李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言
「永遠に生きる信仰」の1回目、
『マリヤとマルタ』のお話です。
☆
マリヤが泣きながらイエス様に香油を注いでも、
マルタや弟子たちは、マリヤがどういう悲しさをもっているのか
全然知らないで、ただ食事をしていました。
マリヤとマルタの信仰は比較できません。
外的に見れば「食事時間なのに食事もしようとしない、
あんな頭の悪い女はいるか」と大勢が思ったのです。
そしてまた、若い娘が結婚していない先生に対して
泣きながら高価な香油を費やすので、(ユダが)
「あんなことをするから、社会が先生や私たちを
このように迫害するのだ。
あの高価な香油を売って貧しい人々に施せば、
どれほど褒められるか」と
目に見えたものを自分なりに判断したのです。
☆
だからイエス様の立場で聞きたいのは、
「お前はいつからそんな貧しい人のために涙を流して、
情的に基台をつくってきたのか?
そういう言葉を、どこの基台の上で発見したのか?」
ということです。
本当に貧しい人に愛着心をもって泣く、
そういう情的な基台の上で話せば認めるのですが、
今までユダは金を愛する心は常にあったけれども、
人間を愛する心はなかったのです。
いわゆるどろぼうです。
どろぼうというのは、実際そのものを盗むというよりも、
情的基台がないのに「ああだこうだ」
と言うのがどろぼうなのです。
自分は汗を流さずに、他人の価値あるものを
自分のものにしようとするのがどろぼうです。
だから、愛着心をもたずに、ただ目に見えたから、
ああだこうだと判断する。
高価な香油を費やすのを見たから、もったいないと思った。
何のために費やしているのかも知らないで、
自分なりに判断したのです。
☆
マリヤは今、先生が死ぬことになったのに、
何がもったいないものがあるかいうのです。
内情を知っている立場では、もったいないものはないというのです。
自分の生命をささげてもいい、もうその場で死にたくなったのです。
香油が問題ではない。
栄誉が問題ではない。
迫害が問題ではない。
もう殺されるのに、今になって迫害を恐れることがあろうか、
命を懸けなくてはならない時が切迫しているというのです。
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
8.永遠に生きる信仰
マリヤとマルタ
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
8.永遠に生きる信仰
マリヤとマルタ
☆
マリヤとマルタ(ベタニヤのマリヤとマルタ)は、
イエス様に侍った女性の中で、
よく比較対象されています。
しっかり者のお姉さんマルタと、姉を手伝わず
み言ばかり聞いている妹、マリヤ。
マルタは外的にとてもイエス様に仕えた人でした。
イエス様や集まった人たちの接待で大忙しで、
誰よりも頑張って働いていました。
かたや、マリヤは上述にあるように、
高価な香油をイエス様のために使いました。
常識的にみると、無駄なことをしていたのかもしれません。
しかし、イエス様の本当の価値を理解していて、
イエス様に心から侍っていったのでした。
「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」
イエス様がマルタに向けて言ったみ言です。
私たちは黄金期のこの時、
真の父母様に侍る立場を与えられています。
今この時に精誠を捧げることが
どれほど貴いことかしれません。
そのことを胸に刻みんでいきたいと思います。
マルタのようにただ外的にいくら忙しく歩んでも、
天を思う心情、孝情がなければ、
本当の意味で実績も出ないでしょう。
マリヤのような信仰を求めることを
願われていると感じるのです。
(このベタニヤのマリヤとマルタ(メアリーとマーサ)の
お話はまだまだ続きます。
お楽しみに。)
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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天の血統を守るために、命を捧げたイエスの母マリアとタマルの信仰も素晴らしいですね。
八大教材教本 マルスム集 Rev.moon
神様の血統と平和理想世界王国 第3章 第2節
神様の血統と神様のみ旨を絶対信仰した摂理的人物たち(4)マリア
マリアは4千年歴史を通して、タマルを通して血統を清めてきた伝統思想をそのまま受け継いだ立場で生まれたので、もしそのマリアの腹中から赤ん坊が生まれたとしても、サタンがその赤ん坊に対しては、「私のものだ」という事が出来ないのです。タマルがペレツとゼラを生むために死を覚悟し、女性としての威信と対面など、全てのものを超越して行動したのと同じように、マリアも死を覚悟して妊娠することを決心しなければなりませんでした。タマルと同じだったのです。(54‐71、1972年月11日)
*
血統を通してタマルと同じ立場にいたのが、ヨセフの婚約者のマリアです。マリアも母を欺き、父を欺いたでしょう。アダムとエバがそのようにして堕落したので、蕩減復帰の原則がそうなのです。約婚時代に天倫に背いたために、マリアはタマルの伝統を受け継いで、子宮に神様の伝統的歴史を受け継がなければなりません。神様の祝福を受けた血統を尊重するマリアにとっては、自分の生死の境を越えて、自分の一身が死んでもそのようにしなければなりませんでした。(211‐101、1990年12月29日)
