2021年12月24日

入院中の無神論の義父が祝福をOKしたのは・・・?! 《北谷先生*死んだらわかるけど、それでは遅い》



211224-1995.0825blessimg36man.jpg


北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
今回は、『入院中の義父を祝福に導く』です。


一九九五年、三十六万双の祝福結婚式(八月二十五日)を
間近に控えた頃、私は、がんで入院していた
義父(妻の父)を見舞いに行きました。
母と兄も一緒に来てくれました。

私は義父の体調を見ながら、祝福の話を切り出しました。
義父は三万双祝福式のときのマスコミ報道の
影響を受けていましたから、
なかなか「うん」と言いませんでした。

当時、 祝福結婚式について、
とても批判的で一方的な報道がなされていました。


私は義父に、「私たちが家庭連合に入る前と後では、
どちらが良くなりましたか?」と聞きました。

私たち夫婦は、祝福を証しするために
変わろうと努力していたので、
以前よりは良くなっているという
自負がありましたから、自信を持って尋ねたのです。

案の定、義父はグッと言葉に詰まりました。

しかし、消極的な姿勢は崩さず、
「じゃあ、 退院してからにしよう」と言いました。

私は、義父が私たちのことを「以前よりも
良くなった」と感じてくれていたことに力を得て、
「退院してからでは遅いです。
今からどうですか?」
と祝福を受けることを勧めました。


そばにいた母や兄も、亡くなった父が初盆に霊界から出てきて、
「死んだらわかるけど、それでは遅い」
と言ったことを義父に伝えて、後押ししてくれました。

義父は無宗教で霊界を信じない人でしたが、
義理人情に厚い人でした。
それで、母や兄がいる手前、むげにすることもできず、
「分かった」と承諾してくれたのです。

私はすぐさま病室で義父の写真を撮りました。
付き添っていた義母には、前もって祝福の話をして
納得してもらっていたので、義母はその写真を持って、
三十六万双祝福結婚式に参加するために
韓国に行ったのです。

光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
5 祝福は天国への切符
入院中の義父を祝福に導く


祝福の意義と価値というものは、
み言をある程度学んで、
一通り理解しないとわからないものです。

しかし、今は、結論が『祝福結婚』というような時です。
家庭連合であることを伝え、
夫婦が貞操を守り、離婚はしない、真の家庭を築く、
そのようなことを認識していただければ、
誰でも祝福を受けることができるのです。

先日、地元の名士の方に祝福を受けていただきました。
ご本人とは数年のお付き合いですが、
奥様とは一度しかお会いしていません。
なので、教会のことは知っておられますが、
み言は一切学んでいないし、
教会に来たこともありません。

しかし、ご主人が誘ってくださり、
教会に来てくださいました。
最初は固い表情でしたが、
教会長のポイント講義を受け、
そのあと、式典に臨まれました。

最終的には和やかな表情になられ、
その後の懇親会でも地元の話題に花が咲きました。

やはり、み言を学んでいただくことも重要ですが、
それとともに、信頼関係を築くことも大事だと思いました。

ちなみに、奥様は、
「夫が、『ただ座っていればいいから』そう言われてきました」
と言っておられたそうです。
ご夫婦の信頼関係も重要ですね。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 09:35 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。