松本ママの「信仰は火と燃えて」から。
今回は、『イエス様の悲しみを知る』です。
真夏の名古屋、40日開拓伝道も
終盤に入ってきます。
(少し長いですが、どうぞ)
☆
一足だけのサンダルは、減ってスリッパのようになり、
石につまずいて足から血を流しながら、
名古屋中の教会を片っ端から訪ね、ただひたすら伝道して歩きました。
殴られても、異端だといって罵倒(ばとう)されても、
神様の願いを思うと、まずクリスチャンに「統一原理」を伝えたかったのです。
名古屋で私の行かなかった教会は一つもないでしょう。
しかし、すべての教会は私に反対し、名古屋のクリスチャンが、
こぞって私を非難し嘲笑(ちょうしょう)したのでした。
☆
そうしたある日、路傍で一人のクリスチャンの女性に会いました。
彼女は、YMCA(キリスト教青年会)には行けないので、
自分の家に来て話をしてほしいと言います。
彼女の家は、山の中腹にある別荘のような家で、
往復三時間もかかる所にありましたが、
私は夜もすがら彼女のために祈りながら、
毎日その家を訪ね、二時間ずつ講義をしていきました。
私は、彼女に会うために名古屋に来たんだという思いで、
全身全霊を込めて彼女のために祈り、尽くし、
精魂を傾けて講義をしたのでした。
ところが、何日間か通い続け、講義が半分ほど進んで
復活論まできた時、突如として彼女がいなくなってしまったのです。
☆
いつものように彼女の家を訪ねていくと、
彼女ではなくお母さんが出てこられ、
「娘はけさ旅に出ました。
もうこれ以上あなたの講義は聴かないと言っていましたので、
明日からは来なくてけっこうです。
これは少ないですけど、今まであなたが
通ってくださったお礼です」
と言って、封筒を差し出すのです。
その時の私の絶望は、到底言葉に表すことはできません。
どんなに彼女のために祈ったか、どんなに愛してきたことか。
全精神を込めて尽くしたのに、彼女は黙って去ってしまったのです。
込み上げてくる悲しみと義憤にかられて、
私はその封筒を床にたたきつけ、
「私はお金をもらうために来たんじゃありません。
イエス様の救いを伝えるために来たんですよ」
と言って絶叫して泣きました。
あまりに悲しくて、黒板を庭へ投げつけ、大地をたたき、
胸をたたいて、そのまま気を失うかと思うほどに泣いたのです。
イエス様の2000年前の悲しい心情を語った時、
彼女はぽろぽろ涙を流して泣いたではありませんか。
それならどうして、イエス様を裏切って行ってしまったのか。
そう思うと悔しくて、「イエス様、イエス様」と呼びながら泣きました。
そして黒板を拾って、てくてくと山を下りたのでした。
☆
そこはひばりが丘という所でしたが、私は悔しさと悲しさで
すっかり伝道する力が抜けてしまい、途中の岩に腰を下ろしました。
どんなに迫害されても、殴られたり、けられたりしても、
そんなのはちっとも痛くないのです。
このように裏切られた時の心情というものは、
本当に耐えられないもので、岩の上に座ると、
また涙があふれてくるのでした。
そして、2000年前のイエス様のことが思われてくるのです。
イエス様は、めんどりがひなを翼の下に抱くように、
イスラエル民族を愛し、弟子たちを愛しました。
イスラエル民族にみ言(ことば)を伝えるために、
炎天下を歩き続け、水が飲みたくても、おなかがすいても、
それ以上にイスラエル民族を愛し、伝道したのです。
しかし、イスラエル民族はイエス様を裏切り、
3年間寝食を共にしてきた弟子までも、
最後には裏切っていきました。
その時のイエス様の心情がひしひしと伝わってきて、
また絶叫の涙があふれてくるのでした。
そして、「ああ、イエス様、誰も聴いてくれません。
こんなにてくてく歩いて、一人一人伝道し、
やっと一人の人を見つけ出したのに。
あなたが与えてくださった人に一生懸命語ったのに、
自分がやらなければならないことが分かってきたら、
イエス様を裏切り、神様を裏切って去ってしまいました。
神様、私はもうクリスチャンを伝道しません。
こんな悲しさに耐えられません」
と、神様に向かって泣いて訴えました。
☆
一人の人に裏切られただけでこんなに悲しいのに、
6000年間裏切られ続け、しかもそれを耐えてこられた
神様の心情は、どれほど悲しかったことでしょうか。
イスラエル民族に迫害され、
最後には弟子にまで裏切られた惨めなイエス様の心情は、
どれほどつらく悲しかったことでしょう。
私は、この一人の姉妹の裏切りを通して、
神様の悲しい心情とイエス様のつらい心情を知る思いがしました。
と、その時、イエス様が私の目の前に
歩いて来られるのが見えました。
白い衣を風になびかせながら、涙を浮かべ、
悲しそうな顔をして歩いてこられるのです。
そして、「私はあなたをお姉さんと呼びたい。
あなたは私よりも大いなる業をするのです」
と私を慰めて、サーッと消えてしまいました。
そんな霊的体験もしたのです。
☆
伝道する力は出ないのですが、路傍伝道の時間が迫ってくると、
行かなければ、という思いが起こってきて、
黒板をさげ、山をとぼとぼと下りていきました。
そして名古屋の駅前に立って、この日は泣きながら訴えました。
神様が呼んでいる声が聞こえず、
笑って通り過ぎていく人々に対して、
胸の奥からわき上がる思いを涙とともにぶつけたのです。
☆
路傍伝道を終え、食堂の椅子に座ると、
焦りの気持ちとともに様々の思いが、私の胸をしめつけました。
既に30日が過ぎていましたが、まだ一人も
天の前に立つ人がいないのです。
そればかりか、最後には大きな裏切りによって、
私の心はずたずたになってしまいました。
失望と落胆は私の情熱を奪ってしまい、
心は焦りながらも、あすのことを思うと力が出ないのです。
大阪では、いい人が伝道されたといって
