1976年に、日本で語られた
金元弼(キム・ウォンピル)先生のみ言
「神を慰める者となりましょう」より、
『愛は生命の根源』です。
☆
歌のことを話しましたが、私たち自身も同じなのです。
私たちは先生を非常に尊敬し、愛し、お慕い申し上げています。
自分の実の親の言葉と先生のみ言が対立する場合、
私はどの言葉についていくかということがあります。
それを自分に当てはめて考えてみますと、
私は自分の実の親よりも先生の言葉についていくと考えます。
なぜそうなったのでしょうか。
それは、実の親が愛するよりも、
もっと高い次元で先生は私を愛してくださるからです。
☆
愛はすべての存在の生命の根源です。
ですから、どういう存在であっても、
サタンであっても、一番大事なものは愛です。
それは生命の根源です。
ですから神がサタン圏の人を神の圏に移行させるためには、
話だけではだめなのです。
サタンがサタン圏内にいる人を愛する以上に神が愛すると、
サタン圏内にいた人はサタンの人ではなくなります。
その人をサタンが愛する以上に愛するとするならば、
愛はすべての存在の生命の根源ですから、
その愛にすべてのものはついていくというのです。
ですから我々がサタンの圏内から神の圏内に行くのは、
より高い愛を見付けたからです。
☆
その歌も、その人が神の心情を愛して歌を作り、
歌って神を賛美し慕うのです。
ですから先生は、その人が神を愛する以上の愛をもって、
またその歌を愛して歌われるのです。
そうするとその歌はその人が作った歌ですけれども、
その歌の主人は誰になりますか。
作った人以上にその歌を愛した人が、その歌の主人になるというのです。
☆
我々の実の親が我々を愛する以上の愛で、
私たちを愛する人がいるとするならば、我々は誰のものになりますか。
それは、私自身の親、実の親ではないのですけれども、
私を実の親以上に愛してくれる人のものになるのです。
そういうことなので人類の誰よりも神を愛する人がいるとするならば、
その人こそ神に愛される人になるというのです。
中心になれるのです。
では教会の主人は誰がなるのでしょうか。
本来ならば、誰よりも教会を愛する人がいるとするならば、
その人が教会の主人になるというのです。
☆
ここに宝物があって、私がこの宝物を持っているとしましょう。
そうするとこの宝物を私は愛します。
貴重なので、誰にも言わないで、見ることのできない
奥深い所にこれを保管して、私だけが見たいと思うのです。
私はこういう考えですが、この私の宝物を私以上に貴重にし、
大切にする人がいるとするならば、
この宝物はどこに行くでしょうか。
きっと私は、私以上に大事にしてくれる人があって、
それを私が知った時、この宝物を
その人にあげなければ気が済まないようになるでしょう。
☆
そのことが理解できますか。
あなた方が大事にしている万年筆があるとしましょう。
それは何かのお祝いの贈り物として、誰かからもらったとします。
だからそれを大切にするのです。
ところが傍らにいる人が、私が大事にする以上に、
この万年筆を大切にするとします。
この万年筆を一日使わなければ、あるいは触れなくては
気がすまない、といって大切にしてくれるのです。
これが一日だけではなく、一年も何年もかけて
大切にしてくれるとするならば、
その人にその万年筆をあげざるを得ないというのです。
『伝統の源流−主と歩んだ教会創立以前の道』
金元弼
(「神を慰める者となりましょう」
一九七六年四月四日東京教会)
※本書は、『信仰と生活第二集伝統の生活化』
を改題したもの
金元弼
(「神を慰める者となりましょう」
一九七六年四月四日東京教会)
※本書は、『信仰と生活第二集伝統の生活化』
を改題したもの
☆
『作った人以上にその歌を愛した人が、
その歌の主人になるというのです』
なるほど、本当にそうですね。
私たちは、真の父母様の愛を受けた者たちです。
実の親以上に私たちを愛して下さっている。。。
そのことを実感しているので、
どんな困難、試練にも耐え抜いてきたのではないでしょうか。
クリスチャンたちも2000年前に来られたイエス様に対して、
「私のことを親以上に愛してくださっている」
そう確信しているので、今もなお変わらずに
信仰を継続しているのだと思います。
イエス様の愛、同じレベルで愛してくださっている
真の父母様を正しく述べ伝えて、
一人でも多くの人に、真の父母様の正しい姿を、
知って頂きたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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