今回は、「真のお母様にお仕えして」と題した
金榮輝(キム ヨンヒ)先生の奥様、
鄭中和*(チョン ヂュンファ)先生(三家庭)による、
お若き頃からのお母様の証しをシリーズで紹介します。
今回は、御聖婚以前、まだ初々しい
女子学生だった頃のお話です。
☆
ご聖婚前の真のお母様
1990年代以降の真のお母様について
知っている人はたくさんいますが、
60年代の真のお母様について知っている人は、
多くないでしょう。
きょうは、その当時のことについて、お話ししたいと思います。
私が梨大(梨花女子大学)の家政学科に通っている時、
1955年5月11日に、いわゆる梨大での退学事件が起こりました。
それで、私は淑大(淑明女子大学)に移ったのです。
そのとき、真のお父様は、
「どのようなことをしてでも編入して、卒業証書を取りなさい。
勉強をしなさい」と、おっしゃいました。
それで、私は淑大に行き、家政科に通って、栄養学を専攻したのです。
☆
やがて、お父様は、
「米国に行く」ということを言われるようになりました。
そのころは、まだ私たちの信仰が幼いころでしたので、
私たちは、『お父様が、いつまでも韓国で、
私たちと一緒に、このように暮らされるのだろう』
とばかり思っていたのです。
ところが、米国に行かれるというので、私は、
『ああ、私は、だれのために、このように
家政学科で栄養学を学んだのか?』と考え、
何も分からず、経験もありませんでしたが、
お父様が米国に行かれる前に、お父様にお仕えしたいと思い、
その旨をお父様に申し上げました。
そして、卒業した後、私は自発的に、
真のお父様にお仕えするために、
台所に入って、侍りました。
それは、1959年ころでしたので、
まだ、真のお母様はいらっしゃらず、
真のお父様がお独りでいらっしゃった時でした。
お父様は、大変に喜ばれました。
それで私は、真のお母様が来られる前から、
真のお父様に侍るようになったのです。
侍る分野は、本当にたくさんありましたが、
主に食事を担当させていただきました。
☆
そのような中、真のお母様にお目にかかったのです。
私が、初めて真のお母様にお目にかかったのは、
お母様は、今は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、
お母様が女学生でいらっしゃったときでした。
その当時は、真のお母様のお母様でいらっしゃる
大母様のことを「洪順愛勧士」と、
そのようにお呼びしていましたが、そのおかたも、
前本部教会のあった青坡洞で奉仕していらっしゃいました。
ところで、そのころ、真のお母様が、
前本部教会での礼拝を受けに来られていました。
☆
その当時は、教会の礼拝堂が狭かったので、
礼拝を受ける時には、居間も畳の部屋も、
すべて襖を取り払わなければなりませんでした。
前本部教会には、正式な門とは別に、
台所に入って行く門があるのですが、
台所を通り、居間を通って、
礼拝堂に至るまで、すべて襖を取り払うのです。
お父様のお部屋は2階にあったのですが、
お父様は、主にその居間で過ごされました。
畳8畳ほどの広さの部屋です。
そこは、お父様が、お食事をされたり、
食口たちに対されたりする場所でした。
ですから、礼拝の時には、お父様のお食事を準備する、
その台所を通って礼拝堂まで行くというような、
そのような時代でした。
☆
その当時、真のお母様は、高等学校に
通っていらっしゃり、お下げ髪をされていました。
口数も少なくていらっしゃったので、
私は、全く気づきませんでした。
短いチマチョゴリを召されて、
礼拝に参加していらっしゃいました。
私は、そのおかたが、どなたでいらっしゃるかも分からないまま、
洪順愛勧士と一緒に礼拝を受けていました。
そうしているうちに、後に、そのおかたが、
真のお母様として選定されたではありませんか。
選定された後、内々に約婚式がありました。
その後、目立って成長していらっしゃいました。
背も高くなられ、胸も大きくなられ、脚も長くなられ、
なぜか、私の目に、そのお姿が大きく見えるのです。
そのようにして、お母様に初めてお目にかかったというわけです。
☆
前本部教会では、真のご父母様のご聖婚式が行われました。
式は最初、西洋式で行われ、それから韓国服を召されて、
伝統的な式で行われました。
1960年、陰暦の3月16日のことです。
☆
1955年の暮れに大母様が正式に入教され、
翌1956年、中学生の時に、
真のお母様は真のお父様と初めてお会いしています。
1959年は、看護学生になられていて、
修練会などにも参加されたと、
自叙伝には書かれています。
真のお母様が、今のようにご自身で、
「宇宙の母、人類の母」
そのように証すことなどできなかった時です。
お母様は、まったく目立たない存在だった。。。
今では考えることが出来ないような、貴重な証です。
写真を見ても、そんなお母様だったんだな、と思わされます。
また、初期の教会の様子もうかがい知ることができますね。
本当に、一つの教会の教会長さんのような姿のお父様。。。
その当時にいた人たちがうらやましいような気もします。
しかし、真のお母様が永遠に唯一の独り娘であるという
真実の姿を堂々と証された
今、この時こそが、どれだけ貴い立場なのか、
ということも思わされます。
続きます。
*鄭中和先生は、
お父様からお名前を頂き
大和から中和と改名されています。
お父様からお名前を頂き
大和から中和と改名されています。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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