言うことができないのと同じです。


父が私の内にいるといいましたが、父は父であると言わなければなりません。

また、イエス様は神の内に、神はイエス様の内にいるといっても、
イエス様が「私は神だ」と言いましたか。
神をいつも敬いました。

女性も同じで自分は夫のものだと言うとき、
私は夫の内にいるけれど、夫は夫だと言わなければなりません。

ところが「夫は私のものだ。私の話を聞かなければならない」
と言えばどうなりますか。
考えてみてください。

ですから今日、アメリカの神学やアメリカの文化は、
滅びるしかありません。
行く道がありません。

第二章 孝誠の種 「孝」
真なる夫婦関係
1986年4月統一神学校
(この説教は、統一神学校の四年生を対象に語られたもの)


李ヨハネ先生は、女性の権利を主張する
女性解放運動を批判しています。

しかし、時代は進み、
個人の生き方や、家族のあり方について
「多様性」が叫ばれる時代となりました。

ジェンダーフリーから始まって、
同性婚合法化に対する運動など、
個人の考えを主張する時代になりつつあるのです。

そして、行き過ぎた個人主義の背後には、
共産主義の思想があることも忘れてはなりません。

共産主義の悲惨さについては、
別の機会にお話するとしまして、
聖書にはこのようにあります。

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、
そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、
人のところへ連れてこられた。
(創世記第2章21節22節)

もちろん、文字通りに
男性のあばら骨で女性を造った、ということではなく、
その文面の意味を悟らなければならないのだと思います。

私たちは、神様御自身の中にある、
父性と母性が分かれた分身のような立場にある、ということ。
そのことを個人主義を主張する人たちに
認識していただけるようにしなければ、と思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:25 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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