*
マリアは神様のみ旨しか知らない女性です。タマルと同じです。彼女は、アダムとエバの基準で行き違ったその基準を再現させ、天を中心として天の思想を追求することに、命を失うことに全て覚悟した女性です。み旨のためにどのようにしたのでしょうか。赤ん坊を宿せば、モーセの法によって死ぬようになるにも拘らず、神様のみ旨の為には、死ぬことも意に介せず、覚悟して進んでいった女性なのです。(58‐56、1972年6月6日)
*
マリアは命を懸けて赤ん坊を宿したこということを知らなければなりません。リベカとタマルから受け継いだ心情的基台を中心としてイエス様を宿したので、歴史的なすべての蕩減を完成した、その腹中から生まれる息子に対しては、サタンが讒訴しようとしても讒訴する道が何もないというのです。ですから、イエス様は腹中にいる時から神様の息子なのです。(92‐289、1977年月18日)
神様の血統と平和理想世界王国 第3章 第2節
神様の血統と神様のみ旨を絶対信仰した摂理的人物たち(3)タマル
「愛は一代であり、生命も一代ですが、血統は永遠です 」
(三)タマル
皆さんは、タマルに関して研究すれば、原理の全てを知る事が出来ます。タマルには、神様が願われる血統をどのようにして残せることができるのかが問題だったのです。
それが血統を愛することです。そのように血統を愛したので、タマルは血統を復帰しようとされていた神様の摂理圏に立つことができたのです。心情的に変える条件になったというのです。(35‐166、1990年10月13日)
*
タマルと言う女性は、ユダの息子に嫁いだのですが、その家庭は、ユダ支派として神様が血統的に祝福してあげた家庭です。ですから、タマルは、何よりも神様から祝福された血統を残すという、より重大な立場に立たなければなりませんでした。
サタンの子孫としての血統でなく、神様から祝福された血統を残すというみ旨から見るとき、自分の命が犠牲になる事は問題になりませんでした。自分の体裁と威信と生死の問題までも、全て超越するほどの神様の血統を尊重したのです。これが貴いのです。それで新しい血統を継承できる母になったというのです。(36‐252、1970年121月6日)
タマルは、リベカの孫の嫁です。リベカをとおして学び、神様のみ旨に絶対服従しなければならないことを知ったのです。タマルはリベカの事件を中心として、み旨を成し遂げるためには、逆さまに行かなければならないことを知っていたと。いうのです。
(29‐285、1998年8月5日)
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堕落は血統的に出発しました。ヤコブの時に環境的復帰はできましたが、根本的復帰はできませんでした。それで、3代目に当たる、リベカの孫の嫁であるタマルを通して復帰するのです。タマルは、リベカに侍ってイスラエルの伝統を学んだという事を知らなければなりません。
「このような難しい環境であなたが行くべき道は、将来危険があるかもしれないが、あなたは神様の血統を何が何でも受け継がなければならない」と言う教示を受け、霊的な世界と連結された、そのような教育を受けたのです。(379‐85、1996年7月24日)
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タマルも長子と父を欺きました。自分の夫が死んで寡婦となりましたが、熱心に信仰しながら、ヤコブの祝福の血統がどれほど貴いのか知っていたというのです。皆さんが祝福されたものと同じです。どれほど貴いかを知っているので、女性として生まれた以上、死ぬとしても神様の祝福の血統を残してから死のうと誓ったのです。命はなんでもないと決意した女性がタマルだというのです。(258‐317、1994年3月20日)
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タマルとはどんな女性か知っていますか。タマルは、神様の祝福を自分の命よりもっと重要視した女性です。その時は、一人で暮らす寡婦が赤ん坊を生めば、直ぐに石で撃たれて死ぬのです。ところが、夫が死にました。その当時、ユダヤの国の習慣は、長男の夫が死ねば二番目の息子と暮らすようになりましたが、その二番目の息子までも死にました。ですから、祝福の家系を受け継がなければならないと考えていたタマルは、自分が責任を果たせずに家系が途絶えることを心配したのです。
その家系を受け継ぎ得る道は、舅を通る道しかなかったためにタマルは、自分が死んで滅ぶとしても、それをやりながら死のうという観念を持った女性だったのです。タマルは、サタン世界の女性を代表し、神様に帰るための祝福の道において、全ての物を捨て、命を犠牲にしてでも神様の血統を残してから死のうという思想をもっていました。堕落したエバを凌駕した思想を持っていたというのです(54‐266、1972年3月25日)
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今から数千年前に、そのような決意をしたこと見るとき、タマルは女性として、相当革命的な女性だったというのです。そのような不倫のような行動をしてでも、み旨を尊重しながら、良心の呵責、あるいは環境から恐怖心など、複雑な様々なこの世的なももの真ん中に立っていながらも、結局は何物も犯し得ない一念で、神様のみ旨を選んでいったのです。(213‐305、1991年1月21日)