2022年01月30日

「意味があるよねー」と言いつつ、宗教的建前だったりする?! 《蝶野部長*精誠篇》E

問題はにあるのでなく、私のにあった!



220130.jpg


蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長
「精誠篇(せいせいへん)」の続編です。


いつも一部の言葉に引っかかる人がいます。
しかし、全くかからない人もいます。

いちいちいちいち言葉尻をつついてくる人は、
やっぱり先祖が、人の言葉にひっかかってきた人なんですよ。

そのクセがある人は、その瞬間、
『ああ、あの人の言葉がおかしい』と思うのではなくて、
『私はいつもこのクセがあるなぁ』と考えましょう。

蕩減の内容は相手にあるのではなく、こっちにある。
そもそも、その蕩減の内容を、
皆さんがどうやって分かるのですか?

例えば(アベルの言葉に引っかかった場合)
アベルが、その言葉遣いをしてくれないと
(私の蕩減の内容が)わからないわけです。
わかりますね。

つまりしてくれたことによって、自分の清算できる道を
アベルが教えてくれたということなのです。

これを実は原理講論では難しく教えています。
本当は教えているんですよ。

「私の背景的な思いだけで接しても
神様は私を通して摂理できません!」

これを発見させられました。
そうですね。


皆さん、普通の感覚だと、もう先祖の思いしか出てきません。
(私たちの思いの)99%、
ほとんどは先祖の思いなのです。

ですから、普段私たちが、普通に出てくる情
というのは、ほぼ自分(の思い=自己中心)です。

だからお父様はそういう私たちを見て
「完全自己否定せよ」と、ずーっと訓練されてきたわけです。
古い先輩方ほど、そのお父様の訓練を受けてこられました。
(だから)よくご存知だと思います。

そうしたら後天時代になって、この完全自己否定の
しかたが変わってきました。


「問題は外にあるのではなく、私の内にあった」
これ、(よく)忘れるんですねー。

「つまり、相手から感ずる思いは」何かというと、
その相手が悪いのではなくて
私の中の蕩減すべき内容であった」
清算すべき内容だった、ということです。

このことは、皆さんがすでに知っていることかと思います。
ですから、今日何か真新しい話は、一個もありません。
感謝することとか、蕩減すること、
これはみんな知っています。

ただ、今日のこの表現で、整理し、強調したりして
この講義案があるだけです。

「つまり相手の状態は、私の責任として
起こっている事」なんだ、ということなんですよ。


これはとっても霊的な話です。
「えー、そんなことないでしょう」と言われる方は、
これは宗教の門をくぐってない
ということになってしまうのですね(笑)。

「偶然はない」と、よく井戸端会議します。
「意味があるよね」
「意味があるよねー」
弁当食べながらご婦人がよく話しています。

「全部意味があるよね」と言うのですが、
で、実際に聞くと、
「いや、あの人が悪いんですよ」と言うのです。

だから、本音と宗教的会話を使い分けているのです。
これでは、いつまでたっても内面が成長しません。


「意味がある」どころではなく、本当に私のために
その自分の夫(息子・娘)の性質があるのです。

お父様も、はっきりおっしゃっています。
私は、草創期から遡って(お父様のみ言を)見てるのですが、
お父様は、今はあまり語られませんが、
昔は自己牧会的なみ言をずっと語られています。

私の責任としておこっている」、これをみなさん
まず理解していただきたいと思います。

ですから、(相手は)伝道対象者、夫婦、
そして息子さんでも娘さんでも良いです。
普通に話すほとんどが、先祖の背景と蕩減すべき情報、
これが「私の思い」として出てきているのです。

蝶野知徳・精誠篇1 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
このみ言は、2018年に蝶野部長が
広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られたものです。
(文責:ten1ko2)


蝶野部長のみ言は、
ご自身や食口の体験に基づいたものですが、
「鏡の法則」のような、
そんな感じを受けますね。。。

周囲で起こっていること、
私が問題だと感じたことは、
先祖や私の問題がその人を通して表れているもの。

蝶野部長は、
「内的蕩減」と言われています。

起こった問題に対して、
「私の責任である」と思うところから、
神様が摂理される、ということです。

さらにいうならば、
「蝶野部長から言われたから」、
「アベルから言われたから」
そう思っていても摂理されないのだと思います。

きっかけは、そうだったとしても、
私自身が悟ること、本当にそうだ、
私の責任だと自覚すること、
そこから摂理が始まっていくのだと思います。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:30 | Comment(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。