渡邊教会長の説教。
後半の内容をお伝えします。
☆
そして、私が信仰生活を送りながら、幼い時には
真の父母様について考えることがたくさんありました。
よい思いで考えることもあれば、
凄く複雑な思いで見ることも、やはりあったんですね。
2世というのは、選べないですから
強制されたという言い方は変ですけど、
生まれた時からそうじゃないですか。
逃げられない、でもプレッシャーがすごい、みたいな感じで。
それがすごく嫌だった、
要するに自分自身で選べない
自分の努力でどうした、ということでもない。。。
でももう決められてしまっているということに対しての、
何か複雑さと、まぁ抵抗でありましたが、
今ではそれが本当に大きな
導きであると、もちろん感じています。
☆
真の父母様に対して、慕わしい思いを持ってきましたけれども、
ある時に、真の父母っていうのはどういうことか、
ということを感じたことがありました。
自分自身が悩んだり揺れたり、思春期の頃に社会との
隔たりというかわだかまりの中で父母様を見上げる時に、
もちろん悪い感情で見たくはないけれど、
父母様の語られるその言葉の強さに、
すごく恨めしく感じてしまうこともあったし、
「真の父母」って自分で言うってことは
一体どういうことか、と思ってしまったんです。
☆
真の父母様が「真の父母宣布」をされたのは、3万双の時ですよね。
そして、家庭連合を94年に創設されていかれますが、
それまでは真の父母様がメシアであるということは、
信仰がある程度進まない限り、証されなかったと聞いています。
それで、真の父母宣布ということが
どういうことなのかを考えた時、
とらえ方によってはえらそうにも聞こえるじゃないですか。
私がかつて感じたようにです。
☆
でも、よく考えてみると、親と子というのは
どちらの方が恵みを多く受けるかというと、子供なんですよね。
親は子供のために命をかけます。
親は子どもの過ちも自分のものだ、自分の責任だ、
と言って引き受けます。
以前よくマスコミに取り上げられた、
二世芸能人の不祥事の話でもそれを感じました。
問題を起こした時、二世芸能人の親が出てきて謝るわけです。
「別に謝らないでもいいでしょ」
と言う人もいれば、
「何で親が出てこないんだ」と
いろんな社会の論調がありますが、
でも親の立場で考えてみた時に
出ないわけにいかないだろうと感じるのです。
☆
ある芸能人の親が、子どもが覚せい剤をやって
捕まったという時、マスコミにさらされて、
「本当に自分の育て方が悪かった」
そして「自分は一生懸命やってきたつもりだったけれども、
そうでなかったことに本当に反省をしています。
皆様にご迷惑をおかけしました」
涙ながらに語るんですね。
保釈金を出さないで、「拘置所で反省してもらう」、
というようなことをその人は言われていて
「息子を周りの人たちはどう見るか分からないし、
もうダメだと(見るかもしれない)。
もちろん芸の道に戻ることを許すつもりはないけれども、
でも、人間として再び反省をし、更生することは信じています。
周りの方々は信じられないかもしれない。
それは当然かもしれないけど、私は信じてます、
親ですから」と言って、「ワー」と泣いたんですね。
それを見ながら、
私もその語る親の芸能人の心にすごく共感を覚えました。
私はまだその時、親になっていなかったと思いますが、
私の親のことも思い出しながらですね。
そうなんだな、と。
☆
親というのは、子どもの人生全部を背負い込みながら、
もちろん子供が独り立ちして行く時までなのかもしれないけれど、
でも子供がどれだけ大きくなったとしても
親はどれだけ老いたとしても、
子供のやることは、自分の責任だと思うのが
親の心情であるし、またある意味で
そう思いたいのが親だと思います。
全人類の真の父である、母である、親である
ということはどういうことか。。。
世界の中で起こるあらゆることは自分の責任だ
というふうに、御父母様が言われているということなんですよ。
みんなは子供だから、私に従いなさい
私を慕いなさい、という宣布ではなくて、
全ての出来事の責任を負い、すべての
この世界が真の意味で幸福になるための責任を
私たちが背負いますという宣布が、
「真の父母宣布」であるということを
ある時にハッと気づかされたんですね。
☆
それ以来、私の父母様に対する見方は
本当に大きく変わっていきました。
私たちは、一世、二世かかわらず、
どれだけ年老いたとしても
父母様の子供じゃないですか。
皆様、神様の子供ですよね。
私たちの歩みというのは、自分の価値は、
測りにくいものがあります。
悪いところもいっぱい見えますし、
弱い部分をたくさん見えますから。
だけども私たちの歩むこの信仰、そして人生というのは
それは父母様の生涯が重なっているものなんだ、
という風に理解をする必要があるわけです。
私たちはただ個人として信仰の道に立っているのではなくて
父母様のそのここまで尽くされた、
もっと言えば神様が復帰摂理をずーっと導いてこられた
そこと、私たちの信仰の歩みというのは直結しているんです。
☆
私の信仰の師匠である中村惣一郎先生が
「祝福の意義と価値」の講義の時に語られていたのは
「我々はどこに立っているかと言うと、
神様と父母様の頭の上に足を置いて立っている立場が
統一の信徒たちの立場なんだよ」
ということをいつもいつも語られていたんですね。
父母様が下に入られて、私たちを
持ち上げてこられたんだ、というふうに語られました。
だからなんていうか、私たちの歩みというのは、
父母様と直結しているのだ、と。
☆
そしてこのたび御聖誕日を迎えましたが、
私たちは父母様を貴い存在として感謝をし、
御聖誕日を捧げていくわけなんですが、
父母様の尊さというのは
「私たちが救われたその命に直結している」
ということを忘れてはいけません。
父母様が素晴らしい、だけど私はダメだじゃないんですよ。
本当は父母様が素晴らしいからこそ、
そこに救われた私たちも素晴らしい!
そういう(父母様に救われた)魂を持っている、
そういう命をもっているんだということに
誇りを持って、歩んでいってほしいというふうに思います。
貴い名節を重ねる度に、歴史の中で初めて取り戻された
大きなものを越えていくたびに、
父母様の貴さ、そして神様の偉大さ、愛、
それを感じると同時に、そこによって連結された、
救われた、私自身の命を尊く思える
皆様一人一人になっていってほしいと思うのです。
文責:ten1ko2
渡邊一喜教会長
松戸家庭教会聖日礼拝 2.21
渡邊一喜教会長
松戸家庭教会聖日礼拝 2.21
☆
教会長の捉えられる観点が、二世の立場から
語られているというのもあるのですが、
何か、私たちが気づかなかった部分の
深い心情を味わせていただきました。
お父様のみ言の中に、
「真の父母という言葉は、
福音の中の福音である」
さらには、
「神様も恐れる言葉であり、
サタンも恐れる言葉です」
そのように表現されています。
さらに「真の父母」という言葉は、
私たち統一食口に対する呼称ではなく、
「人類の」真の父母という立場であります。
真の父母を知らない人に対しても、
さらには、否定する人に対しても、
「親」として責任を持たれる真の父母様。。。
「真の父母様」と形式的に呼んでしまっている、
そんな自分であることを反省しつつ、
心から誇りに思い、感謝すると同時に、
子女としての道理を果たせるように、
孝情を持っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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