2020年12月18日

「孝情」とはなんですか──真のお母様の答えは?! 



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デンマークの国家メシヤ五十嵐先生が
『孝情について』という記事を投稿してくださっています。


真のお母様は、2015年以降「孝情」という言葉を使い始められ、
今では私たちの運動や生活の中心的な言葉となっています。

私はこの言葉を最初に聞いた時、
どんな意味があるのだろうかと思いました。
孝行の心情というような意味なのかな、
それとも別な意味があるのかな等いろいろ考えました。

さて、先月ヨーロッパ・中東リージョンの日本人メンバー組織、
精誠会の定例集会において、当時日本のYSP会長であられた
竹内氏の講話があり、その中で「孝情」についての説明がありました。

上記のように私はその意味について知りたいと思っていたので、
私にとってそれは実に興味深いものでした。


彼によると、昨年文姸娥様が日本に来られた時、
その意味について聞いて見たそうです。

そうすると姸娥様も、
真のお母様に尋ねられということでした。

真のお母様は、それについて

「孝とは、天の父母様と真の父母様への
 親孝行であり、
 情とは、天の父母様と真の父母様と
 永遠の因縁を結ぶことである。」


と答えられたとのことでした。


ところで、「孝情」という言葉は、竹内氏によれば
韓国にもない全く新しい言葉だそうです。
もちろんこの言葉は、日本にもない言葉です。

先日韓国人である義理の息子と話す機会があった時、
聞いて見たらやはり韓国にない言葉だと言っていました。


そして、ここでもう一つ「孝情」の意味について紹介します。

今年の2月に天地人真の父母生誕100周年及び天宙聖婚60周年
記念行事の時配布された小冊子に、次のように記されています。

「真のお母様は、孝情とは、聖和の瞬間まで、
 天の父母様と真の父母様に孝誠を尽くそうとされた
 孝進様の心情であると語られた。

 また天の父母様に対する真の父母様の孝情を
 相続するために、不断の努力を重ねられ、
 誰よりも激しい、戦争のような熾烈な人生を生きた
 孝進様の心情、その心情こそが孝情であると語られた。」


これら二つの「孝情」という言葉の意味からわかることは、
「孝情」の「孝」は、
天の父母様と真の父母様への親孝行ということであり、
自分の親への孝行を意味する「孝」より
更に次元の高い意味を持っているということです。

またその「孝情」は、真のご父母様が最初に歩まれ、
その後孝進様が歩まれたということです。

更にもう一つ考えられることは、「孝情」には
天の父母様と真の父母様と永遠の(親子の心情の)因縁を
結ぶことであるということです。


この「孝情」という言葉は、歴史上全く新しい言葉です。

そしてこの言葉が出てきた背景には、真の父母様が、
天の父母様の前に真の子女として完全に勝利され、
絶対的な真の子女の愛を完成されたということがあると思います。

それで私は、「孝情」という言葉は、
絶対的真の子女の愛と言い換えることができるようにも思います。


真の父母様が、天の父母様の前に歩まれた道は、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道でしたが、
更に「孝情」の道でもありました。

「孝」が成立するためには、そこに親子の関係がなければなりません。

真の父母様は、天の父母様との間に絶対的な親子の絆、
心情関係を結ばれたが故に、天の父母様を解放されるために
「孝情」の道を歩まれたということができると思います。

そして真の父母様は、その勝利圏を私たちに祝福という形で与えてくださり、
私たちも天の父母様と真の父母様の前に、
真の子女という立場に立つことができるようになりました。

そして孝進様が、真の子女の立場でまずその「孝情」の道を歩まれました。
そして次は私たちが、「孝情」の道を歩む立場です。


「孝情」は他の宗教にもないことです。
というのは今まで人間は神様の前に、僕の僕、僕、養子の
立場であったために、神の真の子女として
孝を尽くすことができなかったからです。

クリスチャンも神様の前には養子の立場であったので、
神様を天の父と呼びましたが、
神様に孝を尽くすという表現は聖書にもありませんでした。

またイエス様が人類の実体の父となることができなかったので、
クリスチャンはイエス様を真の父と呼ぶことができませんでした。

本来イエス様は人類の真の父になるべきでした。
このことは私たちが良く知るところですが、
それはまたイザヤ9:6に「永遠の父」としてイエス様が来られる、
と記されていることからも知ることができます。


さて「孝情」は、私たちが天の父母様と真の父母様への
親孝行を意味していることが分かりましたが、
そのためには私たちが実生活の中でどれだけ天の父母様と真の父母様を
私たちの真の親として実感しているかどうかということが、
非常に重要だと思います。

そうでなければ孝誠を尽くすという心情が湧いてきません。
私自身、もちろん天の父母様と真の父母様を私の真の親として信じ、
生活していますが、今後どれだけこの心情を
高められるかが大きな課題だと思っています。

というのは、私は天の父母様と真の父母様の前に忠誠を誓う
という言葉には、もっとピンとくるものがありますが、
「孝情」というとまだ少し距離があるように感じているからです。


最後に私たちは、韓国人の中心的情は
「孝」であるということは良く知っています。

それは親への孝行の情で、それは世界共通のものですが、
とりわけ韓国においては深く、厚く、強いものがあると思います。

私はそれを個人的にも強く感じています。
というのは私には義理の息子が、日本人、デンマーク人、
そして韓国人といて、幸い皆とても頼もしい人たちです。

しかしこの孝行という世界では、韓国人の義理の息子が、
その心使い、その表現の仕方において頭一つ抜けています。

これは歴史的に培われて来たもので、
韓国人の細胞一つ一つの中に刻み込まれているように思います。
それで私は、彼から「孝」について学ぶことが多くあります。

これからもっと天の父母様と真の父母様の前に「孝」の心情を深め、
「孝情」の人生を歩んでいきたいと思っています。

五十嵐拝
(一部編集:文責ten1ko2)


「孝情」について、真のお母様のみ言をはじめ
さまざま紹介し、検証してくださり
ありがとうございます。

義理の息子さんのお話も、
実感として伝わってきます。
「孝情」のセンス、素養は
韓国人に見習うものがありますね。

お父様は、統一原理を解明されるにあたって
今までにはなかった言葉を書かれています。
特に創造原理の中に散りばめられていますね。

同じように、『孝情』という言葉も
真のお母様による
ありそうでなかった新しい言葉ですが、
お母様が、体恤されたものに違いありません。

あふれるような天への
心情を表現するものとして、
勝利圏があって発表されたのでしょう。

どんな立場の人であっても
求めて、勝ち取っていくべき『孝情』。

その言葉を知っていることも感謝ですが、
それを体恤し、どこを押しても
神様への思いがあふれてくる
『孝情の人』になりたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 11:41 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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