2022年05月07日

同じ人間なのに、お父様と私たちは何が違う?! 文鮮明師vs金日成主席 《史吉子先生》



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1991.12.6 文鮮明夫妻、金日成との対談☆


史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より、
『試練を通過した後に体血した、神様の愛』続編になります。


お父様も私たちと同じ人間なのに、
お父様は私たちと何が違うのですか?

お父様は霊界をご存知で、
サタンと闘って勝利することのできる
心情的な内容をもっておられると言うのが、
私たちと違うのです。


皆さんもよくご存知でしょうが、
金日成はどれほど悪い人だったでしょうか?
金日成はたくさんの人を殺しました。

ところが、お父様は金日成に会いに行かれる時、
その憎む心を克服するためにアメリカのハワイに行かれて、
最後の祈祷を捧げられました。

「天下の全ての人が金日成を殺人魔と憎んでも、
私は金日成を憎むことができない。
私までが憎んだら、彼を生かすことができない。

だとしたら、私はどんな心で金日成に会いに行くべきか?
そうだ、私は金日成を生んだ父親の立場で会いに行こう。

全ての人が金日成を見て、
『あいつを殺せ。死刑場に送って殺せ。
銃殺しろ』と言っても、もし その場に彼の父親がいたら、
『私の息子は悪い奴だけれど、
私の前で死ぬのだけは見たくない』
と言うのが父親の心情だ。

金日成の父親は息子を生かすことさえできるなら、
どのようにしてでも生かしたい気持ちではないか?
その心を持って行こう!」

お父様はこのように心情の基準を立てて行かれたので、
金日成に会った時、何の憚りも無くすっと抱擁することができ、
金日成はお父様の深い愛がわかったのです。

朴普熙氏が平壌から帰ってきて言った言葉が、おもしろいです。

自分もお父様の後ろに立っていたら、
いつの間にか金日成を抱擁したそうです。

ところが、「殺しても足りない悪い奴! 殺人魔!」
と言う悪態が心の中から飛び出してきたと言うのです。

表面的にはお父様と同じ行動で抱擁したけれど、
心はそうではなかったそうです。

その時、「父母と兄弟は、厳然と違うみたいだ。」
と感じたそうです。

お父様の人格と愛は、神様がこのように変化させ、
また常にお父様には神様が共におられるために、
私たちのような普通の人間が真似することのできない、
高い次元の人格と愛だと言うことを知らなくてはな りません。

私は、それをしばしば感じながら生きてきました。

お父様が原理の一つ一つを探される時、
サタンと血みどろの闘いを繰り広げて探されたのに、
このように生命を賭けて探した原理を、
何の準備もせず、何の功労も無い人々に与えるのが
時には悔しく、勿体無いそうです。

それでも人類を生かさなければならないので、
ただであげるのだとおっしゃいます。

私は、そのようにお父様の悲憤慷慨される
お気持ちを十分に説明できません。
しかし、このような内容も場合によっては参考になるでしょう。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論



お父様が金日成に対する心情と
朴先生が金日成に対する思いの違い、
なんだか、私の心を見透かされているようです。

行動は同じでも、どのような思いを持つか、
それが本当に重要であると思います。

自分の感情のまま、堕落性で行動するのではなく、
心を天に向けて、自分の本心のままに行動する、
まさに自己牧会プログラムの実践ですね。


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posted by ten1ko2 at 09:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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