金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「犠牲と奉仕にサタンは屈服」です。
☆
(文)先生は二年八か月という間、
牢屋(興南刑務所)でどういう仕事をされたか、
お話ししたいと思います。
朴(正華)さんは、先生が天の愛する、
天に遣わされた方であることを知りました。
それで、先生が刑務所の中で働かれる仕事が
あまりにも厳しいと感じ、また弟子ですから、
先生が苦痛を受けるのは自分の苦しみのように感じました。
そこで先生に、彼は総監督でしたから、
「そういう苦しいことをしてはいけません。
私が話をすれば、非常にたやすい仕事に就けますから、
是非ともそちらを選ぶように……」と言いました。
しかし先生は、「この刑務所の中で一番つらい仕事は何か」
とお聞きになり、その一番つらい仕事を
喜んで自らお選びになったのです。
☆
サタンはいろいろな形で一番近い人を通して
試練をしてくるのです。
神によって導かれ、み旨を知って従ってきた人たちが
勧めることならば、喜んで受け入れなければ
ならないように思うのですが、
先生はそうはなさらなかったのです。
復帰摂理の中で、神のみ旨のために
すべてを尽くして死んでいった
たくさんの先祖、先人、先者たちがいることを考え、
先生は最も難しい仕事を探し求めて、
その仕事に誰よりも尽くしきることをお決めになったのです。
それによって、今まで死んでいった
すべての人たちの恨みを解放し、
蕩減復帰するという一念でいらしたのです。
死んでいった人たちは、神のみ旨のために
苦しみながらも、成功を見なかったのです。
ですから、先生はそういう人と同じような
難しいところで勝利することによって、
すべての人たちが解放されていくのだと考えたのです。
☆
皆さん、ある人が非常に寂しい中にあって、
その成そうとしたことを成しえずして、
勝利しえずして霊界へ行ったとしましょう。
そういう人の恨みをどのようにしたら解放できるでしょうか。
それは、その人が苦しんだのと同じ立場に立った人が、
それを勝利することで解放されていくのです。
自分にはできなかったことを、この人がやってくれたのだから。
考えてごらんなさい。
サタンと闘って負けたとします。
代わりの人が立って闘いましたが、
また負けてしまいました。
この人たちは同じ目的をもってやっているのです。
そして最後の人が闘って勝利しました。
そしたら、この人たちが十人だとすると、
人は違うけれども、サタンと闘うという
み旨を中心として見たら、同じ目的の人なのです。
ですから、最後の人が勝利することによって、
勝利できなかった人たちの恨みは、
全部払われていくというのです。
自分が勝利したという立場に立っていきます。
☆
では皆さん、第一のアダム、第二のアダム、
第三のアダムについて考えてごらんなさい。
第一のアダムは失敗しました。
第二のアダムも完全には成功しませんでした。
それゆえに恨みがあるわけです。
しかし、第三のアダムが勝利することによって、
第一のアダムも第二のアダムも
全部が勝利したという立場に立つのです。
☆
収容所、刑務所は地獄と同じであり、
その地獄の中でも一番難しいところを勝利することによって、
今まで勝利できずに復帰摂理の中で倒れていった人の
すべての恨みを晴らしてあげようというのが先生の立場でした。
それで、一番難しい仕事を見付けて、
それを勝利しなければならなかったのです。
先生が二年八か月の間に
三回の模範労勧賞をもらったということは、
先生は完全勝利することができたということです。
それは、サタンが先生を認めたことになるのです。
☆
私たちはこのように神様から、メシヤから、天使から、
そして人々から、「あなたこそ真の子女です」
という認定を受けなければいけないのです。
さらにサタンから認められなければいけません。
ですから私たちが三六〇軒の人々から
「あの人は本当に神の子です。
間違いありません」と認められなければ勝利できません。
☆
そしてサタンから認められるためには、
サタンができないことをしなければいけません。
サタンには、犠牲、奉仕ということはありません。
