2022年01月15日

40日開拓 マイクとのぼり、伝説の伝道ルックの始まり 《松本ママ奮戦記》



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松本ママの「信仰は火と燃えて」より
「父よ、彼らを赦したまえ」前半です。

40日の開拓伝道、寝るところもなく
サバイバルの5日が過ぎようとしています。


伝道を始めて5日目、この日も一日中
話を聞いてくれる人を探して、足を棒にして歩き続けました。

4日間の睡眠不足もあって、夜の10時ごろには
もう疲れ果ててしまいましたが、12時までは活動することにしていたので
まだ休むわけにはいきません。

もう一軒行ってみよう、そう思って気を取り直し、
疲れた足を引きずりながら再び歩き始めたのです。

ふと顔を上げると、目の前に教会が見えました。

夜の11時ごろでしたが、その教会は、いつ誰が来ても
入れるように、表のドアが開かれていました。

「こんばんは」と声をかけて入ってみると、
電気はついているのですが、何の返事もありません。

私は靴を脱ぎ、黒板とショルダーバッグを持って、
静かに2階に上がってみました。

2階は広々とした礼拝堂で、誰かいたら、
そこに泊めてもらって話をしたいと思っていたのですが、
シーンと静まりかえっています。

重い荷物を下ろし、礼拝堂の窓から外を見ると、
町のネオンが薄ぼんやりとくたびれたように見えました。

ああ、もう12時ごろだなあ。
そう思うともうどうにも眠たくて、立っていることができません。

そこで「天のお父様、私は今晩この礼拝堂で
泊めさせていただきます。
明日の朝、この教会の牧師に会いましたら、
どうかこの天のみ言(ことば)を語ることができますように、
そして牧師がみ言を受け入れることができますように」と、
切実な気持ちで泣きながら祈ると、
礼拝堂の椅子の上に横になりました。

そして、久し振りに屋根の下で、
気持ちよく眠ることができました。


ところが、ぐっすりと一眠りしたころ、
すすり泣きながら祈っている声で目が覚めたのです。
もう夜明けかと思ったのですが、外はまだ暗く、午前2時ごろでした。

その声は、韓国の言葉で
「主よ来たりませ。あなたの約束の日は近づいてまいりました。
どうか一日も早く来て、この世を救ってください」
と泣きながら祈っているではありませんか。

それは韓国人のおばあさんの声でした。
私は起き上がっておばあさんのそばに近寄り、
声をかけてみました。

「おばあちゃん、今の祈りは聞かれますよ。
神様は主をすぐ遣わしてくださいます。
今、私は天から啓示を受けました。
あなたが求めている主は、もうあなたのすぐ近くにいます」。

「本当ですか。あなたはどこから来たんですか」。
おばあさんは、驚いて聞き返しました。

「私は、もうすぐ主が来られることを知らせるために、
東京からやって来たのです」

そう言いながら、私はピアノの後ろに置いてあった
黒板を持ってきて、講義を始めました。

おばあさんは真剣に聞いていました。
そして、私を、神様から遣わされた偉い伝道師として
迎え入れてくれたのです。

 
その日から、私はそのおばあさんの家に泊めてもらうことにしました。

家といっても、焼け跡にトタンで造った小さな小屋で、
しかも畳を二枚敷いて小さな台所をつけただけのものでしたが、
私にとっては、畳の上で寝られるというだけで、
感謝の気持ちでいっぱいでした。

おばあさんは、金さんといって8年間も信仰をもっているクリスチャンで、
たった一人で日雇い人夫をしながら、
再臨の主を待ち望んでいたのです。

まさに5日間の苦労の土台の上に、神様が会わせてくれた人でした。


その翌日伝道費がなくなったのでくず屋をやろうと思い、
金ばあさんにくず屋を紹介してもらいました。

リヤカーとはかりを借り、もんぺをはいて
麦わら帽子をかぶり、元気な声で
「おばあちゃん、行ってきます」と言って出掛けたのです。

すると金ばあさんが、「オーッ」と泣き出して私を呼び止め、
「あなたをそのままくず屋に行かせたら、私は天罰を受けるよ」
と言って貯金通帳を出し、それを全部献金するから、
くず屋に行かないで伝道してくれと頼むのです。

通帳の中を見ると、おばあさんが毎日働いて、
100円、200円と貯めたもので、15,000円ほどたまっていました。

私は感謝の祈りを捧げて、そのうち13,000円を受け取ると、
YMCAの青年会館に行きました。

聖書研究会をするからということで、
午後3時から5時まで、40日間
この場所を貸してもらうことにしたのです。
一日の借り賃が300円で、1カ月分を払い込みました。

そして、早速西川先生に手紙を書いて、5日間の歩みを報告し、
パンフレットを送ってほしいとお願いしたのでした。
数日後、聖書研究会をやる場所を印刷したパンフレットが、
速達で送られてきました。

残りのお金でマイクを買い、パンフレットを
両方のポケットに入れて、それから本格的な伝道が始まったのです。

毎朝8時から10時までと夕方5時から6時までは、
駅で路傍伝道をしました。

左手に真っ白なのぼりを持ち、右手にマイクを持って、
道行く人に呼びかけるのです。



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松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13157
信仰は火と燃えて 6
父よ、彼らを赦(ゆる)したまえ
(blessed lifeより)


松本ママの開拓伝道の証し。。。
本当に壮絶な歩みです。

限界の限界の中で、
金おばあさんとの出会いがありました。

神様は、松本ママの精誠を覚えられ、
ちゃんと準備しておられたのでした。

野宿をされながら、
夜12時まで伝道活動をされた松本ママ。

開拓草創期、このような基準で歩まれた
大先輩がおられたからこそ、
今の家庭連合の発展がありました。

そのことを肝に銘じながら、
私たちも、それぞれの与えられた環境圏での愛する歩み
また、神氏族メシヤ最前線の歩みを
なしていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 09:57 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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