李ヨハネ先生の「信仰と生活」のみ言。
今回は、「主管とは愛すること」です。
☆
信仰の中での主管性ということも、
結局ここにあるのです。
自分の位置を知っている人は、
絶対にサタンに主管されません。
主管性の転倒は、堕落性です。
今まで堕落人間が歩いてきたその生活を見てみると、
主管者ではないものに主管されてきた人間なのです。
物質に主管されたとか、悪主権に主管されたのです。
結局地上には永遠というものを知っている人がいないから、
目の前の金持ちとか、世間に主管されたのですが、
悟ってみれば、主管されるべきでないものに
主管されていた人間だったのです。
☆
私たちは、だれに主管されるべきか。
この「主管性」は、愛を基盤として言う言葉なのです。
子供は自分の親に主管されたがり、
婦人は自分の旦那さんに主管されるのを喜びます。
こういう意味の「主管」という言葉は、
今まで使っていた「主管」とは違うのです。
「自分は心からイエス様に主管されたい」とかと言って、
それでイエス様が私たちの主管者になるのではないのです。
愛の主体になって、結局、情の主体者となって、
あがめられ、恋しがられる存在となって主管者になるのです。
これが愛の主管性です。
この主管性を立てなくてはいけないのです。
☆
だから、聖書に、人にいじめられるな、
人に無視されるな、獄へ行っても人に徳を与え、
愛を伝えるならばあがめられるとあります。
これが、主管性を復帰することになるのです。
だから、人のために自分を犠牲にするのは、
主管性を復帰することに、その目的があるのです。
☆
結局、再臨の主は、どんな主管主、善の主権者なのでしょうか。
それは結局、全人類を一つの家族のように愛に結ぶ主管者です。
堕落していなければこういう愛の主管者に
結ばれなくてはならない本来の人間が、
堕落して、主管者でないものに主管されていたので、
私の血の中には、それに対する恨みの要素が流れているのです。
だから、そういうことに対して反発心があるのです。
しかし、自分の信仰心の中で、主管性を立てなければなりません。
☆
自分は生命の道と思って教会へ来るという信仰をもっていても、
その教会のだれだれを恋しがるという心がないと、
主管性のない人なのです。
結局、情の関係を結んでいない人が多いのです。
そうすると、さっきも言ったように、見物しに来ることになるのです。
だから信仰の生命というものは、
自分の心の中で、わき上がる情なのです。
情がどのように動くかという問題です。
教会の中に、情と情とで結んだ、
自分の父母よりも、兄弟よりも、
情的に結んだ人がいなくては、天との関係がないのです。
☆
だから、イエス様がおっしゃった
「自分の父母よりも、兄弟よりも私を愛せ」との言葉を、
現在ではどう使うかというと、この教会の兄弟のうちで、
だれが一番、公のために、教会のために、
責任をもって苦労するかということになるのです。
特にその中で、だれが一番私のために、責任をもつ
観念とか、心情をもっているかということです。
その兄弟に対して、自分の父母より、兄弟より、
どれほど恋しいかということであり、
これが観念でなく情的に結ばれたなら、
主管性を探したことになるのです。
基準を探したことになるのです。
主管性というのは愛です。
☆
今まで私たちが使っていた「主管性」は、
例えば軍隊で、命令をかける隊長が主管者だとか、
命令して、その一つの命令に全部が動く、
それを主管と言ったのです。
国家の主権者が、全国民に対して、
法律的に主管するとかは、愛ではないのです。
強制的主管と愛の主管、後者が本然の主管性です。
☆
だから、私たちは教会へ通いながら、
言葉によって今まで悲しんだ気持ちを脱いでも、
見物人の立場であれば、喜びはないのです。
しかし、何か得るものはあるのです。
でも、霊的に接触していないのです。
ただ来て、その恵沢を受けるだけです。
光によって暗い部分がなくなるのと同じように、
見物人の立場においても、いいのはいいのです。
しかしうちへ帰ってしまえばどうでしょうか。
自分の家で集まった時には、教会での気分を
もち続けることはできないのです。
☆
だから、責任をもった人は、その一人が
主管性につながっているかどうかを知らなければなりません。
そして兄弟同士、お互いに報告したり、
お互いに何か内面的、精神的に交わるその内容を導いてあげるのです。
教会へ通っても、自分の家庭の内容とか、
精神的悩みとかを全然話さないで、
ただ教会へ通う人がいるのですが、
そういう人は、何年通っても同じで、
結局、サタンから離れられないのです。
それを知って、その主管性につなげなさいというのです。
伝道した人を、またやり直して、
主管性を展開していくのです。
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
「主管は愛である」
これは、真実だと思います。
真の父母様を私の親である、
と実感し、侍ることができたなら、
ともに信仰する人たちは、兄弟姉妹である、
このことを頭で理解するだけでなく、
心情で感じ、実体の関係を持てるのです。
かつてのキリスト教も、
初期のころには、そのような関係であったし、
家庭連合においても、
開拓時代には、そうでした。
しかし、組織が大きくなると、
形式的になりがちです。
そうであってはならないし、
そういう人間になりたくない、と思っています。
自分自身を見ると足りないところだらけですが。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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