松本ママの自叙伝「信仰は火と燃えて」より、
『聖別された群れ』の前半です。
☆
40日の開拓のあと、今度は学生伝道を始めました。
お茶の水駅の近くにキリスト教学生会館があったので、
そこの掲示板で聖書研究会のある曜日を確かめ、
出掛けていったのです。
お茶の水には、明治大学や中央大学など
たくさんの大学が集まっていて、
聖書研究会にも多くの学生が集まっていました。
そこで出会った最初の人が、
小河原節子さん(現、桜井夫人)でした。
☆
聖書研究会の日、私は十分ほど早く会場に行きました。
すると彼女も早めに来て待っていたのです。
私はさっそく「あなたも聖書研究会にいらしたのですか」
と声をかけ、二言三言話をしました。
その時、このお嬢さんだ、と
探していた人に出会ったような感動が胸に込み上げてきたのです。
そこで、研究会の間中、どうかこのお嬢さんと
話ができますように、と心の中で必死に祈っていました。
そして、聖書研究会が終わると、急いで小河原さんのそばに行き、
「もう少し神様のお話をしましょうよ。
今晩の牧師さんのお話、分かりましたか」と誘ってみました。
彼女は、私があまり熱心に言うので、
根負けして仕方なしについて来ました。
私は、近くの喫茶店に入ると、
椅子(いす)に座るやいなや、
創造原理の講義案をぱっと広げて見せました。
それを見せながら、神様のこと、宇宙のことを説明したのです。
彼女は、その話を興味ありそうな顔をして聴いていました。
彼女は専修大学の学生で、いろいろな話をしたあと、
「すばらしい先生が日本にいらしているのですが
会ってみませんか」と言うと、
「一週間後なら時間があります」と言って、
再会を約束してくれました。
私はその日が来るのが待ち遠しくてたまりませんでした。
40日間の開拓伝道の時には、
多くの人と約束はしましたが、
一人も来てくれなかったのです。
☆
約束の日、駅の改札口で待ち合わせていたのですが、
私は待ちきれなくて、入場券を買って
ホームまで上がっていきました。
すると帽子をかぶった小さな学生姿の彼女が、
ちょうど電車から降りてくるところでした。
私は、彼女の姿を見たとたん、懐かしくて懐かしくて、
思わず走り寄って彼女を抱きかかえていました。
そして、「よく来てくださいました」と言って、
抱きかかえながら駅の改札口を出たのでした。
彼女はただ約束どおり来ただけなのに、
私があまり懐かしがって喜ぶので
不思議で仕方がなかったそうですが、
私にしてみれば、約束を守って来てくれた
最初の人で、それは涙が出るほどうれしかったのです。
☆
そのころ西川先生は、昼間はアルバイトをして働き、
夕方から、大久保駅の裏通りにある
町工場の事務所を借りて講義をしていました。
先生が掛けた看板が見えてくると、
私は少しでも早く先生を喜ばせたくて、先に走っていきました。
彼女を紹介すると、先生は
ちょっと話をしただけですぐ講義を始めました。
私は、もう個人では先生の講義を聴くことができません。
人を連れてきて、その人が聴く時に初めて
一緒に聴くことができるのです。
ですから、この講義は、私にとっても
40数日ぶりに聴く講義でした。
☆
一緒に創造原理を聴きながら、私の心は躍りました。
創造主なる神様を一層深く心で知ることができ、
感激の涙が流れてなりませんでした。
隣を見ると、小河原さんも泣いていました。
「神様は、人間を神様の喜びの対象として、
また万物を人間の喜びの対象として創造されました。
ところが人間は堕落して、万物より劣った存在となり、
神様に喜びをささげることができなくなってしまったのです」。
講義がその場面に来ると、彼女は
はらはらと涙を流して泣いているのです。
それを見ながら、この人は神様の心が分かる
すばらしい人だと思いました。
その日から、彼女は毎日学校の帰りに
事務所に来るようになり、一緒に伝道するまでになったのです。
☆
その後、岩井裕子さん(現、神山夫人)という
クリスチャンの乙女をはじめ
7人くらいの学生が集うようになると、
事務所の一室では狭くなってきました。
そこでアパートを借りて共同生活をしようということになり、
みんなで苦労して探し、飯田橋に
四畳半に小さな台所がついただけのアパートを見つけました。
私たちは、それぞれ自分の財布をはたいてお金を出し合い、
『原理解説』という本を300冊作ってから、
飯田橋のアパートに引っ越しました。
☆
ようやく共同生活をしながらの本格的伝道生活が始まりました。
しかし、もうお金も食物もありません。
そこで、初めのうちはパンの耳や、
麦だけの御飯でおにぎりを作って食べました。
また、「猫にやるからちょうだい」と言って、
魚屋で魚の頭や骨をもらい、
「鳥にやるからちょうだい」と言って、
八百屋で大根の葉をもらってきて、
それを一緒に煮て食べるのです。
冬になると、麦のおにぎりは固くなり、
ポーンと投げるところころ転がるのです。
それを洗って、ガリッと食べました。
考えてみれば本当に貧しい食事でしたが、
それがとてもおいしくて、
自分たちが貧しいなどとは思いもしませんでした。
松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
信仰は火と燃えて 4
聖別された群れ
(blessed life)
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
信仰は火と燃えて 4
聖別された群れ
(blessed life)
☆
松本ママが最初に伝道された時、
神様は、本当に純粋で素直な方を伝道されました。
それは、松本ママご自身が、
天の前に純粋な心情で歩んでおられたからでしょう。
中心を証し、喜んでいただきたい、
そんな思いで歩むと、不思議と、
天の前に立つ、良き人に出会ったりするものです。
開拓初期のころは、文字通り、耳パン生活でした。
しかし、西川先生を中心として、
本当の兄弟姉妹のように、慕わしいメンバーたち、
その愛ある関係があってこそ、貧しい生活の中に、
喜びの思いが勝っていたのだと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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