だからこそ、犠牲となり、奉仕する人の前には、
サタンもそれを認めざるを得なくなるというのです。
自分ができないことをするから、
サタンは認めるというのです。
☆
皆さん、愛というのは、ちょうど明かりのようなものです。
昆虫が明かりを求めて集まるごとく、
すべての人はもっと明るい所に集まります。
明かりとは高い愛をいうのであり、
高い愛のある所には、すべての存在が集まってきます。
愛は生命、満足、理想すべての根本になりますから、
サタンも好みます。
ところがサタンは、愛を生命視できても、
犠牲の愛を行うことはできないのです。
天使長は自己中心の愛から始まり、犠牲的愛、
為に尽くす愛をなしえなかったという労働であったのです。
☆
そういう中で先生も天然痘にかかり、夏にはマラリアにかかりました。
マラリアというのは、マラリア蚊に刺されるとなるのですが、
その病気は、一日熱が出たらまたすぐ悪寒がして震えがきます。
そしてまた熱くなって震える、そういう現象を起こします。
それが十日間余りも続いたのです。
☆
共産主義の方針は、「働かざる者は食うべからず」であり、
それが標語、生活哲学のようになっていました。
病気であっても働かなければ、平常と同じ分量はもらえません。
食料を減らされるのがつらくて、いくら痛くても、
痛みを感じながらも出て行って、働かなければなりませんでした。
そういう人たちとは違って、先生は
どういう難しいことがあっても必ず出て
責任を果たさなければならないという一念で、
一日の欠勤もなく働かれました。
先生は、これは人間始祖の堕落の報いから来るものである
と思われ、それを感謝して受けて、
過去の義人聖人たちがみ旨の道を歩みながら
悲惨に死んでいったことを思い、
彼らの恨みを晴らしてあげなければならないとい一心で
その苦難を耐えていかれたのです。
☆
先生は天宙の蕩減という問題を御自身で受け、
これを成し遂げなければならない立場です。
そのために、そういう苦労を
一個人の苦労として受けたのではなく、
天宙的な苦労としてこれに対したのです。
その場合、この労働というものは、
天宙的労働として先生の身を悩ませたということを
考えなければならないと思うのです。
義人聖人たちが歩んだ十字架の路程を
勝利でもって貫かなければ、そういう人々の恨みを
解くことはできないと考えておられたのです。
もし先生がこれを勝利できないとするならば、
歴史の中、摂理の中で死んでいった人を
誰が蕩減し、恨みを晴らしていくのだろう、
ということを考える時に、先生は
死に物狂いでそれを勝利しなければならなかったのでした。
これが勝利できなければ神の復帰の摂理は成らない、
という気持ちで、どんなことがあっても
朝五時には起きて体を整え、その仕事を果たしていかれたのです。
☆
刑務所から労働する興南工場まで、
三、四キロメートルの距離ですが、行列をつくって行きます。
先生を訪ねたとき、私が見ていたら、
五、六人が横に並び、そして縦隊になっていました。
お互いに手を握らせ、顔は絶対に
下向きにして行かなければなりません。
両側には、武装した看守がつきます。
なぜ手を握らせるかというと、脱走できないようにするためです。
人の手で作られた柵みたいなものです。
もし一人が逃げ出したら、その両側の人が
罰を受けるようになります。
そして顔をなぜ下向きにさせたのかといいますと、
工場は社会の中にありますから、牢屋から工場へ行く間に、
一般の人たちがいるのです。
それでそういう人たちと何か目で合図したり、
連絡ができないようにするためなのです。
☆
朝六時の起床時間に起きると、
マラリアにかかったときは、歩いても足に
力が入らないので、自分も知らずに
ガタンと踏み誤って倒れることが、何回もあったのでした。
そして、本当にひもじい時には、
非常に粘り気のあるつばが、よだれみたいに出てきました。
そういう仕事の連続の中で、
先生は歯を食いしばって責任を果たされたのです。
先生は模範労働者として、模範賞を三回も
お受けになったということを見ても、
どれくらい熱心に仕事をなさったか、
苦労されたかということがお分かりになったと思います。
