2020年09月11日

許せないことがあったとき──どうしたら霊界で引っかからないか?! 《金元弼先生》



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「先祖解放の基点は私」
金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言です。


皆さん、私たちの先祖には、色々悪いことをした人がたくさんいます。
良いことをした人もたくさんいます。
良いことをしたり、悪いことをしたり、
いろんな先祖たちがいるのです。

神の苦しい心情を、神が周りの人々を通じて
知らせようとした時に、彼らは全部
自己を中心として解決しようとしたので、
全部霊界にいって引っかかっているというのです。

その恨みを私たちを通じて解放していかなければならない
とするならば、昔あったそういうことが、
私たちの現世の中にあって、再現されてくるというのです。

ですから、そういう苦しい、死にたい、忍び難い、
理解し難い、許し難い、こういうことが
私の周りに起こった場合は、
まず何を考えなければならないのですか。

先祖の霊たちが、このような境地にあって
全部、自己中心に解決をしたから、
全部引っかかっているのです。

ですから再現された現実に対して、
私たちが「ああ、神様はどうだったのでしょうか」
というような心情で解決し、勝利したとするならば、
私たちによってその先祖たちの恨みが
全部解かれていくというのです。

私の周囲にそういうことが起こった場合、
その人と私との間において起こった次元として考えないのです。

私の先祖はこういうことがあった時に、
自分を中心として耐えきれずに、
勝利しえないで霊界に行ったから、
引っかかっているんだなあ、と考えるのです。

そして、私だけは私を中心としないで、
神を中心として、メシヤを中心として、
こういう問題に対していくのです。

このようにして勝利したならば、勝利した私によって
先祖たちの恨みが解放されていくのです。
そういうことが分かりますか。

(「悔い改めは出発の時と同じ」 
一九七五年十一月二日川崎・楚麗邑)



このみ言が語られたのは、1975年ですので、
清平の摂理がなかった時代です。

私たちが祝福家庭として責任を果たしていれば、
先祖も解放される立場でした。
しかし、果たすことができなかったので、
お父様は、新たな摂理を始めざるを得ませんでした。

ですから、原理講論(復活論)にはない、
清平摂理が出発しました。

『原理にはないから、清平はおかしい、間違っている』
のではなく、私たちが責任を果たせなかったので、
本来なかった摂理を、
父母様が立ててくださったのです。

また、元弼先生が語られた内容は、
清平摂理が行われている今だとしても、
本来の私たちが目指すべき歩みです。

私に足りないもの、課題があるなら、
それは先祖から来ているものかもしれません。

そういう時ほど、神様に感謝して、
私が乗り越えることが先祖の救いにつながる、
そう思って歩んでいきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:37 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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