2022年05月10日

文先生が、マラリアでも仕事を休まなかった理由 〜死の収容所で〜 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「犠牲と奉仕にサタンは屈服」です。

 
(文)先生は二年八か月という間、
牢屋(興南刑務所)でどういう仕事をされたか、
お話ししたいと思います。

朴(正華)さんは、先生が天の愛する、
天に遣わされた方であることを知りました。

それで、先生が刑務所の中で働かれる仕事が
あまりにも厳しいと感じ、また弟子ですから、
先生が苦痛を受けるのは自分の苦しみのように感じました。

そこで先生に、彼は総監督でしたから、
「そういう苦しいことをしてはいけません。
私が話をすれば、非常にたやすい仕事に就けますから、
是非ともそちらを選ぶように……」と言いました。

しかし先生は、「この刑務所の中で一番つらい仕事は何か」
とお聞きになり、その一番つらい仕事を
喜んで自らお選びになったのです。

 
サタンはいろいろな形で一番近い人を通して
試練をしてくるのです。

神によって導かれ、み旨を知って従ってきた人たちが
勧めることならば、喜んで受け入れなければ
ならないように思うのですが、
先生はそうはなさらなかったのです。

復帰摂理の中で、神のみ旨のために
すべてを尽くして死んでいった
たくさんの先祖、先人、先者たちがいることを考え、
先生は最も難しい仕事を探し求めて、
その仕事に誰よりも尽くしきることをお決めになったのです。

それによって、今まで死んでいった
すべての人たちの恨みを解放し、
蕩減復帰するという一念でいらしたのです。

死んでいった人たちは、神のみ旨のために
苦しみながらも、成功を見なかったのです。

ですから、先生はそういう人と同じような
難しいところで勝利することによって、
すべての人たちが解放されていくのだと考えたのです。

  
皆さん、ある人が非常に寂しい中にあって、
その成そうとしたことを成しえずして、
勝利しえずして霊界へ行ったとしましょう。

そういう人の恨みをどのようにしたら解放できるでしょうか。
それは、その人が苦しんだのと同じ立場に立った人が、
それを勝利することで解放されていくのです。

自分にはできなかったことを、この人がやってくれたのだから。

考えてごらんなさい。
サタンと闘って負けたとします。
代わりの人が立って闘いましたが、
また負けてしまいました。

この人たちは同じ目的をもってやっているのです。
そして最後の人が闘って勝利しました。

そしたら、この人たちが十人だとすると、
人は違うけれども、サタンと闘うという
み旨を中心として見たら、同じ目的の人なのです。

ですから、最後の人が勝利することによって、
勝利できなかった人たちの恨みは、
全部払われていくというのです。
自分が勝利したという立場に立っていきます。

  
では皆さん、第一のアダム、第二のアダム、
第三のアダムについて考えてごらんなさい。

第一のアダムは失敗しました。
第二のアダムも完全には成功しませんでした。
それゆえに恨みがあるわけです。

しかし、第三のアダムが勝利することによって、
第一のアダムも第二のアダムも
全部が勝利したという立場に立つのです。

  
収容所、刑務所は地獄と同じであり、
その地獄の中でも一番難しいところを勝利することによって、
今まで勝利できずに復帰摂理の中で倒れていった人の
すべての恨みを晴らしてあげようというのが先生の立場でした。

それで、一番難しい仕事を見付けて、
それを勝利しなければならなかったのです。

先生が二年八か月の間に
三回の模範労勧賞をもらったということは、
先生は完全勝利することができたということです。

それは、サタンが先生を認めたことになるのです。

 
私たちはこのように神様から、メシヤから、天使から、
そして人々から、「あなたこそ真の子女です」
という認定を受けなければいけないのです。

さらにサタンから認められなければいけません。

ですから私たちが三六〇軒の人々から
「あの人は本当に神の子です。
間違いありません」と認められなければ勝利できません。

 
そしてサタンから認められるためには、
サタンができないことをしなければいけません。

サタンには、犠牲、奉仕ということはありません。
だからこそ、犠牲となり、奉仕する人の前には、
サタンもそれを認めざるを得なくなるというのです。

自分ができないことをするから、
サタンは認めるというのです。

 
皆さん、愛というのは、ちょうど明かりのようなものです。

昆虫が明かりを求めて集まるごとく、
すべての人はもっと明るい所に集まります。

明かりとは高い愛をいうのであり、
高い愛のある所には、すべての存在が集まってきます。

愛は生命、満足、理想すべての根本になりますから、
サタンも好みます。

ところがサタンは、愛を生命視できても、
犠牲の愛を行うことはできないのです。
天使長は自己中心の愛から始まり、犠牲的愛、
為に尽くす愛をなしえなかったという労働であったのです。

 
そういう中で先生も天然痘にかかり、夏にはマラリアにかかりました。

マラリアというのは、マラリア蚊に刺されるとなるのですが、
その病気は、一日熱が出たらまたすぐ悪寒がして震えがきます。
そしてまた熱くなって震える、そういう現象を起こします。

それが十日間余りも続いたのです。

 
共産主義の方針は、「働かざる者は食うべからず」であり、
それが標語、生活哲学のようになっていました。

病気であっても働かなければ、平常と同じ分量はもらえません。
食料を減らされるのがつらくて、いくら痛くても、
痛みを感じながらも出て行って、働かなければなりませんでした。

