2022年05月31日

3万(+2万)名 マディソン・スクェア・ガーデン、真のお父様の目には涙が! 《松本ママ奮戦記》



220531-46moon_web_Sept. 18, 1974 at New YorkÃ-s Madison Square Garden.jpg
NY マディソン・スクェア・ガーデン大会 1974.9.18


松本ママ奮戦記『信仰は火と燃えて』は、
いよいよ終わりに近づきました。
最終話の「世界に広がる救いの輪」を
2回に分けて紹介します。


1974年アメリカのマディソン・スクェア・ガーデンで、
先生の大講演会が開かれました。

(1973年に脳血栓で倒れたのですが、なんとか回復し)
この時にはまだびっこをひいていましたが、
私はどうしても先生の講演を聴きに行きたくて、
「なんとかしてほしい」と懇願すると、
本部の人たちが奔走して、春日千鶴子さんを
付き添いにつけてアメリカに行くことが
できるようにしてくれたのです。

当日は、2万人もの人が入りきれずに場外にあふれ、
大変な混雑でした。

その中で、二列目のスペシャル席で西川先生と
並んで座らせていただき、胸をわくわくさせて
文先生が出てこられるのを待っていました。


(ひとみ)をじっとこらして先生の顔を見上げると、
その目にはなんと涙があふれているではありませんか。

その涙を見ると、これまで先生が歩んでこられた
険しい涙の道が、走馬燈のように浮かんできました。

16歳のときに天の啓示を受けてから、
生きて十字架の道を歩いてこられたのです。

涙と汗と血を流し、神様のみ旨のために
歩んでこられた先生は、韓国、日本に土台を築き、
ついに現代のローマであるアメリカヘと渡られたのです。

そして、苦労に苦労を重ねてアメリカの人々を伝道し、
その土台の上でこの日、3万人の聴衆を前にして
講演をするまでになったのでした。


この大会は、50州を講演して回った
最後の締めくくりとしての大会でした。

韓国でお会いした先生は、
本当にかわいそうなお父さんでした。

ところが、今やアメリカまで来て、
会場からあふれんばかりの聴衆を前にして、
「キリスト教の新しい未来」というテーマで、
堂々と講演をしているのです。

この日を、天の父はどれほど待っておられたことでしょう。
また誰よりも、先生御自身が待っていたこの日なのです。
この喜びの日を迎え、天の父の喜びを感じて、
感極まって涙を滝のように流しているのでした。

講演会は大成功のうちに終了し、
私の心は喜びに満ちていました。

そして、“ああ、先生はこれからますますアメリカで活躍される。
私も寝てなんかいられない!”と
すぐ日本に帰国したのでした。

 
1976年には、ヤンキー・スタジアムで
さらに大規模な講演会が催されました。

その時も参加しましたが、天のみ旨が
アメリカでどんどん発展しているのを見て、
私はうれしくて仕方ありませんでした。

人に支えてもらわなければ歩くこともできない身で
ありながら、道を歩いているとうれしくて、
自分が病気だなんて忘れてしまうほどでした。

ヤンキー大会の時には、大変なハプニングがありました。
昼まで天気が良かったのに、
突然嵐のような雨が降ってきたのです。

ヤンキー・スタジアムには屋根がありません。
私はどうなることかと驚き、
「天のお父様、この日をあなたは待っておられたのに、
どうして雨を降らすのですか」と祈っていました。

兄弟たちは雨の中で歌を歌い始めました。
どうすることもできない状況の中で、
大会の責任者である神山さんが
「先生、だめです」と泣いて訴えると、
先生は「そんなこと言うんじゃない」と
とても怖い顔をされました。

この時は、先生にとっても
深刻なひとときだったのでしょう。

ところが大会の開始時間が近づくと、
嵐のような雨がうそのように晴れ上がり、
星まで見えてきたのです。

まるで奇跡を見ているようでした。


こうしてヤンキー大会も5万人の人を集めて
大成功のうちに終わり、その4カ月後には、
ワシントン・モニュメントにおいて、
なんと30万人の人を集めてフェスティバルが開かれたのでした。

そこには世界中の人々が集まり、
気絶せんばかりのすばらしさでした。

イエス様はどんなにかローマにおいて、
このような大会を開きたかったことでしょう。

その恨みを晴らすかのように、
先生は世界中の人々を前にして、
神様の心情と願いを堂々と語られたのでした。

この先生の力強い言葉は、人々を励まし希望を与えました。
こうして多くの人々が復活していく姿を
見ることは、私にとって限りない喜びでした。

この喜びは私の体にいい影響を与え、
血の循環も良くなって、目に見えて快復していきました。

松本 道子(1916〜2003)・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「世界に広がる救いの輪」

信仰は火と燃えて 17
世界に広がる救いの輪
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=14060
(blessed lifeより)


マジソンスクエアガーデンでの大会は、
お父様のアメリカでのデビュー戦、
といったようなものでした。

お父様を間近で見られた松本ママが、
お父様の涙をみられた、と言われていますが、
そのようなお父様だったとは、今まで知りませんでした。

お父様においては、やはり、感慨深いものが、
あったのだろうと思います。。。

松本ママの信仰手記の最終話より、
今日は、真ん中の部分を抜き取って、
ご紹介しました。

次回は、お話が前後しますが、1973年に
松本ママが倒れられた時のお話からお送りします。




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