浅川先生の、真のお父様の自叙伝講話より
「良心は幸福の先生」です。
☆
では、人生を正しく導く先生はどこにいるのでしょうか?
もう子供も孫もいる人は、父母も、先生も、
友人も数少なくなっています。
真の幸福教習所があれば、すぐにでも
行きたいところですが、ありません。
真(まこと)の父母、先生、友人がいなければ、
幸福になれないのに、どこにもいない。
どうしたらいいのでしょうか?
心配ご無用です。
幸福に導く真の先生はいます。
それもあなたのすぐそばにいるのです。
いつでも会えます。
そして的確に指導してくれます。
あなたが謙遜に耳を傾ければ、ではありますが……。
それが、あなたの良心なのだと
文鮮明(ムンソンミョン)先生は言われるのです。
☆
「自分の最も親しい先生は自分の良心です。
最も親しい友人よりも貴く、
父母よりも貴いものが自分の良心です」
(自叙伝、234ページ)
私たちを最も愛し幸福に導こうとしている真の先生。
それが、「良心」だというのです。
☆
運転免許や英会話習得のように教習所に通って、
授業料も払わなくてよかったのです。
ある意味では、とってもお得なことではありませんか。
必要なことは、良心に耳を傾ける謙遜さと、
それを実践する勇気さえあればいいのです。
良心は、私たちの事情を熟知していて、
直ちに「これをしなさい、それはしてはならない」
と指導してくれます。
時には温かく、時には厳しく指導してくれます。
☆
したがって、真の幸福になるためには、
「『良心』に、『私は今、
正しく生きているか?』
といつも尋ねなければなりません」
(同、234ページ)
☆
それゆえ、良心が「やるな」と絶叫しているのに、
あえて実行すれば、良心を泣かせることになります。
自分のために二十四時間働き続けている良心を
悲しませ、傷つけることになるのです。
それは、自分の人生を不幸にすることになるのです。
文鮮明先生は
「良心を悲しませることは、
結局、自らを悲しみに陥れることです」
(同、234〜235ページ)
と警告されています。
☆
ところで、良心は、いつも
「真の愛に生きなさい。
自分を犠牲にして、神様と人のために生きなさい」
と命じます。
この良心の命令に、私たちは素直に従えないときがあります。
なぜなら、もう一つの心があるからです。
私を不幸に陥れる心、すなわち自己中心の心です。
この心は自分のために人を犠牲にすることさえ要求します。
「自分さえよければいいではないか」と強調します。
この心を、良心に逆らう心なので、邪心といいます。
邪心は、人のために生きようとすると、
「面倒くさい」、「何の得になる」、「時間の無駄だ」、
「疲れる」、「ばかくさい」、「もっと自分を大切にしろ」
などとささやきかけ、良心の行く手を妨害します。
確かに、良心の命じることは、「ばかくさい」、
「何の得にもならない」ことが多いのです。
☆
文鮮明先生の若き日の逸話があります。
「学校に行く途中、息も絶え絶えの人に
出くわしたことがあります。
かわいそうに思うと足が止まってしまい、
その人を背負って二キロほど離れた
病院に向かって走り出しました。
運良く財布に入っていた学費の残りで
治療費を払うと、
あとはもうすっからかんです。
今度は自分の学費が払えなくなり、
学校から督促を受けることになりました。
それを見て、友人がお金を
一銭、二銭と集めてくれました。
その時の友人は生涯忘れられません」
(同、121ページ)
文鮮明先生は常に良心に従って生きてこられて、
「平和を愛する世界人」になられたのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第七章】私は今、正しく生きているか
良心は幸福の先生
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第七章】私は今、正しく生きているか
良心は幸福の先生
☆
自己牧会プログラムでも紹介しているように、
良心は誰にでもあるものであり、
良心を中心として行動することにより、
善なる生き方を送ることができるし、
平和な世の中、天国実現への道が開かれます。
ただ、お母様も語られているように、
「万民が天の父母様を知らなければならない」のです。
なので、厳密に言えば、神様を中心とした良心、
すなわち本心を中心に生活することが必要であると思います。
真の父母様の言われる「良心」と「本心」は一致しています。
しかし、私たちの「良心」は、原理講論によると、
「自分が善であると考える」ものです。
神様の願われる「良心」
正確に表現すれば、「本心」に従って、
生きる者になっていきたいですね。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
【自叙伝書写(浅川先生)の最新記事】
- バナナの皮ひとつにも、捨てる前に掛ける..
- 「ありがとう」を言えば幸せがやってくる、..
- 疲れて帰宅すると、妻が夕飯も作らずイビキ..
- 囚人たちが一番恐れるのは・・・ 人生最強..
- 「幸福は私を待っている」・・なのに幸せに..
- 結婚願望のなかった私が祝福を受けたのは、..
- 真のお父様は人の心を開く天才、その秘訣と..
- 初心者にも、上級者にも、ブランクのある方..
- 最強の「鬼滅の刃」は、真の愛の心から生じ..
- 自粛での明暗 コロナ離婚と「48年ぶりの..
- 参拝・礼拝に出掛けなくても、神と自然を満..
- Stay home ! 観光に出掛けなく..
- 心のふるさとKorea 朝鮮半島は、世界..
- 「人類を幸せに!」 父が真理を極めた強い..
- 誠を尽くせば、ウィルスからも守られる?!..
- 「為に生きる」 宇宙で一番実践しているの..
- 真の愛は命まで捨てられる?! 「汝の敵を..
- 傷だらけの人生──それは「我」が多いから..