そういう人たちとは違って、先生は
どういう難しいことがあっても必ず出て
責任を果たさなければならないという一念で、
一日の欠勤もなく働かれました。

先生は、これは人間始祖の堕落の報いから来るものである
と思われ、それを感謝して受けて、
過去の義人聖人たちがみ旨の道を歩みながら
悲惨に死んでいったことを思い、
彼らの恨みを晴らしてあげなければならないとい一心で
その苦難を耐えていかれたのです。

  
先生は天宙の蕩減という問題を御自身で受け、
これを成し遂げなければならない立場です。

そのために、そういう苦労を
一個人の苦労として受けたのではなく、
天宙的な苦労としてこれに対したのです。

その場合、この労働というものは、
天宙的労働として先生の身を悩ませたということを
考えなければならないと思うのです。

義人聖人たちが歩んだ十字架の路程を
勝利でもって貫かなければ、そういう人々の恨みを
解くことはできないと考えておられたのです。

もし先生がこれを勝利できないとするならば、
歴史の中、摂理の中で死んでいった人を
誰が蕩減し、恨みを晴らしていくのだろう、
ということを考える時に、先生は
死に物狂いでそれを勝利しなければならなかったのでした。

これが勝利できなければ神の復帰の摂理は成らない、
という気持ちで、どんなことがあっても
朝五時には起きて体を整え、その仕事を果たしていかれたのです。

  
刑務所から労働する興南工場まで、
三、四キロメートルの距離ですが、行列をつくって行きます。

先生を訪ねたとき、私が見ていたら、
五、六人が横に並び、そして縦隊になっていました。

お互いに手を握らせ、顔は絶対に
下向きにして行かなければなりません。
両側には、武装した看守がつきます。

なぜ手を握らせるかというと、脱走できないようにするためです。
人の手で作られた柵みたいなものです。

もし一人が逃げ出したら、その両側の人が
罰を受けるようになります。

そして顔をなぜ下向きにさせたのかといいますと、
工場は社会の中にありますから、牢屋から工場へ行く間に、
一般の人たちがいるのです。

それでそういう人たちと何か目で合図したり、
連絡ができないようにするためなのです。

  
朝六時の起床時間に起きると、
マラリアにかかったときは、歩いても足に
力が入らないので、自分も知らずに
ガタンと踏み誤って倒れることが、何回もあったのでした。

そして、本当にひもじい時には、
非常に粘り気のあるつばが、よだれみたいに出てきました。

そういう仕事の連続の中で、
先生は歯を食いしばって責任を果たされたのです。

先生は模範労働者として、模範賞を三回も
お受けになったということを見ても、
どれくらい熱心に仕事をなさったか、
苦労されたかということがお分かりになったと思います。


その当時、日曜日の仕事は全部休みでした。
一緒にいた金(元徳)さんが牢屋から出られて、
私と会った時に、彼は次のように話してくれました。

「人々は日曜日には疲れに疲れて、
みんな昼間も寝転んでいるけれども、
自分は牢屋に一緒にいながら、
めったに先生が寝るのを見ることができませんでした。
いつも先生は座って瞑想をしておられました」というのです。

先生は、その刑務所の中で働いている
数多くの人々の誰よりも、一番険しい苦難を
勝利しなければならないという心構えでおられたので、
日曜日も休まずに、いつも瞑想にふけっておられたのです。

先生はそういうふうに苦労しても、
今まで苦労してきた人々の恨みを
解放してあげなければならない、
そのためには十字架の路程を勝利で
貫かなければならない、そういう決心を
一日も忘れたことはないというのです。

 
そうした中で、先生の心を最も悩ませたのは、
一か月に一度反省文を書くことでした。

共産党の理念にかなった生活が
できなかったことに対する反省文です。

「私は共産党の理念のために忠節を尽くします」
と書かせるのが、反省文の目的でした。

先生は二年八か月の間、自分の手で
そういうことを書かないようにすることが、
難しいことの中でも、さらに難しいことでした。

それは心になくても、共産主義を
賛える文章を書かなくてはならないからです。

その文章を書くことは、神を否定することに
近いことなのですから、それはできないことです。

それで先生は、出所されるまで
その反省文を書かなかったというのです。

とても書き難かったので、
先生御自身は書かれずに、
周りの人が代わって書いたのです。

平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「犠牲と奉仕にサタンは屈服」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


興南でのお父様の歩み。。。
内外ともに、勝利を打ち立てられた歩みでした。

誰よりも苦労と犠牲の道をいくことで、
救われる人たちがいることを知っていたので、
どんな困難も乗り越えていかれたお父様。

たった一人、孤独な道を歩むとしても、
犠牲の道、十字架の道を行かれた
イエス様や義人聖人たちとともにおられたからこそ、
克服することができたのだと思います。

休みの日にはずっと祈っておられた
ことからみても、神との交流で
力を得ていたのに違いありません。

私たちも、苦労の道、誰も理解しえない道だったとしても、
先祖の身代わりで歩んでいるのであり、
今や過去のすべての人たちの代表の立場です。

一挙手一投足、勝利された真の父母様も
乗り越えていかれたのだ、
そんな思いをもっていきたいと思うのです。




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