2020年08月06日

許せないことが起こったとき、自分を中心には解決できない 《金元弼先生》



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金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言、
「悔い改めは出発の時と同じ」より
『神中心に問題を解決する』です。


私たちの内面に、また周囲に起こるいろいろな現象があります。

仕事をする時に、気が合わないとか、
そういうことが色々起こるのです。
私たちの願わないことが起こるのです。

そういうことに対して、皆さんは逃れようとしないで、
いかに勝利していくかということに
心を遣っていただきたいと願います。

一つの例をとって話しましょう。
兄弟が私を苦しめるということがあるとします。
あるいは社会においても、対人関係で色々そういうことがあるでしょう。

家庭の中にもあるでしょう。
とにかく私の心を苦しめることがあるとした場合には、
必ずそれを自分を中心に解決しようとしてはいけません。

全体の、すべての問題を、
自分を中心として解決するなということなのです。
それは深く戒めなければいけない問題です。
絶対に、それでは解決ができないというのです。


そこで私は七七七双の祝福家庭の人たちに、
祝福記念日に一応お話ししたのですけれども、
人が私を苦しめるとすれば、常にこう考えてほしいのです。

自己を中心とせず、常に神を中心とし、
先生を中心として考えるということです。
み旨を中心とするということです。

人が私を苦しめるのは良くないことです。
これを教えてやらなければいけないという時、
それを感じ取ったのは自分です。

自分というものがあって感じ取るのですが、
解決の時には自分を先にして絶対に解決するなというのです。
問題視するのは自分ですが、
その問題解決には自分を介入してはいけないのです。

ということは自分を苦しめる人を、
その人のこととしてだけ考えないで自分自身であると考えるのです。

そして苦しめられる自分の立場を神様として、
あるいは先生として考えるのです。

「悔い改めは出発の時と同じ」 
1975年11月2日 川崎・楚麗邑


「7たびの70倍」許しなさいと言われた
イエス様は、十字架の道を行きながらも
全てを許され、人類に
救いの道を開きました。

恩讐を許し、愛すること。
真の父母様の道のりも素晴らしいですが、
イエス様のたどられた道も、
本当に素晴らしいと思います。

肉体は十字架を通して、
サタンに奪われてしまいましたけれど、
心情は完全に勝利していかれました。

何か受け入れがたいことが起こったとき
私たちは、当然のように自分の思いで
相手を見てしまい、
解決の道を遠くしてしまっているようです。

自分のことを、神様、父母様に置き換えて考える。
完全に神を中心とした生き方。。。

イエス様、真の父母様の
真の愛の勝利の道があって、
私たちは生かされ、愛されているのだ、
感謝しつつ、天と真の父母様を中心に
動機を転換し、具体的に
父母様を証しする歩みをしていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 14:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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