2022年01月16日

アボジが幼少から、困っている子供を見ると見過ごせなかったのは 《史吉子先生》



220116.jpg


史吉子先生のみ言より、
「お父様が神様の召命を受け入れられる」(前半)です。


お父様は16歳の時、主の召命を受けられました。

お父様は8歳の時から、既に
驚くべき能力を見せてくださいました。

ところがお父様には、一つ残念なことがありました。

お父様の祖父の弟である文潤国氏は、
キリスト教の牧師でしたが、
愛国運動をしながら多くの苦難を受けました。

これを見て来られたお父様は、
「どうして、わが国はこんなふうに弱いのか?
 力があまりにも無い。
 日本人たちにやられながら生きるのが、口惜しい。」
と、このように感じられたそうです。


220116_2.jpg


お父様は幼少の頃、近所の子供たちを連れて歩きながら、
熱心に鳥を捕まえたり、うなぎを捕まえたりしました。
お父様は、なぜそうされたのでしょうか?

お父様のみ言を通してみると、
お父様の同じ年頃の子供たちのためでした。

当時、韓国人は食べるものがありませんでした。
それで幼い子たちが、「お兄ちゃん。僕、肉が食べたい。
甘いものが食べたい。」と言ったそうです。

なぜかと言えば、日本人たちが全て奪って行ったからです。

お父様は、その子たちに肉を食べさせたいと考えられました。
それで、穴を掘って木の枝を渡した罠を作っておき、
手を叩きながら口笛を吹かれたそうです。

そうすると、空を飛んでいた様々な鳥が飛んで来て、
頭を下にしたまま落ち、罠に突っ込んで来たそうです。
そうして捕まえた鳥を焼き、
お腹いっぱい食べさせたとのことです。

火で焼いた鳥の肉を食べた後は、
子供たちの口に炭がついて、真っ黒になりました。

それでも鳥がたくさん残るので、
子供たちと一緒に鳥をズボンの内側に入れて帰り、
近所の人たちに分けてあげたのですが、
村に戻って来るまでに、ズボンの中にいた鳥が
逃げられず、もどかしいので、お父様のお腹を
嘴でつんつんつついたり、糞をしたりしたそうです。

お父様はその鳥のせいでとても辛くて、
この鳥たちを早く分けてあげなくてはと、
村まで走って行かれたそうです。


その子供たちの中に、お父様の従弟であられる
文龍基長老がいました。

文龍基長老は自分もお父様のように鳥を捕まえようとして、
その場所に来て手を叩き、口笛を吹いたそうです。

しかし、いくらやっても一羽も飛んで来なかったそうです。
お父様が鳥を捕えられたのは、 霊的な能力だったのです。


幼少の頃からお父様は、心から人のために生きられました。

南米の土地をたくさん購入されてからもおっしゃったのは、

「私がどうして幼い時から友達に食べさせ、
 どんどん施そうとしたのか分かるか?

 それは神様もそうであり、
 メシヤも生命をもって生まれた
 人間を飢え死にさせてはいけないからだ。」


とおっしゃいました。

人間が飢え死にするのが、 神様にもメシヤにも
一番苦痛に感じることだそうです。

それで神様が、 あの小さい村の
困っている子供たちに食べさせる練習をさせたのです。


お父様は、獄中生活を6回もされました。

それで、色々な悲しいことの中で一番悲しいことは、
「ひもじい悲しさ」だとおっしゃいました。

ですから、お父様は
「絶対に人のお腹をすかさせてはいけない。
 私が死ぬ前に、人が飢えて死ぬ現象は
 必ず解決しなければ。」


と決心されてから言うのです。

お父様は最近でも、

「人類の飢餓問題は、
 私が解決してから逝かねばならない!」


と、痛切に感じておられます。


お父様が買われたブラジルの土地は、
太陽の光と水が豊富で三毛作が可能だそうです。
米を1年に三回収穫することができると言うのです。

それでお父様は、

「ブラジルに農地を作っておいて、
 北朝鮮の人や全世界のお腹をすかせた人は
 皆来なさいと伝えなさい。

 土地をタダで分けてあげて、農業ができるようにして、
 飽きるほどにお腹いっぱい食べさせなければ。」


とおっしゃいました。
そう言われながら、
神様が幼い頃からそういう練習をさせたんだ
とおっしゃいました。

お父様は、そういうメシヤとしての生涯を
ご自分も知らないうちに歩んで来られたのです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論
「お父様が神様の召命を受け入れられる」


「ご飯は愛である」と言われた真のお父様。

興南刑務所で生命よりもご飯一つ粒が貴いといわれる環境で
ともに過ごした囚人たちにご飯半分を分け与えられました。

人にご飯を食べさせることが
どれだけ重要なことか、骨身にしみて
感じておられた真のお父様でありました。

世界の飢餓を解決されるため、
お父様の思いを引き継がれて、
お母様も最前線で歩んでおられることに、
心から感謝いたします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:21 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。