2022年07月15日

事実無根、無罪釈放、しかし… 家庭連合(統一教会)へのデマはこうして始まった! 



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延世大・梨花女子大事件が紙面を賑わしたことで、
その時までに誕生していた
新興宗教のありとあらゆる悪い噂が
全部私たちの仕業になってしまいました。

「そうかもしれない」で始まったデマは、
そのまま「そのとおりだ」となって、
私たちに襲いかかってきました。
平和を愛する世界人として
文鮮明自叙伝より


何にでも始まりはあります。

信徒が爆発的に増えたことを危惧し、
大学が教授や学生を退職退学させた
梨花女子大事件の後くらいから
事実無根のデマが吹聴され始めたといいます。

そして、文鮮明師は全くの無実の罪ゆえに
警察に連行されました。

3ヵ月後に無罪釈放されましたが、
気づかれないような小さな記事が出ただけで、
デマだけが、さらに大きくなって、
韓国だけではなく、アメリカでも日本でも
現在にいたるまで、信徒を苦しめ続けています。


文鮮明師は、どのようにして拘束されたのだろうか。
文師が拘束されるのを目撃した信徒の話をまとめてみることにしよう。

1955年7月4日夕方、文師がソウルにある統一教会(奨忠洞教会)の
礼拝堂の後ろ側の部屋に一人でおられた。

そこに、二人の刑事がやってきて、
「ちょっと聞きたいことがあるので、
一緒に警察署まで来てほしい」
と言って文師を連行した。

文師がソウルの治安局特殊情報課(中部警察署)に連行されたときの状況を、
信徒の李秀卿(イ スギョン)氏は次のように述べている。

「先生が奨忠派出所の方に向かわれながら、“安心していなさい”
というようなまなざしで後ろを振り向かれたりされるので、
涙がにじんでお顔を拝見することができなかった。

空色のズボンと空色の半袖の開襟シャツに白いゴム靴で行かれたが、
刑事たちが“ちょっと連れて行く”と言っていたその道が、
刑務所に行く道であったとは! 
その堂々とされた慈悲深いその日のその姿が、
今も目に焼きついている」

李秀卿氏は、重い足どりで教会に戻ると、
そこは空き家のような気がしてむなしさが襲ってきた。
教会にいた信徒たちは、ことの重大さを知り混乱していた。
泣いている者もいれば、祈っている者もいた。

そこに、文師に同行して治安局まで行った劉孝元氏が戻って来た。
劉孝元氏の姿は失意に沈み、目からは涙がこぼれていた。
信徒たちは父母を失った孤児のようであった。

文師が拘束されてから迫害や嘲笑を受けたが、
信徒たちは共に力を合わせた。

「このような時こそ、熱心に祈りましょう」
こう言って、午前零時、三時、六時、九時と
三時間おきに祈りの時間を持った。


治安局の取り調べは、拘束された者だけではなかった。
何人かの信者も治安局から呼び出され、尋問を受けている。

(梨花女子大を)退学させられた姜貞遠さんは七月七日、
治安局で朝九時から夜八時まで調べられた。

彼らは罪状を暴露しようと、あらゆる手段をもって尋問した。
文師との肉体関係があったかどうかについても迫っている。


音楽科講師だった梁允永女史も、治安局に三回呼ばれて取り調べを受けた。
治安局がいちばん立証したかったのが、文師の不倫な男女関係であった。

このとき治安局長は、梁允永女史に牧師たちをはじめ
梨花女子大学総長からも、
統一教会を訴える八十余通の投書が送られてきたことを打ち明けている。

この後も、検察官が梁允永女史の自宅を訪ね調査を重ねた。

「文先生が寝た部屋はどこか? 
寝るとき、だれが布団を敷いたのか?」

投書に書かれている文師の淫らな男女問題を、
検察官は検証しようとしたのである。


梁允永女史に対する事情聴取は、それだけではなかった。

ソウル市内の龍山警察署の捜査主任からも調べられている。
同主任は日本帝国主義時代から三十年間、
捜査官として働いてきたベテランである。

彼は梁允永女史に次のような質問をしている。
「現在、売られている月刊雑誌『実話』に書かれている統一教会のことは、
事実かどうか率直に話してほしい」

『実話』の記事は、文鮮明師の女性に対する
スキャンダラスな報道のことを指している。

「三十年も捜査官をしておられるなら、
人の目を見ただけで一瞬にして判断できるでしょう。
私の目が嘘を言っているかどうか見てください」

梁女史の言葉を聞いて、捜査官は尋問をやめた。


文鮮明師がソウル地方検察庁に送検される1955年7月13日、
多くの人々が集まってきた。

世を惑わすと言われる男を一目見ようとやってきたキリスト教徒、
大学の関係者たちである。

報道陣は、一斉にカメラのシャッターを切った。
群衆は文師の姿を見てあざ笑った。

「あれが偽キリストか?」
「あれが世を惑わす悪人だ!」

文師はこの時、一言も弁明しなかった。

この様子は、見ていた信徒たちに二千年前の
イエス・キリストをほうふつさせた。

イエス・キリストがイスラエルの民衆の前に引きずり出され、
「イエスを十字架につけよ!」
と言われたとき、イエス・キリストは
何一つ弁明しなかったのと酷似していたからである。

文鮮明師の西大門刑務所収監の真相
『受難の源流』より
(武田吉郎 / 著 光言社)