☆
その当時、日曜日の仕事は全部休みでした。
一緒にいた金(元徳)さんが牢屋から出られて、
私と会った時に、彼は次のように話してくれました。
「人々は日曜日には疲れに疲れて、
みんな昼間も寝転んでいるけれども、
自分は牢屋に一緒にいながら、
めったに先生が寝るのを見ることができませんでした。
いつも先生は座って瞑想をしておられました」というのです。
先生は、その刑務所の中で働いている
数多くの人々の誰よりも、一番険しい苦難を
勝利しなければならないという心構えでおられたので、
日曜日も休まずに、いつも瞑想にふけっておられたのです。
先生はそういうふうに苦労しても、
今まで苦労してきた人々の恨みを
解放してあげなければならない、
そのためには十字架の路程を勝利で
貫かなければならない、そういう決心を
一日も忘れたことはないというのです。
☆
そうした中で、先生の心を最も悩ませたのは、
一か月に一度反省文を書くことでした。
共産党の理念にかなった生活が
できなかったことに対する反省文です。
「私は共産党の理念のために忠節を尽くします」
と書かせるのが、反省文の目的でした。
先生は二年八か月の間、自分の手で
そういうことを書かないようにすることが、
難しいことの中でも、さらに難しいことでした。
それは心になくても、共産主義を
賛える文章を書かなくてはならないからです。
その文章を書くことは、神を否定することに
近いことなのですから、それはできないことです。
それで先生は、出所されるまで
その反省文を書かなかったというのです。
とても書き難かったので、
先生御自身は書かれずに、
周りの人が代わって書いたのです。
平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「犠牲と奉仕にサタンは屈服」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第三章 興南監獄での伝道
「犠牲と奉仕にサタンは屈服」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
興南でのお父様の歩み。。。
内外ともに、勝利を打ち立てられた歩みでした。
誰よりも苦労と犠牲の道をいくことで、
救われる人たちがいることを知っていたので、
どんな困難も乗り越えていかれたお父様。
たった一人、孤独な道を歩むとしても、
犠牲の道、十字架の道を行かれた
イエス様や義人聖人たちとともにおられたからこそ、
克服することができたのだと思います。
休みの日にはずっと祈っておられた
ことからみても、神との交流で
力を得ていたのに違いありません。
私たちも、苦労の道、誰も理解しえない道だったとしても、
先祖の身代わりで歩んでいるのであり、
今や過去のすべての人たちの代表の立場です。
一挙手一投足、勝利された真の父母様も
乗り越えていかれたのだ、
そんな思いをもっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
【草創期の証し(韓国・日本)の最新記事】
- この一億を率いて、走る機関車になる人が必..
- (証し)神童が再臨主に出会った経緯とその..
- 「この若者たちを記憶してください」 日本..
- 「勝敗を決する十字架の峠、世界の栄光とな..
- この時、解放されていなければ、私はいなか..
- 家庭連合(統一教会)のデマが、今も信じら..
- 主を「死の収容所」に送られたのは、天が生..
- 事実無根、無罪釈放、しかし… 家庭連合(..
- 松本ママのような烈女を、世界でも見たこと..
- われらに国境はない、民族もない・・・ 主..
- 変わらない心情で! 韓国のお父様のお側で..
- 3万(+2万)名 マディソン・スクェ..
- 55年ぶりの韓国で体験した天と地の世界 ..
- 神のために命を捧げると誓ったわけ・・奇跡..
- 牧師たちに囲まれて、「羊どろぼう」と責め..
- 生きているものは、みんな愛し合っている!..
- 私だけが苦労したと考えてはいけない*前任..
- 大阪で見つけた神戸の種火 「ひらめき」そ..