2022年04月11日

私だけが苦労したと考えてはいけない*前任と後任、神の前には一人?! 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」です。

 
先生の心を理解したならば、
もう一つ考えなければならないことがあります。

例えば、私が問題のあるチームに、
六か月あるいは一年、一緒にいたとします。

その時、彼らを導くのに、「あっ、これは私の間違いだ」
「こんなふうにしよう」
「こうして私は導いた」といって
自分だけが苦労したと思ってはいけません。

私を通じて、いろいろと教育するために、
苦しまれた神がいるということを忘れてはなりません。

 
そしてまた、完全なリーダーではないのですから、
メンバーたちを傷つけたこともあるし、
メンバーが話を聞かないので、
自分も傷つけられたこともたくさんあるのです。

チーム・リーダーがよく導けなかったがゆえに、
あるいは牧会できなかったがゆえに、傷ついて、
教会から去ったメンバーもいます。
それによって、リーダーもたくさん学んだのです。

今まで問題のあるチームを引きずってきたのは、
自分ばかりでなく、背後で
神も苦しんでこられたということを考えるのです。

新しいリーダーが来た時に、彼らの中には
メンバーを傷つけたり、
苦しむ人も出てくるだろうと思います。

けれども、私が神の心でその人をよく指導できれば、
そのチームを通じての摂理が延長されるのではなく、
短縮されるだろうと考えるのです。

 
アダムが失敗したときに、アダムの代わりの者を、
すぐ立てることはできなかったのです。

アダムの身代わりを立てるのに、何年かかりましたか。
ノアを立てるために、一六〇〇年かかったのです。
ノアが失敗したときに、何年かかりましたか。

それと同じように、Aというリーダーを出したけれども、
チームをよくリードできなかったとすると、
代わりの人を立てるには、それくらい必要だということです。

皆さんは、最初の人ができないと、すぐ次の人に代えてしまいます。
そうしたらメンバーも変わったと思います。
形状的には変わっても、内的にはまだまだ変わっていません。

最初の人よりも、後に来た人がもっと上の立場に
立たない限りは、引き継ぎが
まだ終わっていないものと考えなければなりません。

 
ですから、リーダーの立場を受け継ぐためには、
新しい人はチームを率いることのできる基台を造らないといけません。

そこには最初のリーダーとメンバーとの
心情のかかわりがあります。

その次の人もよくできなくて、
代わりに新しい者が引き継いだとします。
そうしたら最初のリーダーが
どのように導いたかを知らなければなりません。

また、最初の人がテイク・ケアした以上の熱心さ、
心情をもたなければなりません。
それによって初めて引き継ぎが始まるのです。

最初によくできなかった者がいれば、
新しく来た者が蕩減をしなければいけません。
神が中心者を通じて何かを願うときに、神の目的を中心として見れば、
最初の人と次の人は同一の人なのです。

だから最初の人がよくできたもの、できなかったもの、
それらが全部次の人に引き継がれるのです。

 
アブラハムが失敗したゆえに、
イサクがいけにえに立たなければいけなかったのです。

み旨を中心として見れば、
アブラハム、イサク、ヤコブは同じ人です。

最初のアダムが堕落したがゆえに、
第二のアダムとして来られたイエス様は、
アダムが間違ったすべての蕩減条件を負わなければいけません。

第三のアダムとして来られる再臨主は、
第一のアダム、第二のアダムの
すべての蕩減を払わなければいけないということになります。

前の人の責任は前の人の責任で、
私には責任はないということはありません。
皆さんはそれをはっきりと分からないといけません。

平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
 

再臨主として来られた
真の父母様の立場は、どれほど大変だったのか、
窺い知ることができるみ言だと思います。

神様ご自身も6000年間、
待ちに待った真の父母様でした。

今回のみ言は、リーダーとして立つ立場の人の
観点で語られている内容ではありますが、
私たちが中心者を見つめるとき、
また、一人ひとりが神氏族メシヤでありますから、
私たちにとっても必要なみ言であると思います。

やはり、題目にあるように、常に
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」
このことを念頭に置いていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 08:46 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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