2022年05月25日

母の信仰が崩れても、打撃を受けなかったイエスのように 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言、
「変貌山上のイエスとペテロ」の続き、
今回は、「『原理』を知ること」です。


不信のペテロを見せて、イエス様を通じてのこれからの行く道、
地上で行く道、私たちの行く道、家庭的関係、
食口関係、アベルとカインの関係を教えています。

信仰基台と実体基台の問題です。


イエス様は信仰基台と実体基台を家庭で成就しようとし、
社会的に成そうとしました。
しかし、結局霊的にだけ成就して十字架の道を行ったのです。

だから私たちは、今関係している区域に
責任をもたなければならないのです。

み言を知れ。
「原理」を知れ。
人から打撃を受けるな。
環境から打撃を受けてはいけないのです。


イエス様は、自分の家庭に打撃を受けなかったのです。
素晴らしいマリヤの信仰が、
あんなに崩れたのに打撃を受けなかった。

自分と神との関係を生命視してきたイエス様です。
洗礼ヨハネに捨てられたからといって、
打撃は受けなかったのです。
ユダヤ人に捨てられたからといって、打撃を受けなかった。

なぜかというと、自分と神との関係が徹底していたからです。
また、自分の価値が国家的、世界的だ
ということを確信していたのです。


私たちは、環境に相当支配され、
認められる雰囲気の中では興奮して、力を得やすいのですが、
しかし全然通じない場面の中では、自分の価値をもって、
自分が自分に力を与えるという面において、
私たちの未来をふさいでしまうのです。

いくら環境が悪くても、自分と神との関係の動機を
どういうふうに保っていくか。
地上になかったら霊的に維持していかなければなりません。

み言と授受しながら暮らさなければならないのです。
イエス様みたいに探し回らなければならないのです。

授受する相手をつくり、だれかやってほしいと考えるより、
自分を動機として、自分を一粒の麦として
芽生えていかなければならないのが、
現世においての私たちの使命ではないか。

そういうことを考えてみました。

9.変貌山上のイエスとペテロ
「『原理』を知ること」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


イエス様は、打撃を受けなかった
とあります。
イエス様もそうだとするなら、
真の父母様も打撃を受けられないお方だと思います。

しかし、打撃を受けない、といっても、
実際には、相当のショックを受けられながら、
それを越えてこられたのでしょう。

私たちと違うのは、神様との絶対的な関係です。
全て、神様に感謝して、神様に取りなされ、
公的な立場で乗り越えていかれたのだと思います。

私たちはちょっとしたことで、
すぐ心が揺れ動いてしまいます。

神様との関係を何よりも優先させ、
さらに、イエス様、真の父母様は
いかに乗り越えていかれたのか、
そのことを心の中心に置いて
生活していきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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