 縄にて打たれる身 引かれ行く姿
 カメラフラッシュも 審きの日を告ぐ
 ののしるユダ人 あざける祭司ら
 避け得ぬこの道 われまた行くのか

聖歌『苦難と生命』より


お父様の嫌疑は無罪釈放という形で終わりました。
しかし、デマと噂は残りました。

噂の根拠とされるものは、その多くが
この時のデマが発祥だといいます。

2014年にあげた記事を再編集して紹介しましたが、
その頃、韓国在住の日本の方からSNSを通じてお便りがありました。

『韓国では、いまだに当時の如何わしいデマを
そのまま鵜呑みにしている人がたくさんいます(特に年配の人)。
私の職場にもそのような方がいました。
最初は、休み時間など、汚物のようによく悪口を言われました』

しかし、『今は受け入れてくれるようになった』ということです。
『やはり常にともに仕事をしながら、苦楽をともにしながら、
謙虚に為に生きて、信用してもらうことから、解いていく道しかないのだな』
そのように感じるといいます。

過去のスキャンダルを始めとして
今も中傷・罵倒を浴びせかける人たちがいます。
本当にそうなのかではなく、
噂だけが一人歩きしている部分が多くあります。

私たちは、真の父母様(文鮮明師夫妻)の行かれた
犠牲と奉仕、「為に生きる」精神を受け継ぎ、
正しいことをコツコツと
続けていきたいと思うのです。



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自叙伝のみ言


延世大・梨花女子大事件が紙面を賑わしたことで、
その時までに誕生していた新興宗教のありとあらゆる悪い噂が
全部私たちの仕業になってしまいました。
「そうかもしれない」で始まったデマは、
そのまま「そのとおりだ」となって、
私たちに襲いかかってきました。

激しく叩かれて、私たちの教会は大きな痛手を被りました。
無念で、腹も立ち、声を上げて抵抗したかったのですが、
私は何の声も出さなかったし、
彼らと争いもしませんでした。
なぜなら、私たちの行く道はあまりにも険しく、
目的の場所ははるか遠い先にあって、
争っている時間はなかったのです。

ところが、噂は静かになるどころか、日が経つにつれて
ますます増殖し、異常なほどの広がりを見せました。
誰彼となく立ち上がって私を指さしました。
……私がよりによって裸になって踊りを踊る
という噂まで出回ったのです。

……この種の誤解を解消しようとすれば時間が必要です。
そのことをよくよく承知している私は、
一言の弁明もしませんでした。
人を知ろうとしたら、その人と
付き合ってみなければ本当のことは分かりません。


平和を愛する世界人として
文鮮明自叙伝
p138〜139より


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この記事へのコメント
母親は旧統一教会に「破産後も献金続けていた」…山上容疑者の伯父が証言 yomiuri

安倍晋三・元首相(67)が銃撃されて死亡した事件で、山上徹也容疑者(41)の伯父(77)が15日、報道各社の取材に応じた。母親が宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の活動を始めたのは山上容疑者が小学生の頃で、伯父は「破産後も献金を続けていた」と証言した。母親は事件直後から伯父の自宅に身を寄せているが、事件の話はしていないという。
同連合は、母親の入信時期を「1998年頃」としていた。しかし、伯父の説明では、母親が活動を始めたのは91年頃。母親は直後に2000万円を統一教会に献金し、まもなくさらに3000万円を献金した。

 原資には山上容疑者が4歳だった頃に自殺した父親の生命保険金のほか、98年に死去した母親の実父から相続した自宅や会社の土地などを売却した金も充てた。2002年に破産宣告を受けるまでの献金総額は1億円に上ったとしている。

 伯父は、母親が活動を始めた背景について「夫の自殺のほか、(山上容疑者の1歳上の)兄が小児がんを患っていたことで悩んでいた」と話す。また、母親の実弟が交通事故で亡くなり、母親の実母が1982年頃に亡くなったことにもショックを受けていたという。

伯父は母親の家を経済的に援助していたが、母親が献金するため、94年頃にやめた。山上容疑者の兄から「食べるものがない」と連絡が来ることもあり、缶詰を送っていたという。母親は献金を理由にたびたび金を無心し、伯父は「お茶をぶっかけて追い返したこともあった」と語った。
山上容疑者は大学への進学を希望していたが、経済的な理由で断念し、消防士を目指して専門学校に進んだ。その入学金は伯父が援助したという。

 生活に余裕がなくなる中、母親は統一教会の本部がある韓国を度々訪れていた。山上容疑者は2002〜05年に海上自衛隊に入隊していたが、05年1月に自殺未遂騒動を起こした。母親はその時も韓国におり、伯父が連絡したが、帰国しなかったという。

 母親は事件のあった8日午後、奈良市内の自宅からタクシーで移動し、伯父の自宅に身を寄せた。疲れ切った様子で、事件のニュースを見ているが、反応を示していないという。伯父は「事件については話をしていない。何か思うことがあるのだったら、すでに(旧統一教会から)脱会してるだろう」としている。

 同連合は11日に開いた記者会見で「破産した人にさらに献金を求めることはない」としていたが、伯父によると、母親は破産した後も少額だが献金を続けていたという。

 伯父は「統一教会によって、(一家は)生活できなくなっていた」と話した。
Posted by ten1kokukatei at 2022年07月15日 12:27
お母様の代わりに安部元首相が亡くなられたのですよ。
喪に服しなさい。
Posted by 藪から棒 at 2022年07月15日 15:24
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