2022年07月22日

「ありがとう」を言えば幸せがやってくる、悪口を言うと・・・?! 《浅川先生》




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浅川先生の講話より、
「言葉で愛する」です。

言葉で愛する

神様は人間に言葉を与えてくださいました。

では、何のために言葉を語るのでしょうか。
それは、隣人と家族を幸福にするためです。
神様は、愛するために言葉を与えてくださったのです。

食べるためだけなら、口があればよく、言葉は必要ありません。
犬や猫は言葉が語れなくても食べて生きています。


それゆえ、愛ある言葉、美しい言葉のみを語るべきなのです。
人が聞いて幸福な気分になる言葉のみを語るべきなのです。

文鮮明先生は、

「愛の心、真実をもって接しなければなりません。
 話をするにしても、一日に良い言葉を
 三回ずつ継続して言ってみてください」


(『愛天愛人愛国』59ページ)
と言われています。

 
ところで、良い言葉を三回どころか、
何千回も唱えて幸福になったおばあさんがいました。

そのおばあさんは毎日、「自分ほど不幸な人はいない」
と愚痴をこぼしていました。

「同じ町内に嫁と孫が住んでいながら、一度も
自分の家に訪ねてきてくれたことがない」と嘆いていたのです。
そのため、毎日、嫁の悪口を言い続けていたのです。

ところが、ある時、
「こんなことをしていてもどうしょうもない。
むしろありがとう、と言い続けてみよう」
と思ったそうです。

それで、朝起きてから
「ありがとう、ありがとう」と言い続けたそうです。

すると、奇跡が起こったというのです。
一日千回言ったとき、一人の孫が訪ねて来たのです。

おばあさんは感動して、こう思ったそうです。
「ありがとう千回で孫一人。
そんならもっと回数を増やしたら、ひょっとして……」。

それから一日三千回以上唱えたそうです。
驚いたことに、孫三人と嫁まで訪ねてきて、しかも、
おばあさんへのお小遣いがベースアップしたそうです。

それで孫にプレゼントができるようになったそうです。
今では、何万回も唱えているそうです。


「ありがとう」という言葉は
不幸な時ほど効き目(?)がありそうです。
不幸な時に感謝できる人は天国人というべきです。

しかし、なかには、言葉を使って不幸になる人もいます。
ひょっとすると、大半の人がそうかもしれません。

文鮮明先生は言葉の恐ろしさについて語られています。

 
「もし言葉を一言間違えれば、
 その言葉を言った人も苦痛を受け、
 その言葉を聞く人も苦痛を受けるのです」


(『愛天愛人愛国』61ページ)



ひとたび口から出た悪い言葉は、もはやその人の所有物ではなく、
悪魔の所有物となり、不幸のために活用されるのです。

そのため、悪い言葉や陰口を語った人が
まず不幸になるというのです。

ゴミは市が回収してくれますが、
悪口という見えないゴミは回収してくれません。
悪口の回収日などないのです。

生ゴミが悪臭を放つように、
悪口は悪霊を解き放つのです。

悪口は不幸の種まきになるのです。
しかも、直ちに不幸な出来事を実らせます。

神様が幸福のために与えてくださった言葉で
不幸になるほど愚かなことはありません。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第四章】愛天愛人愛国愛人─人を愛する生活
言葉で愛する


「ありがとう千回で孫一人」
興味深い証しですね。

反対に、「口は禍の元」、という言葉もあります。

政治家など、ちょっとした言葉の表現で、
言質を取られ、やり玉にあげられています。
批判する人たちほど、
そういう言葉に敏感なのかもしれません。

他の動機で言っているのに、
言葉のみで判断されてしまうこともあるでしょう。

言葉の背後には、「思い」があります。
だから、言葉を受け取ることは、
思いを受け取ることと同じだと思うのです。

良い言葉の背後には良い思いがありますが、
悪い言葉の背後には、
悪なる思いがあるということになります。

悪い言葉は、言われた方だけでなく、
言った側にもダメージがあるとのこと。

「悪口のゴミは、回収不可能」
肝に銘じていかないといけないですね。
言ってしまったものは取り消せないのです。

今はあらゆるメディア、ネットでも
拡散できますから、社会にもゴミがあふれる
ことになってしまいますね。

悪口の習慣がついている人は、
ずっとごみの中にいるということでしょうか。

「いつも笑顔でいなさい。
感謝していなさい」と言われるように、
それを習慣づけることで
「ありがとう」という言葉が
自然に口から出てくるのかもしれません。

さらに意識して賛辞や
「ありがとう」などの
素晴らしい言葉を発していきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 10:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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