2022年06月10日

(証し)子羊の婚宴、ご聖婚 そして人類の母の受難が始まった!! 《鄭中和先生》



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鄭中和*(チョン ヂュンファ)先生の証し
「真のお母様にお仕えして」
続編です。


式は最初、西洋式で行われ、それから韓国服を召されて、
伝統的な式で行われました。
1960年、陰暦の3月16日のことです。

ご聖婚式のとき、玄関を入って、
その左側に舞台を一つ造りました。

そのようにすれば、礼拝堂があり、畳部屋があり、
その次にさらにオンドル部屋があるので、
居間からそこまで歩まれる道が、少し長くなるのです。

そのようにして、入場されるときの道を長くするために、
そこに舞台を設けて、聖婚式が行われました。

真のお母様がベールをかぶられ、(そのあと)
お父様が紗帽と冠帯を身に着けられ、
お母様が冠をかぶられて、式が行われました。
私たちは、それを近くから見守りました。


また、その舞台で、
真のご父母様はお食事も取られました。

「小羊の婚宴」が行われた日、私がいちばん初めに、
真のご父母様に食膳をおささげしたのです。
それが、私が誇らしく思っていることです。


そのご聖婚式の日に、真のお母様が
何かみ言を語られたというようなことはなく、
真のお父様が非常に喜ばれて、
踊りを踊られたことを覚えています。

その日は、今日、名節などの記念行事を行うときのように、
40種類くらいの祝典の供え物が、
高さ70センチくらいに、盛大に調えられました。


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そのときの真のお母様のお年は、
(数えで)17歳でした。

私たちのだれよりも、お年がお若くて
いらっしゃるにもかかわらず、
『私たちよりも幼いお母様でいらっしゃる』とは、
感じられませんでした。
そのような思いすらも浮かばなかったのです。


『自分が、真のお父様の相対として
選ばれるかもしれない』という感情は、
当時のすべての女性たちが
持っていたのではないかと思います。

けれども、復帰摂理の観点から見て、
真のお父様が、「それは、10代である。」
とおっしゃっていましたので、
私のように、梨大から退学処分を受けた
10数人の者たちで作っていた「明圓会」の会員たちは、
『それは、自分たちではない』と、分かっていました。

ところが、かえって中年や老年の女性食口の中に、
「啓示を受けた」と言って、
夫や子供がいるにもかかわらず、
「自分が真のお父様の相対である」と言って、
さまざまに物議を醸す人たちがいました。

実際に、真のご父母様がご聖婚式を終えられてからも、
そのようなことがありました。


真のお母様におかれては、心労も多く、
相当に難しい状況であったことと思います。
それをお母様は、お若いお年であられたにもかかわらず、
すべて克服していかれたのです。

その背後では、洪順愛大母様が、陰で多くの
信仰的な説明をしてくださったはずであり、
また、お父様も原理的に
説明をしてくださったことと思います。

しかし、心では『原則がそうである』
ということは分かりながらも、
現実として、実際に多くの困難な状況にぶつかるので、
さまざまに大変であったことでしょう。

それで、人知れず、涙も多く流されたと思います。


ですから、その当時、お父様は、
お母様のお部屋を外に定められました。

前本部教会の近くに、36家庭の金寅哲
というかたの家が一軒ありました。
それで、そこの居間を整えて、
お母様は、そこに行っていらっしゃったのです。

お父様のさまざまなみ言によれば、私たちのために、
食口たちのために、また、お母様のために、
「離れていらっしゃるほうがよい」
と、おっしゃいました。

それはどういうことかというと、
今まで、すべての男女の食口が、
お父様だけを見詰めていたのですが、
今やお母様がいらっしゃるので、今までとは違って、
いろいろな難しい問題が起こりやすいということなのです。

真のお母様がいらっしゃるにもかかわらず、
部屋まで押しかけてくる女性たちがいたのですから、
そのようなことを避けるためにも、また、
お母様の安全と保護を図るためにも、
そのようにされたのです。

そのお宅までは、歩いて10分間にもならない距離でした。
前本部教会から現在の青坡洞の本部教会までの、
その中間にありました。



このようなエピソードは、
多くの皆様はご存じかと思います。

聖婚式を挙げられたあと、
お母様は、お父様とは一緒に住むこともなく
食口の家の一室を間借りして生活をしておられた。。。

そして教会に行くときにも
目立たないように裏口からそっと入るように言われ、
また、お母様である大母様とも人前で会話をしないように
言われていたといいます。

主の花嫁という立場は素晴らしく感じますが、
甘い新婚生活とは程遠く、
夫も母も助けてくれない、
まさしく神様しかいない生活であったと思うのです。

「お父様も原理的に説明をしてくださったことと思います」
鄭中和先生は、このように語られていますが、
実際には、お父様は何も言われなかったと、
自ら語られています。

よく、お母様を批判する人たちが、
「私一人で越えてきた、というが、
そこには、お父様もいたのだ。
だから、二人で越えてきた、と言うべきだ」
そのように言いますが、それは違うようです。

お父様も一人で乗り越えて行かなければならなかったし、
お母様も一人で乗り越えて行かなければならない
道があったといいます。

そして、真の父母様として、
お二人で乗り越えてこられた道もあったのでしょう。

誰が真の父母の道を本当に理解できるでしょうか。
同じ道をたどってみなければ、
実際わかったとは言えません。

今回の証しの試練は、お母様が、
真の母として、勝利するための
道のりだったのです。

続きます。



*鄭中和(チョン ヂュンファ)先生は、
お父様からお名前を頂き
大和から中和と改名されています。


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posted by ten1ko2 at 08:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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