毎回、数千、数万のカップルを誕生させた
伝説の祝福結婚行事。
文鮮明(ムンソンミョン)先生による
若いカップルの縁組(マッチング)は、
人間技ではない、神がかったものでした。
石尾豪志(たけし)局長の
「真の父母様との小さな出会い」
今回は、石尾局長ご自身の祝福(マッチング)の証しです。
☆
親子の心情因縁を結ばせてください
今から34年前の1988年10月30日に、
私は、真の父母様から祝福を授かりました。
1988年10月中旬に、訪韓7日修と呼ばれる
統一原理修練会が、韓国で開催されました。
私は、そこに総務として参加していました。
その修練会中、「明日、マッチングがあるから、
スタッフまだ祝福を受けていないメンバーは
龍仁のメッコール工場に行くように」と、
突然の通知があったのです。
翌朝、メッコール工場に着くと、ちょうど真の父母様が
黒い乗用車から降りてこられるところでした。
私は、じかに真の父母様とお会いしたのは、このときが初めてでした。
その日、真のお父様は一日中、
韓日祝福の重要性について語られました。
そして、夜も更けたころ、突然、
「きょう、誕生日の者、立ちなさい」と言われました。
その場にいた日本人男性と韓国人女性が立ちました。
真のお父様は、しばらくふたりをごらんになり、マッチングされました。
私は、とても驚きました。
「このようにマッチングが始まるんだ」と感動し、興奮しました。
☆
真のお父様は、祝福希望者の写真を一つの分厚い束にして持って、
マッチングを始められました。
日本人男性の写真を1枚1枚めくっては見詰め、
韓国人女性一人一人に「何歳? 学歴は?」とお尋ねになりました。
そして最後に、決まって、「額を見せなさい」とおっしゃいました。
韓国人女性が手で前髪をかき上げると、お父様は、
その額をじっくりと見詰めてから、日本人男性の写真を手渡されました。
私はそのようすを見ながら、
「この調子で一人一人に時間をかけてマッチングしていくと、
全員のマッチングが終わるのは3年後かな?」と思いました。
これは個人的な解釈ですが、真の父母様も、
霊界が“のってくる”まではマッチングに時間がかかり、
だんだんとペースが上がっていくのだと思います。
もちろん、霊界が“のってきた”と表現すべき状況になってからであっても、
一組一組に投入される心情の量は、変わらないのだと思います。
会場前方のステージの上には、静かに座って
全てを見守り続けてくださる真のお母様のお姿がありました。
初日の実体マッチングは、翌日すぐに軍隊へ戻らなければならない
韓国軍人と日本人女性のマッチングのみで、
それ以外は全て、実体参加の韓国人に
日本人の写真を渡す形で行われました。
☆
翌日、マッチング再開に備えて、整列していたときです。
当時23歳だった私は、大学の先輩から、
「何歳? 後ろ後ろ!」とたしなめられ、後方の列に加わりました。
整列の途中で、真のお父様が最後尾まで来てくださり、
「もっと前に」と言われながら、
後方の我々を前に押し込まれました。
真のお母様が座っておられるステージに向かって、
右側に男性陣、左側に女性陣が、
前方から密集した状態で座入りました。
男女の間にはアボジロードが設けられ、
二日目は、前方から、実体同士の
マッチングがどんどんと進んでいきました。
☆
しばらくして、真のお父様が
アボジロードを歩いて後方に来られました。
私は、「祝福してください」と思いながら、お父様を見詰めました。
お父様は、私の方を眺めて指さされ、その手を上げながら
「立ちなさい」と合図してくださいました。
しかし、私は、自分だという確信が持てず、
立つべきか悩んでいました。
すると、私の近くに座っていた兄弟が立ちました。
真のお父様は、また、前方に行かれました。
私は、「動機が悪かったから、
マッチングを受けられなかったのだ」
と思い、どんな動機でマッチングに臨むべきか考えました。
そして、「次にお父様が後方に来られたら、
『天の摂理に責任を持つために祝福を受けます』
という気持ちで待っていよう」と決めました。
すると、お父様がまた後方に歩いてこられました。
私は、「お父様、み旨に責任を持ちます!」
と、心の中で叫びました。
お父様は再び、私の方を指さされ、
「立ちなさい」と指示してくださいました。
しかし、そのときも、私だとの確信を持てずにいると、
すぐ近くの兄弟が立ち上がり、マッチングを受けていきました。
☆
私は、「次は3回目だ。3数が大切なのは分かっている。
このままではだめだ」と思い、その場で真剣に祈り始めました。
必死に捧げる祈りの中で、神様から、
「このマッチングを通して、
真のお父様と父子の因縁を結ぶのだ」と 教えられました。
「父子の因縁を結ばせてください」と祈りを終えて、目を開けたとき、
なんと真のお父様が私の前に立っておられ ました。
腕組みをしながら、鋭い眼光で私を見下ろしておられました。
その目は、下向きの三日月のようで、
ものすごい光を発していらっしゃいました。
私は頭の中が真っ白になりながら、お父様を見上げました。
しばらく、お父様と私だけが見詰め合う時間が流れました。
「父子の心情因縁が結ばれた」と感じるのに、十分な時間でした。
ついに、真のお父様は私を指さして、
立つように指示してくださいました。
間違いなく私の顔を指さし、その手を上げてくださったのです。
私が立ち上がったとき、相対者はすでに立っていました。
それぞれの場所からお父様に敬礼を捧げ、
ふたりでアボジロードを歩いてステージの前まで行き、
一緒に真のお母様に敬礼を捧げました。
☆
ステージの横のドアからマッチング会場の外に出た瞬間、
私はとても驚きました。
会場の外と内で、あまりにも霊界が違うことに気づかされたからです。
マッチング会場の外は非常に平穏な霊界でしたが、
会場内の霊界は嵐が吹き荒れていたのでした。
会場から出て、私は初めて相対者の顔を見ました。
私たちカップルは、交流用に準備された別の部屋に入って、
通訳を交えて話し合い、ふたりで
祝福に向かうことを確認し合いました。
祝福、それは、真の父母様が
「親子の因縁」を結んでくださる場でした。
真の父母様に、感謝あるのみです。
☆
文先生が地上におられた時、
特に昔の先輩たちは、直接「マッチング」をされました。
それは、ほんの一瞬であっても、
親子の契りを結ぶ、貴い瞬間であったと言えるでしょう。
私は3万双家庭なので、
「写真マッチング」です。
実体でのマッチングではないのですが、
それでも、妻と縁を結んでくださった、
真の父母様に、深い感謝をお捧げしたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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お父様は食口達の祝福を願って過去現在未来を見て、最も良い伴侶をと思いながらするマッチングはものすごい責任感、労力、神経をすり減らす想像を絶する事だと思われます。
それを一組だけでも大変なのに何十万人とされるのですから、命を削る作業だと思われます。
きっと子孫達に、我々のご先祖様は真のお父様に直接マッチングをしてもらい直接的な父子の因縁を結んでもらえた立派な人だったんだよと語り継がれる事だと思いました。