2021年06月18日

「あんたの目は神様のようだ」 証しをじっくり聞いてくださった真の父母様 《神明先生夫妻》



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以前「世界家庭」に掲載された
神明(しんみょう)先生ご夫妻の証しを紹介します。


慕わしきわが主、わが父母 真の父母様との思い出(2017.2/P.72〜81)
 深い神様の心情圏に没入し、一刻一刻を過ごされるかた

第16回ベルべディア家庭教会(ニューヨーク州)神明(しんみょう)忠昭・澄江(777家庭)
UTS(統一神学大学院)第2代総長を務めた神明忠昭さんと妻の澄江さんは、1970年代から米国で歩み、真の父母様から直接の指導を受けてきました。忠昭さん夫妻に、真の父母様との多くの出会いの中から、その一部を語っていただきました。また、忠昭さんが真の父母様のみ前で何回か証しした、入教するまでの天の導きに関する内容は、次号以降で掲載する予定です。(文責・編集部)


忠昭さん:私は福島県会津地方の田舎出身ですが、一九六六年、東大の学生(理科一類)のときに入教しました。その一年後に、訪日された真のお父様にお目にかかったとき、「名前は、何だ?」「立って、歌を歌え」と声をかけていただきました。その後も、「おまえは、神秘的で妙味がある」とか「新鮮な妙薬である」というみ言を頂きました。そして、一九七三年に渡米してから数年後に長女が生まれ、命名していただきに伺ったとき、真のお父様が『新明』(神明さんの本名)を『神明』に変えなさい」とおっしゃったのです。

その後も、多くの食口がいる集会で、真のお父様とこのようなやり取りがありました。「あんたの名前は漢字で、どう書くんだっけ?」「本籍では、新しいという字と明るいという字で、『しんみょう』と読みます」「何を言うか。神が明るいと書くのがオリジナルだ。だから、これから、それを必ず使うように」

また、別のときにも、イーストガーデン(米国ニューヨーク州)で、真のお父様が「あんたの名前は、どう書くんだっけと言われながら、確認のために私が答えるようにさせられました。皆の前で、「指で書いてみろ」と言われたこともあります。また、お父様はあるとき、神明の明るいという字に関して、「先生の文鮮明の明と同じだろう」と言ってくださったこともありました。


澄江さん:私は群馬県の永楽村、現在の邑楽郡千代田町に生まれました。小学校の図書館には、『世界少年少女文学全集』のような本がたくさんありました。そのような本を読むと、必ず聖句が出てくるのです。それで、すごく聖書に興味を持って、教会に行かなければならないと思いました。ところが、永楽村には教会がなかったのです。

高校二年のとき、友達に誘われて初めて教会に行ったのですが、それがイースターの日でした。それからも、聖書に関心を持って読むのですが、不思議なことが象徴的に書かれていて、よく分かりませんでした。それで、真実の教会はどこにあるのだろうと思い、いろいろな教会を探し回っていたのです。

そして、中央大学入学で上京してから友達に誘われて初めて統一教会に行ったのが一九六六年でした。統一教会には、他のキリスト教会にはない若さと活気があり、兄弟たちの目も清く、普通の人と違うように感じました。当時は、いつも足が自然に渋谷の南平台(原研本部)に行ってしまうような感覚でした。


忠昭さん:真の父母様との出会いを一つ一つ思い出してみると、真のお父様は、「あんたの目は、神様の目のようだよ」「あんたは神様が見るのと同じ目で物事を見詰めるような人間なんだ」と、私にとって、身に余るみ言を下さいました。ジャルジン(ブラジル)四十修(世界平和と理想家庭のための四十日特別修練会)でも、イーストガーデンでも、韓日米欧の国家メシヤが集った集会などでも、よく「神明、神明」と呼んでくださったのです。「神明、証しをしなさい」とおっしゃることが何回もありました。真のお父様は、他にも、「あんたは神様が導くことになっているんだ」「神明は日本人ではないんだ。韓国人でもない。中国人でもない。ロシア人でもない」と言われました。


そして、真のお父様は、「神明は、いつも自分の身を地獄の底に置いておこうとする」とおっしゃったのです。私はこれを聞いて、びっくりしました。なぜならば、それこそが、ずばり、私の信仰信条だったからです。それは、神様の本質を知りたかったからです。苦労してこられた神様の本質を知るためなら、その重荷、十字架を体験するために地獄のどん底に落とされてもいいという思いを長年、持ってきました。地獄の人を哀れまれる神様の思いを知ることができれば、神様の愛の本質が分かるのではないかと考えていたからです。ですから、とんでもなくつらい道があっても、それを当然のものとして受け入れました。

真のお父様は、それを霊的に察知しておられたのです。そして続けて「でも、地獄に染まっていないね。かえって地獄を明るくともす、ろうそくのようだ」という激励のみ言を下さったのです。


一九九六年九月、真のお父様は、「先生はよくも神明をUTSの総長にしたね」とおっしゃいました。私は、「夢にも思っていないことでした。ただ全体勝利のために人々の下に回って、懸命に皆に仕えていただけです」とお応えしました。すると、真のお父長様は即座に「だからUTSの総長になったんだよ」とおっしゃったのです。

UTSの初代総長は金相哲(キムサンチョル)先生(三十六家庭)です。歴史的に苦労した韓国の先生ですから、日本人に対する偏見も少なからずお持ちでした。また、UTSは米国の神学大学院ですから、金相哲先生の立場で考えれば、米国人の優秀な兄弟をUTSで用いたいというのは当然のことでしょう。ところが、金相哲先生が期待された米国の兄弟たちより先に、私が(米国の大学で神学の)博士号を取ってしまいました。そして、博士号を取得したことを真のお父様にご報告すると、「すぐにUTSに行け」とおっしゃったのです。

歴史的に、日韓も怨讐であり、また日米も怨讐です。日本人の私が頑張ろうと思っても、当時は初代総長は霊的に高い壁が立ちはだかっていました。理不尽なことが多かったのです。ですから、先ほどお話しした、「地獄のどん底で、どんな苦労をも消化しよう。そうすれば、悲しかった、つらかった神様の愛の本質を本当に知ることができるはずだ」という精神で、懸命にUTSに仕えていたのです。


一九九四年にUTSの総長に就任してから二年後、私は、初めて真の父母様のみ前で、入教したときの証しを長々とさせていただきました。じっくりと全て聞いてくださった真のお父様は、「霊界が導いた。霊界が本当に働いたんだね」とおっしゃいました。

慕わしきわが主、わが父母 真の父母様との思い出
第16回ベルべディア家庭教会(ニューヨーク州)
神明(しんみょう)忠昭・澄江(777家庭)
(「世界家庭」2017.2/P.72〜81)
「深い神様の心情圏に没入し、一刻一刻を過ごされるかた」


「十字架を体験するために地獄のどん底に落とされてもいい」
この思いをもって信仰を歩んでこられたので、
いままで紹介した神明先生の様々な証しは、
信仰の根っこのすばらしさにあると思いました。

神明先生のような生活信条をもてば、
どんな困難にあってもすべてが感謝であり、
イエス様、真の父母様と同じ心情を通過できると思います。

それをお父様は察知されて、
喜んでおられたのだろうと思います。

「私もそのように歩みます!」
と宣言できるような信仰の強い者ではありませんが、
先生の信条を教訓にしていきたいと思います。




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