2020年07月02日

一番近い人を、自分より大切に思う心から、円形運動が始まる 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ(イ ヨハン)先生の説教、
「本性の恨(ハン)」の続きです。 


  調和と円形運動の本体になれ

皆さんは神学校に来て時を逃したと自覚し、
それが恨(ハン)になったら、
恨だといえるのです。

これから皆さんは、自分の無知をよく把握して、
克服する生活をしていかなければなりません。

自分の性格や人間関係をよく知って、
環境に支配されやすい自分ならば、
円満な性格に再創造、復帰していかなくてはなりません。

家庭訪問をたくさんしながら、
自分の角のある性格を丸くしなくてはなりません。
すべての人が好む、調和のある人格を身につけなくてはなりません。

怨讐になっているアペル・カイン関係を
調和させることのできる能力を持たなくてはなりません。
それが今日、私たちがなす実践神学ではありませんか。

葛藤と相克をうまく調和させることのできる
実力を持たなければなりません。


ここに来た皆さんの中で、自分のことだけしか
知らない人がいたら、その人はとても角のある人です。
とても無関心な人です。

無知の恨(ハン)を解き、
情的に豊かな円形運動をすることができる
実力の所有者にならなければなりません。

私たちは自分を改善しようとしているのではありませんか。
それならここでもう一段階上がって、
円形運動をすることができる私にならなければなりません。

円形運動をするとは、一番近い人を
私よりも大切に思うことができる心を持つことです。


つまり父が子供に対するような心で、
近くにいる人も貴く思うことができる心を持つということです。

その父が子供に対して持つ心が何かといえば、
子供を自分よりももっと大切に思う心です。
父母は、自分の子供を自分の父母のように思います。
父母が自分の子供をメシヤだと思うことと同じです。

兄弟どうしではそういう心を持ちにくいのです。
しかし真なる兄は、弟を父母のように思う心があり、
弟だと思わずに尊敬します。
とても大切に対します。


このようにしながら目的地に行くのです。
目的地とは何ですか。
家庭です。

家庭とは、神の二性性相が夫婦として出会うところです。
円形運動がよくできる家庭にならなければ、
神が祝福した結果が結実できません。

家庭とは、愛の目的地に到達しようとするところなのです。
ところが、ここでうまく調和できないのです。

『生活の中の心情復活』
(『信仰と生活 第3集・私の神様』を改題)
第三章 復帰人の本性「本性の恨」   
1985年4月23日(火)
統一神学校
(この説教はチャペルの時間に語られたもの)


先日の橘先生のコラムにもありましたように、
自分を愛する人は、
周りの人、身近な人を愛することができます。

イエス様も
「自分を愛するように
あなたの隣り人を愛せよ」
と語られています。

妻や子供たちに対して、
要求する思いや、否定する思いが生じる時、
相手が問題なのだ、と考えるのではなく、
そういうふうに思ってしまう
自分の方にも、問題があるのかもしれません。

自分の考えの通りに、相手が動かないことも
ままあるでしょう。
近くにいる大切な人を愛する、
これはなかなか簡単ではないようです。

私を愛する神様、
私の本性を貴く思う神様、
そして、隣人を愛する神様を
しっかりと見つめる者に
なっていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 06:53 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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