西川先生が呼ばれていくのに、私はまだ何もできていない。
40日間、このようにしてただむなしいことだけを体験して
帰るのだろうか。
もう私はだめだ。
もう地獄だ。
私は罪深い人間だから伝道できないのか。
明かりのない暗い道を歩きながら、
「天のお父様どうしたらいいんですか」と言って、
顔をゆがめて泣きました。
そして金ばあさんの家に着くと、一晩中泣いて祈って、
その夜は泣きながら眠ってしまいました。
☆
目が覚めると朝の6時でした。
この日からはもうクリスチャンにこだわらず、
名古屋中のすべての人々を伝道することにしました。
名古屋中の家を片っ端から一軒一軒訪問して歩き、
パンフレットを名古屋のすべての人々に配って、
それで40日を終わろうと思ったのです。
栄町という所で路傍伝道をした時のことです。
道端にたくさんの人が集まっていたので、
私はその向かい側で路傍伝道を始めました。
すると、そこに集まっていた人々が、珍しがって
みんな私のほうに寄ってきたのです。
そこは、蛇を漬けたお酒や蛇を売っているお店でしたが、
群衆がみな私のほうへ来てしまったので、
その蛇屋の男は顔を真っ赤にして怒り、
私のほうにやって来るなり、私を殴りつけました。
「この女(あま)、人の商売のじゃましやがって、
何が天国だ、このヤソ」と言いながら殴るのです。
私は殴られながら訴えました。
すると群衆の中から、「どうして殴るのよ。
私は彼女の演説を今聴きたいのよ」という人が出てきたのです。
泣きながら訴える私の声に耳を傾けて、
「感心ねえ」という人もいました。
これは、次の運命を教える象徴的光景でした。
☆
このころになると、私は毎日脅しの伝道をしていました。
「現代はボタン戦争が起こる時です。
神様を知らないで死んだら、あなたは地獄に行きますよ。
神様を信じなければいけません。
私は神様の啓示を受けて来たのです。
私はあなたに神様のことを伝えましたよ。
もっと詳しく聞きたければYMCAに来てください」
と、そう言って、パンフレットを渡し、
走りながら家から家へと訪問していきました。
そうして歩いていくうちに、一人のクリスチャンに出会ったのです。
その人は、私の話を聞いて深くうなずきながら、
「あなたは感心ですねえ。
私は能なしクリスチャンで本当に神様、
イエス様に申し訳ないと思っているんですよ」
と言うのです。
クリスチャンと聞いて、私の心は躍りました。
「そうですか、あなたはクリスチャンですか。
どうか聖書講義を聴いてください。
『統一原理』です。
これは神の啓示です」
私は彼女にしがみついていました。
すると、「私は忙しくて聴けませんが、
必ず聴いてくれるいい友達を紹介しましょう」
と言って手紙を書いてくださったのです。
☆
彼女が紹介してくれた人は春堂さんという人で、
守山という所に住んでいる人でした。
私は翌日、さっそくその人の家を訪ねてみました。
ところがそこは、名古屋といっても、
当時は田んぼの中に家が建っていて、
隣の家がはるか向こうに見えるような田舎で、
朝の9時から探したのに、
やっと目的の家に着いたのはなんと夕方5時ごろでした。
金ばあさんの家から守山まで、バスで1時間半ぐらいかかります。
それから、田んぼ道を歩いて、西へ行ったり東へ行ったりして
一日中探し歩いて、夕暮れに春堂さんの家に着いた時には、
もう疲れてくたくたでした。
ふとガラス戸に映る自分の姿を見ると、
まるでどこかの乞食(こじき)のようでした。
それでもおくさず、玄関に入って
春堂さんの家であることを確かめ、手紙を渡したのです。
「私、あなたの聖書講義は聴きますが、
あなたの信者にはならないわよ」
手紙を読んで、春堂さんは言いました。
「信者にならなくても結構です。
聖書講義を聴くだけでいいですから」
私はもう必死で頼みました。
「それなら3人の友達を集めますから、
あすの朝9時に来てください。
あすから午前中聴きましょう」
春堂さんが快く承諾してくださった言葉を聞き、
私は飛び上がらんばかりに喜んで興奮していました。
松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
イエス様の悲しみを知る
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13239
(blessed lifeより)
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
イエス様の悲しみを知る
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13239
(blessed lifeより)
☆
水をかけられたり、殴られたり・・・
その頃の日本では、まだあったんですね。
今は、訪問や路傍伝道でも、
何か言われることはあっても
そのようなことは、ありえません。
そういう時代、開拓伝道というのは、
本当に足で歩き、講義も自分でやる、
ビデオや動画やアプリもありません。
すごい苦労だったと思います。
特徴的だと思うのは、このころの松本ママは、
迫害、否定を受けた時、イエス様に思いをはせ、
イエス様のために涙を流されているところです。
そして、霊的にイエス様が現れています。
私たちの信仰の原点もこうでなければならないな、
そのように思わされます。
松本ママの開拓伝道。。。
何度読んでも、胸に詰まります。
絶対に諦めなかった松本ママ。
そのことで今の私たちがいるのだと思うと、
本当に感謝しかないですね。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
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