2022年10月24日

文先生の頭の中に入っているのは、初めて解き明かされた天の秘密・・ 《周藤先生》




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周藤先生の「真の父母と共に歩んだ人生」より
『韓国の映画館で、お父様の真後ろに座って考えたこと』です。

韓国の映画館で、お父様の
真後ろに座って考えたこと

1969年に43双の祝福を受けてから、
しばらくして、私は真の父母様(文鮮明先生ご夫妻)に、
ある決意を込めて手紙をお捧げしました。

不思議なことに、それ以降、約1年半の間、
毎月訪韓し、真の父母様にお目にかかるようになりました。

当時、真の父母様がいらっしゃったのは、
ソウルの青坡洞の前本部教会でした。
その2階の「ベランダ」 と呼ばれる場所で報告をし、
ご指導を受けるのが常でした。


ある日のことです。「ベランダ」には、
真のお父様(文先生)と共に、金元弼先生(3弟子、36家庭)と
金榮輝先生(同)、そしてもう1人、
韓国の先生がいらっしゃいました。

その日も、ご挨拶をしたあと、
報告をして、み言を受けました。

そして、全てが終わると、真のお父様が、
「映画でも見にいこうか」とおっしゃり、私もついていったのです。
着いた所は小さな映画館で、作品は白黒でした。

映画というと、日本や欧米では、
男女の横的な愛に感動して涙を流すものが多いと思います。

しかし、韓国の映画は、男女の愛を描くものもあるでしょうが、
それ以上に深い親子の愛で涙する場面が展開するのです。
このときも、皆、それを見ながら
泣いたり、笑ったりしていました。

ところが私は韓国語が分からないので、
一人だけ、泣いたり笑ったりできず、暇を持て余していました。

それで、どうしたかと言えば、
目の前の席に座っていらっしゃった
真のお父様の頭を見ていたのです。
正に50センチくらい後ろからです。

私は真のお父様の大きな頭をずっと見ながら、
”このお父様の頭の中には何が入っているのだろうか?”
と考えてみました。


すると、このような思いが湧いてきたのです。

”お父様の頭の中には、人類が誰一人として解き明かすことの
できなかった天の秘密が入っているんだ。
それは、人類が切に探し求めてきた内容であり、
神様が教えたくても教えることのできなかったものだ。

それを、お父様はお独りで解明されて、
神様の承認まで受けられた。
それを天の真理として私たちに教えてくださっている。

この頭はどれほど貴いものだろうか。
このお父様の頭なしには、人類の行く道がないのだから―”


こう考えると、深い感動が抑えられなくなってきました。
そのうちに、真のお父様の歩まれた路程が
次々に浮かび上がってくるのです。

そして、映画のスクリーンが白く輝いた瞬間、
お父様の髪の両側が真っ白に光りました。
このとき、私は衝撃を受けました。

当時、お父様はまだ満50歳を超えられたばかりでした。
それなのに、髪の毛が真っ白だったのです。

ふだんは黒く染めていらっしゃいますから、
特に何も感じませんでしたが、普通であれば、
まだ、そんなに白くなるお年ではありません。

私の頭には、真のお父様が受けられた、
興南でのご苦労、また凄惨な拷問、
そのような場面が順番に浮かんできました。

お父様は、ただ、神様と人類のために、
想像もできないほど悲惨な道を行かれ、
血みどろになって闘ってこられたのです。
また、さらに行くべき道が残されているかもしれません。

そのようなお姿を思い浮かべながら、
”なぜ、こんなに正しい方、清い方が、
このような目に遭わなければならないのか”と思うと、
あまりにも切なく、かわいそうで、
その思いを抑えきれなくなってきました。

声を出すことはできないのですが、
真のお父様を後ろから抱き締めたい衝動に駆られ、
ただただ涙が流れ続ける時間が過ぎていったのです。


映画が終わると、真のお父様と先生方が席を立たれたのですが、
私は顔がくしゃくしゃになっているので、恥ずかしくて、
下を向いたまま後ろからついていきました。

お父様が、「食事に行こう」とおっしゃって歩いていたのですが、
先生方は横に並んでいろいろ話をしていらっしゃいました。
私は、お父様の後ろを歩いていったのです。


そのとき、それまで一度も
体験したことのなかった思いが湧いてきました。

それは、”真のお父様の背中の中に入って、
消えて、自分がなくなってしまいたい”という衝動です。
私は、”この気持ちは何だろう?”と思いました。

このときには分からなかったのですが、
あとから祈ってみて気づいたことがあります。

それは、血統転換の一番の中心問題として、
私たち堕落人間は、罪なきアダムの
骨髄に入らなければならないということです。

骨髄というのは、骨の中心、それは
中心の中の中心ということですから、心情を意味します。

ですから、罪なきアダム、すなわちメシヤの
心情の中心に入りなさいということです。
私が、真のお父様の背中の中に入りたいという衝動に駆られたのは、
お父様の心情の中に入りたいということだったのです。

真の父母と共に歩んだ人生(七)
一九七〇年代初頭、韓国での真の父母様との心情的な出会い
2022.6世界家庭より


文先生が白髪であったのは、知っていましたが、
まさか、50代でも白髪だったとは。。。
当時の写真などでも、そのような姿を見たこともないですよね。

『真のお父様の背中の中に入りたい・・・』
文先生を慕えば慕うほど、
こんな思いにさせられるのではないでしょうか。

イエス様を主として仰ぐクリスチャンたちも、
どれだけイエス様に恋焦がれて、
まさに背中の中に入りたいと思って
会いたくてたまらないのではないでしょうか。

文先生は、イエス様と同じように地上にはおられません。
しかし、心情の中に入りたい・・・と思って、
日々を過ごすことがみ旨を歩む、
原動力になることは違いないのです。


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