2022年04月10日

天国では、岩が呼び掛け、山や川が歌を歌う?! 《浅川先生“天活”のすすめ》



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浅川先生の「天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか」
今回は、『遥かなる山の呼び声』です。


天国にも山や川や海があります。

しかし、この世の山河と決定的な違いがあります。
それは、喜怒哀楽の感情を持っているがごとくに共鳴することです。
そして、人間と対話ができます。

山には山の心、海にも海の心、
川にも川の心があるかのように受け答えをするのです。
その山や川が、「人間を喜ばせよう」と感応するのです。

この世では、大自然の中で音楽を楽しもうとすれば、
CDプレーヤーを持参しなければなりません。
天国ではその必要が全くありません。
山が歌い、海が歌い、川が音楽を奏でるからです。
まさに「遥かなる山の呼び声」(アメリカ映画「シェーン」の主題曲)です。

岩や石は、「私の上に座ってほしい、
触れてほしい」と、呼び掛けます。
天国人が座ってくれたら、喜んで応答します。
通り過ぎたら、がっかりするのです。

川も、「足をつけてほしい。
真心を尽くして、きれいに洗ってあげよう」と願っています。

魚が集まってきて、シンクロダンスを踊って喜ばせるのです。
ディズニーが想像もつかない魔法の国、それが天国なのです。

霊界に新しく入ったばかりの人が、
その体験を次のように報告しています。

座っていた岩の下から、鐘や銅鑼(どら)をたたく音色が聞こえてきました。
はっと驚いて目を覚ましましたが、何も見えません。

その時、岩は「今まで私のところに来て、
座ってくれた人がいませんでした。
私のことを貴く思ってくれる人がいなかったのです。
今初めて主人に出会えて、本当にこの上なくうれしいです」
と言いながら、より一層感銘深く合奏をしたというのです。

また、メロディーが聞こえてきて、
誰かが岩の上で歌っているのではないかと思ったのですが、
岩が歌っていたのでした。

その声をずっと聞いていると、それは人の声ではなく、
茶わんをはしでたたくようなメロディーでした。

ぼんやりと岩を見つめていると、神様が
「岩がお前を待ちながら、喉がかれるほどに歌を歌ってきたのだ。
それなのに、お前が他の方向へ行こうとするから、
岩があまりにも残念がってお前を呼んだのだ」
とおっしゃいました。

鉱物は外的な形も神秘的で美しく、
内部からもこのような美しい歌が流れるのです。

川辺を通ると、水の中から
「私のご主人様がやってきたら、髪を洗って、
手も洗って、足の爪まできれいに洗ってあげるのさ」
というメロディーが流れてきました。

小魚や大きい魚がぴょんぴょんと跳び跳ねたり、
魚の群れが集まっては散らばっていきます。
様々な波の妖精たちが、波しぶきの踊りを見せるなど、
とても想像もつかない宴です。

浅川勇男・著(光言社刊
『“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか』より)
第一章 天国の自然環境
遥かなる山の呼び声


我が家は江戸川が近いのですが、
ヒバリやウグイスがさえずり、
菜の花、タンポポが満開です。
桜吹雪もなんとも鮮やかです。

万物というのは、人間を喜ばせるために
創造されていることを改めて感じます。

かつて、文鮮明先生は、
「この岩が私に『座って欲しい』
と話しかけてくるんだ」
そのようなことを語られたように記憶しています。

私たちが霊的にもっと敏感であれば、
浅川先生が語られているような天国の万物様相を
地上でも感じることができるのかもしれません。

ただ、霊界(天国)では、
万物を通しても、神様の愛を
感じることができるというのが、
何と素晴らしい世界であるのか、
と感じざるを得ないのです。。。

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浅川勇男・著

(光言社刊『“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか』より)
第一章 天国の自然環境
遥かなる山の呼び声

 天国にも山や川や海があります。しかし、この世の山河と決定的な違いがあります。それは、喜怒哀楽の感情を持っているがごとくに共鳴することです。そして、人間と対話ができます。山には山の心、海にも海の心、川にも川の心があるかのように受け答えをするのです。その山や川が、「人間を喜ばせよう」と感応するのです。

 この世では、大自然の中で音楽を楽しもうとすれば、CDプレーヤーを持参しなければなりません。天国ではその必要が全くありません。山が歌い、海が歌い、川が音楽を奏でるからです。まさに「遥かなる山の呼び声」(アメリカ映画「シェーン」の主題曲)です。

 岩や石は、「私の上に座ってほしい、触れてほしい」と、呼び掛けます。天国人が座ってくれたら、喜んで応答します。通り過ぎたら、がっかりするのです。川も、「足をつけてほしい。真心を尽くして、きれいに洗ってあげよう」と願っています。魚が集まってきて、シンクロダンスを踊って喜ばせるのです。ディズニーが想像もつかない魔法の国、それが天国なのです。

 霊界に新しく入ったばかりの人が、その体験を次のように報告しています。
 座っていた岩の下から、鐘や銅鑼(どら)をたたく音色が聞こえてきました。はっと驚いて目を覚ましましたが、何も見えません。その時、岩は「今まで私のところに来て、座ってくれた人がいませんでした。私のことを貴く思ってくれる人がいなかったのです。今初めて主人に出会えて、本当にこの上なくうれしいです」と言いながら、より一層感銘深く合奏をしたというのです。

 また、メロディーが聞こえてきて、誰かが岩の上で歌っているのではないかと思ったのですが、岩が歌っていたのでした。その声をずっと聞いていると、それは人の声ではなく、茶わんをはしでたたくようなメロディーでした。ぼんやりと岩を見つめていると、神様が「岩がお前を待ちながら、喉がかれるほどに歌を歌ってきたのだ。それなのに、お前が他の方向へ行こうとするから、岩があまりにも残念がってお前を呼んだのだ」とおっしゃいました。鉱物は外的な形も神秘的で美しく、内部からもこのような美しい歌が流れるのです。

 川辺を通ると、水の中から「私のご主人様がやってきたら、髪を洗って、手も洗って、足の爪まできれいに洗ってあげるのさ」というメロディーが流れてきました。小魚や大きい魚がぴょんぴょんと跳び跳ねたり、魚の群れが集まっては散らばっていきます。様々な波の妖精たちが、波しぶきの踊りを見せるなど、とても想像もつかない宴です。
posted by ten1ko2 at 08:35 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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