2021年11月25日

医者に安静にしなさいと言われた6ヵ月を、神に捧げ、最初の開拓伝道へ 《松本ママ奮戦記》



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路傍伝道に出掛ける(1961年)


松本ママの自叙伝「信仰は火と燃えて」より、
『伝道に生きる生活の始まり』の後編です。


「牧師は西川(崔奉春)先生のことをサタンだと言うけれど、
神様を信ずる人をたくさんつくったから
地獄に行けと言われて行けば、そこが天国なんだ。

西川先生のあとに従って私も伝道しよう」
その一言で、私の心はピシッと決まりました。

そして、「神様に誓います。
医者は六カ月安静にしなさいと言いましたが、
私はその六カ月間を神様にささげて伝道します。
堕落性を脱ぎます。

もし私が途中で伝道をやめ、手を鋤(すき)にかけて
後ろを振り向くようなら、
私を地獄の十二丁目まで行かせてください」
と、大変な祈りをして新しい出発をしたのでした。

 
それから小さな黒板を準備しましたが、西川先生が
最初に連れていってくれた場所は、明治神宮外苑でした。

1960年8月16日、夏休みだったので庭園には
学生や若い男女があふれていました。
西川先生は、恋をささやき合う
アベック(カップル)を見て言いました。

「ここはエデンの園を象徴しています。
あちこちで二枚舌でもって
ささやき合っている男女に、神様の証をしなさい。
40日間、あなたはやれますか」

「はい、やります。
どうしてもやらなければなりません。
先生、お祈りしてください」

西川先生は、私の手を握って祈ってくださいました。
私は、死んでも行こうと固い固い決意をして、
初めての40日の開拓伝道に出発したのでした。


黒板を掛け、「神様、どうか私を助けてください」
と必死で祈りながら、アベックのそばに行きました。

そして、女性には「お嬢さん、この人はあなたを愛していませんよ。
あなたには将来もっとハンサムで金持ちの男性が現れますよ。
私は占師です」と言って興味を引き、

男性には「あなたは、一年か二年後、
白雪姫のような女性が恋人になるでしょう。
なぜ分かるか知りたければ黒板の下までいらっしゃい」
と言って集めるのです。

そして、神と人間と万物の
本来あるべき姿を語って伝道しました。

その時そこに集まった男女たちは、
まるで幼稚園の子供のように見えました。
それは、いと小さい者の口から流れる神のみ言(ことば)が、
あまりにも高く貴い真理だったからそう思ったのでしょう。

その後30日目ぐらいになると、
「ここには日本の神がいる。
こんな所でヤソの話をするな」と
迫害する人が出てきました。

けれども私は、殉教するつもりで決意していましたから、
誰が来ても何を言われても一歩も譲らず、
40日の開拓伝道をやり遂げました。

 
そして40日目、夢の中でメシヤが私のところへ来られました。

非常に驚いた私は、何かお食事の準備をと思い、
急いで自転車に乗って八百屋に買物に行こうとした時、
メシヤは親しげなお声で、「娘よ、
ここに残っているほうれん草で十分です」
と私を止められました。

私は「はい」と頭を下げながら、
緊張と感激で固くなっている自分を感じました。

目が覚めてからも心はとても満たされ、
この不思議な夢はいったいどんな意味だろうかと、
一日中感動の波が私を包みました。


結局、40日間、私は意気地のない古い自分から脱け出し、
神様との約東を守るために必死でやったのですが、
神様から見れば、私がどれだけ根気強く最後までやるかという
訓練の期間であったと思います。

また、西川先生の必死なる祈りに支えられて
歩んだ期間でもありました。

こうして日本での初穂として立たされ、
西川先生と共に伝道に生きる生活が始まったのです。

松本 道子・著
(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
アプリで読む光言社書籍シリーズ
blessed life


西川先生(崔奉春宣教師)が最初に
日本に来られたのが、1958年夏、
最初の礼拝が1959年10月。

日本統一教会(現:家庭連合)で一番最初に
40日間の路傍伝道をしたのが、松本ママです。
その日が、1960年8月16日(〜9月25日)、
日本の初穂が見事に実った瞬間でした。

前回もお伝えしたと思いますが、
み言も完ぺきに聞いたわけでもないし、
おそらくお父様も証しされたわけでもない、
そんな中で路傍伝道をされたということが、
本当に素晴らしいことだと思いました。

伝道するように言われた西川先生、
そのみ言を全面的に受け入れ、
そのごとくに歩んだ松本ママでした。

40日間、本当に精誠を尽くされたので、
メシヤが夢に現れたのだと思います。
その「メシヤ」というのは、誰なのか、
どのような姿で現れたのかは、
まだ証されていませんが。。。

この歩みが、のちの伝道師松本ママの
基礎を築いたのですね。
やはり、精誠の重要性、
アベルから言われたことを守っていく、
この大切さを感じます。

無謀ではあったかもしれませんが、
まさに「信仰は火と燃えて」という
松本ママの篤い姿勢が表れた
素晴らしいエピソードだと思います。





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posted by ten1ko2 at 09:43 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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