橘先生のコラム、
「こんなことは言っちゃいけな…くないように」です。
☆
学生時代、伝道活動に加わるようになって間もない頃、
先輩がこんなことを言っていました。
「クリスチャンを伝道しようとすると、
彼らは“あなたは救われていますか?”と聞いてくる。
“救われているか”と聞かれて僕たちはハタと己を振り返る。
‟救われている”という実感、解放感がないので
即座に“はい!”と答えられないことが多いんだ」
人類の真の父母を知り、長い歴史の中では
一瞬ともいえる今この時を共に生きている。
そのとてつもなく大きな恩恵の中にありながら、
「救われている」と心から言えない…?
(もちろん、全員ではありません)
一般的にキリスト教は「信じるだけで救われる」
「自分の罪は全て主が負ってくださる」と教えています。
一方、統一原理では神様の恨(ハン)、
人間の責任分担、失敗の繰り返しだった復帰摂理歴史が説かれ、
私たちは己の堕落性と闘いながら天の願いに応えようとします。
天の切実な事情と願いに照らせば、自分の不足さしか見えてきません。
常に心のどこかに負債を感じています。
示された摂理の方向性に対して、自分の心が
素直に呼応しない場合、負債を感じることもあるでしょう。
☆
数年前、地元で開かれた研修会の折、講師として来られた
入山聖基伝道部長(世界平和統一家庭連合/以下、家庭連合)が
「皆さん、(家庭連合の)教会に行っても孤独ではないですか?
疎外感を感じませんか?」と言われました。
覚えがないわけではありませんでしたし、他の姉妹が
同様の事を言っていたのを小耳に挟んだこともあったので、
とても興味深く拝聴しました。
以前ある二世が、「こんなことは言っちゃいけない」という
雰囲気を感じて、教会で自分の本音(負の感情)が言えない
窮屈さを話してきたこともありました。
入山部長が言われたのもこの点です。
でも、負の感情を消化できずにため込んでいけば
当然苦しくなります。
そんな時もし「救われていますか?」と聞かれたら、
やはり「はい」と即答し難いかもしれません。
本音を言えない関係の人たちとでは、
たとえ一緒にいても内心は寂しいものです。
☆
かつて訪れたある教会は、とても温かな雰囲気がありました。
中に通されてあいさつを交わすや否や、
私の心がパカっと開いているのです。
すぐに冗談が飛び出し笑顔での会話が続きます。
初対面なのに肩に力が入らず、これはどうしてだろうと思ったら、
その教会ではメンバーの話を
「否定せず説教せずただ聞く」ことに徹しているそうです。
結果も伴っているとのこと。
とても納得し、感銘を受けました。
☆
先日の徳野英治会長(家庭連合)のメッセージの中に、
「多く許された者が多く愛する」というお話がありました。
信仰に入る動機やきっかけは人によってさまざまですが、
入り口は何であれ、ある時点で
天の父母様や真の父母様から許される霊的体験を
したからこそ、信仰の道にとどまっているのでしょう。
実体の、神様を中心とした家庭、
教会の兄弟姉妹の関係においても、
本音を言っても受け止めてもらえる、
裁かれない、否定されない、
そんな雰囲気がさらに広がっていくことを願います。
こんなことは言っちゃいけな…くないように
ナビゲーター:橘 幸世
ナビゲーター:橘 幸世
☆
地域集会などで、復興している教会は、
お互い本音を話して、その心情を共有し、
家族のようになっているといいます。
基本的に、自分の家庭で起こる
「負」の部分に対しては、
他人であったら言わないでしょう。
しかし、自分のことのように
親身になって受け止めてくれ、
問題解決のために、切に祈ってくれるような、
そういう心情関係であったならば、
話したくなるのではないでしょうか。
統一原理は新しい真理です。
しかし、その基準を相手に求めたら、
裁きしか生まれてきません。
「そう言うあなたはどうなんですか?」
となってしまうかもしれません。
私たちは、
「世界平和統一家庭連合」。
私たちが幸せな家庭、幸せな教会を築くこと、
今はその過程にあると思いますが、
私が、食口たちから愛を受けたり、
天と真の父母様から愛されていることは確かです。
愛と幸福を実感し、感謝しつつ
自信をもって
「私は今、救われています!」
と、答えていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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