2021年12月09日

耳パンと野菜くずの食事 でも、自分たちが貧しいなどとは思わなかった 《松本ママ奮戦記》



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松本ママの自叙伝「信仰は火と燃えて」より、
『聖別された群れ』の前半です。

 
40日の開拓のあと、今度は学生伝道を始めました。

お茶の水駅の近くにキリスト教学生会館があったので、
そこの掲示板で聖書研究会のある曜日を確かめ、
出掛けていったのです。

お茶の水には、明治大学や中央大学など
たくさんの大学が集まっていて、
聖書研究会にも多くの学生が集まっていました。

そこで出会った最初の人が、
小河原節子さん(現、桜井夫人)でした。

 
聖書研究会の日、私は十分ほど早く会場に行きました。
すると彼女も早めに来て待っていたのです。

私はさっそく「あなたも聖書研究会にいらしたのですか」
と声をかけ、二言三言話をしました。

その時、このお嬢さんだ、と
探していた人に出会ったような感動が胸に込み上げてきたのです。
そこで、研究会の間中、どうかこのお嬢さんと
話ができますように、と心の中で必死に祈っていました。

そして、聖書研究会が終わると、急いで小河原さんのそばに行き、
「もう少し神様のお話をしましょうよ。
今晩の牧師さんのお話、分かりましたか」と誘ってみました。

彼女は、私があまり熱心に言うので、
根負けして仕方なしについて来ました。

私は、近くの喫茶店に入ると、
椅子(いす)に座るやいなや、
創造原理の講義案をぱっと広げて見せました。

それを見せながら、神様のこと、宇宙のことを説明したのです。
彼女は、その話を興味ありそうな顔をして聴いていました。

彼女は専修大学の学生で、いろいろな話をしたあと、
「すばらしい先生が日本にいらしているのですが
会ってみませんか」と言うと、
「一週間後なら時間があります」と言って、
再会を約束してくれました。

私はその日が来るのが待ち遠しくてたまりませんでした。
40日間の開拓伝道の時には、
多くの人と約束はしましたが、
一人も来てくれなかったのです。

  
約束の日、駅の改札口で待ち合わせていたのですが、
私は待ちきれなくて、入場券を買って
ホームまで上がっていきました。

すると帽子をかぶった小さな学生姿の彼女が、
ちょうど電車から降りてくるところでした。

私は、彼女の姿を見たとたん、懐かしくて懐かしくて、
思わず走り寄って彼女を抱きかかえていました。

そして、「よく来てくださいました」と言って、
抱きかかえながら駅の改札口を出たのでした。

彼女はただ約束どおり来ただけなのに、
私があまり懐かしがって喜ぶので
不思議で仕方がなかったそうですが、
私にしてみれば、約束を守って来てくれた
最初の人で、それは涙が出るほどうれしかったのです。

  
そのころ西川先生は、昼間はアルバイトをして働き、
夕方から、大久保駅の裏通りにある
町工場の事務所を借りて講義をしていました。

先生が掛けた看板が見えてくると、
私は少しでも早く先生を喜ばせたくて、先に走っていきました。

彼女を紹介すると、先生は
ちょっと話をしただけですぐ講義を始めました。

私は、もう個人では先生の講義を聴くことができません。
人を連れてきて、その人が聴く時に初めて
一緒に聴くことができるのです。

ですから、この講義は、私にとっても
40数日ぶりに聴く講義でした。

 
一緒に創造原理を聴きながら、私の心は躍りました。
創造主なる神様を一層深く心で知ることができ、
感激の涙が流れてなりませんでした。

隣を見ると、小河原さんも泣いていました。

「神様は、人間を神様の喜びの対象として、
また万物を人間の喜びの対象として創造されました。

ところが人間は堕落して、万物より劣った存在となり、
神様に喜びをささげることができなくなってしまったのです」。

講義がその場面に来ると、彼女は
はらはらと涙を流して泣いているのです。
それを見ながら、この人は神様の心が分かる
すばらしい人だと思いました。

その日から、彼女は毎日学校の帰りに
事務所に来るようになり、一緒に伝道するまでになったのです。

  
その後、岩井裕子さん(現、神山夫人)という
クリスチャンの乙女をはじめ
7人くらいの学生が集うようになると、
事務所の一室では狭くなってきました。

そこでアパートを借りて共同生活をしようということになり、
みんなで苦労して探し、飯田橋に
四畳半に小さな台所がついただけのアパートを見つけました。

私たちは、それぞれ自分の財布をはたいてお金を出し合い、
『原理解説』という本を300冊作ってから、
飯田橋のアパートに引っ越しました。

 
ようやく共同生活をしながらの本格的伝道生活が始まりました。

しかし、もうお金も食物もありません。
そこで、初めのうちはパンの耳や、
麦だけの御飯でおにぎりを作って食べました。

また、「猫にやるからちょうだい」と言って、
魚屋で魚の頭や骨をもらい、
「鳥にやるからちょうだい」と言って、
八百屋で大根の葉をもらってきて、
それを一緒に煮て食べるのです。

冬になると、麦のおにぎりは固くなり、
ポーンと投げるところころ転がるのです。
それを洗って、ガリッと食べました。

考えてみれば本当に貧しい食事でしたが、
それがとてもおいしくて、
自分たちが貧しいなどとは思いもしませんでした。


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松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

信仰は火と燃えて 4
聖別された群れ
(blessed life)


松本ママが最初に伝道された時、
神様は、本当に純粋で素直な方を伝道されました。
それは、松本ママご自身が、
天の前に純粋な心情で歩んでおられたからでしょう。

中心を証し、喜んでいただきたい、
そんな思いで歩むと、不思議と、
天の前に立つ、良き人に出会ったりするものです。

開拓初期のころは、文字通り、耳パン生活でした。
しかし、西川先生を中心として、
本当の兄弟姉妹のように、慕わしいメンバーたち、
その愛ある関係があってこそ、貧しい生活の中に、
喜びの思いが勝っていたのだと思います。



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posted by ten1ko2 at 07:24 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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