2021年01月22日

お父様との思い出と悟り:もしもボートが沈没したら・・・ 《中村信一牧師》



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中村牧師の証し、
「忘れられない清平での思い出」です。


清平で文先生にお会いしたことがありました。
そのとき、文先生は「これから山に登ろう」と言われ、
モーターボートに乗って、山の方に向かいました。

ボートに乗ったのは、文先生とわたしと運転手の三人です。
文先生は運転手に、「もっと速く走れ」と檄を飛ばされます。

ところで、ボートには救命胴着は
一つしかありませんでした。

その救命胴着は文先生が身に着けられ、
わたしと運転手は救命胴着を着けることができず、
不安を感じながら乗っていたのです。

文先生はボートの中で、
「もし、このボートが引っ繰り返ったら、
この湖の下は水が渦を巻いているため、
死んでしまうことがしばしばある。
非常にここは危ないところだ」と言われるのです。

ボートは、浅瀬を避けるため何度も急カーブを切ります。
そのたびに、ボートが横転しそうになるのでした。

すると、文先生はわたしに
「非常に危険だから、しっかりしろ」と言われるのです。
そのように言われても、わたしはどうしていいのか分かりません。


そのとき、ボートの中で考えたことがあります。

それが、一九五四年に日本の津軽海峡で起きた
青函連絡船洞爺丸の事件です。
この海難事故は、皆様もご存じかと思います。

救命胴着を身に着けていたある神父が、
ある青年のために自分の救命胴着を脱いでその青年に与え、
そのため神父は死亡し、その青年が助かったという事件です。

キリスト教の自己犠牲の美談として、話題となった出来事です。

ところが、文先生の場合は、
「危険だから気をつけろ」とだけ言われて、
自分だけ救命胴着を着けておられるのです。
キリスト教の精神からすれば、理解しがたいことでもあります。


ところが、このとき、ある悟りが与えられたのです。

かつて、米国のハドソン川の近くで、
修練所建設の調査をするために、
文先生ご夫妻と一緒に小高い丘に登ったことがありました。

しかし、丘を登るところに笹が生えて、
そこに雪が積もっていたため、
登ろうと努力しても靴が滑って登ることができないのです。

ところが、文先生だけは簡単に登られたのです。
わたしと文夫人は、どうしても登れません。

そのときです。
一番先に登られたはずの文先生が、
いつの間にかわたしの後ろにおられて、
わたしの背中をひと突きされたのです。

すると、九十キロもあるわたしの体が、
ポーンと空中に跳ね上がったのでした。
そうして、その坂を無事、登ることができたのです。

この出来事を思い出したのです。


この湖でボートが沈没したとすれば、
救命胴着を着けられた先生であれば、
その胴着を利用してわたしたち二人を
救ってくださるに違いない、と、
そのときに確信したのです。

しかし、わたしだけが救命胴着をしていたとすれば
どうかを考えてみました。

自分自身のことが精いっぱいで、
二人を救うどころではありません。
もしかして、自分自身の命さえ救えず、
湖水の中に沈んでいったかもしれません。



山登りの中で、
お父様が中村牧師の背中をポーンと押してくれ、
空中に跳ね上がった・・・

この証しは、かつて、中村牧師から聞いたことがあります。
「自分でもわからないんだけど、奇跡が起こったんだ・・・」
そんなことを語られていました。

救命胴着の証しでは、
中村牧師が、人間的に見つめずに、
背後のお父様の心情を悟られた世界は、
本当に素晴らしいと思います。

真のお父様の精神、救いの心情は、
今も真のお母様を通して、
私たちにも注がれていることを信じ、
父母様と一つになっていきたいと思うのです。






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