金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言
「すべての人は神の使い」を紹介します。
☆
統一原理を勉強しても、親の心情、神の心情について、
漠然としてなかなか分かりにくいのです。
けれども、今話したような生活をしていると、
自分も知らないうちにいろいろと分かってくるのです。
親の心情も神の心情も、祈っても分かりません。
祈っても親の心情をどのようにして見せてあげますか。
どのようにして神の心情を見せてあげたら分かりますか。
☆
神は見えないのです。
神は、神の心情を受け継いでこられた、
そのお手本として現れたメシヤを中心として現れるのです。
ですからメシヤは無形なる神の道を、
そのまま行かなければいけないようになっています。
神は無形ですからなかなか分かりません。
しかしメシヤは実体の肉身をもっていらっしゃるので、
とにかく見ることはできるのです。
その内的な内容、内情は分からないけれども、
とにかく見ることができるのです。
刺激的です。
私たちは肉身をもっていますから、
肉身をもたないと刺激的でないのです。
☆
先程話しましたように、神の心情を知らしめるために、
いろいろな人を通して私たちを苦しめたり、
あるいは喜ばせたりするのです。
それを、その人自身がそうするのだと考えるなというのです。
その人を通じて、こんな時に神がこのように苦しまれるのか、
あるいは喜ばれるのかと知るのです。
つまり、(神が)「私もこういう場合に、
こういうように苦しみ、あるいは喜ぶのだ」
ということを知らせてくださるというのです。
ですからすべての人は、神の心情や
メシヤの心情を知らせてくれる
メッセージをもってきてくれる人だと考えればいいのです。
そうしない限りは、神の心情はとても分かりきれないのです。
あるいは植物、動物を通じてでも、神の心情が分かるのです。
それは象徴的、形状的ですが……。
そういうことを通じて、神を知らせることができるのです。
ですから旧約時代には、神は大(?)のごとく、
風のごとく、海のごとくというように流体です。
流れるというのは、はっきりした形がないのです。
風が吹く、そんな中にあってみ言が聞こえるのです。
神はそのように光の中にも現れるのです。
☆
今は実体の時代ですので、人を通じて、兄弟を通じて
私たちに伝えてくれるのです。
ですから人は神の使いであり、天使のようだということもいえます。
天の使い人だというのです。
人なのに天使だというのです。
すべてをそのように考えてほしいのです。
私が苦しいと考える前に、このように
神は私のことで苦しんでおられるのだ、あるいは
人類のことでこのように苦しんでおられるのだと、
その程度を知ることができるのです。
☆
私たちの信仰の成長の度合いに応じて、
映る神の心情が違うのです。
信仰が幼い時には、神はいつも栄光の中にいる神として
映りましたけれども、成長してみればそうではないのです。
本当に苦労されている神であるということが分かるのです。
幼い時には、子供は親に対して、
「親はいいなあ、私も大きくなったら
親のようになりたい」と思うのです。
ところが成長すれば、本当に親というものは
惨めなものであるということを、だんだん知ってくるのです。
それと同じように、成長すれば、
私たちの信仰の程度によって、神の心情も
次元次元に深まってくるように感じ、
また知るようになるというのです。
ですから、苦しい時、つらい時、忍び難い時があるとすれば、
それ自体を神の心を私に知らせるために
そうなのだと考えるのです。
良いことをした後はうれしいのです。
私たちが神の前に良いことをしたならば、
神はこんなに私のことでうれしがるというのです。
それを知らせてくれるのです。
「悔い改めは出発の時と同じ」
一九七五年十一月二日川崎・楚麗邑
一九七五年十一月二日川崎・楚麗邑
☆
人は「神の使いであり、天使である」
聞きしに勝る名言だと思います。
元弼先生が語られるように、
自然万物は、堕落していないので、
神様の心情を感じやすいと思います。
しかし、人間関係も、
私が願わない関係であったとしても、
神様が味わって来られた心情を
その人を通して感じることができるとするなら、
どんな人も「神の使い」であると思います。
問題は、私自身がどう受け止めることが
できるか、にかかっています。
神様は、私たちの成長を待ってくださっているので、
どんな環境がきても、
どんな人が現れても、
天の愛と配慮があるに違いない。。。
そのようにとらえていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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