2022年10月27日

女性として生涯一番の苦痛、最愛の息子を失って。。。 《お母様と興進様@:池生蓮先生》




180428.jpg


皆様ご存知のように、今回大きな人事が成され、
私たちの教会長も二世教区長の一人として、
栄転になります。

しかし、発令された日の夜は
一睡もできなかったと聞きました。
大きな決意の中での出発であることでしょう。

ふと、御子女様のことを思わされ、
興進様の顔を思い浮かべました。

池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の証し。
興進様のエピソードを紹介します。



興進様の昇華を前後して

1984年1月2日、ご父母様の家庭の次男である
興進様が昇華(聖和)なさった事件は、
お母様にとって一生で最も大きな苦痛だったと思います。

お母様は、女性が生まれて経験しうる最大の苦痛の時間を、
み旨に対する絶対的信仰とご自身の忍耐と沈黙で忍ばれました。

興進様の昇華(聖和)を通じて
霊的な勝利の基台を争奪していくお父様の道に、
少しも乱れることなく同参なさいました。


ご父母様の家庭のご子女様たちは皆、
ずば抜けた容貌と素晴らしい資質を備えておられます。
その中でも、お母様は興進様を格別に愛されていました。

ある時、お母様と興進様が、
数人の周囲の食口たちと外出されようと準備しておられました。

興進様は涼しげに白い半袖ワイシャツを着ていらっしゃいましたが、
幼かったそのかたが、16歳となり高等学校に通っていて
とてもすらりとしてずっしりしておられたので、広く張った肩の線が、
決して小さいとは言えないお母様の背丈を越えていらっしゃいました。

興進様がお母様と腕を組んで
子供らしく親しげに横にくっ付かれます。
今やとても大きくなった息子が少し気恥ずかしく感じるのか、
お母様は、そっと微笑みを浮かべながら
興進様をちらりと見上げられます。

私はそのときにお母様の顔に現れた満足と幸福の表情を
いまだに鮮やかに覚えております。
どれほど微笑ましく誇らしげに見つめられたことか…。

立派に成長する息子を見つめるお母様の微笑ましい表情が、
私の目にもとても幸福そうに見えました。


興進様は、ご自身の秀麗で輝く外貌だけでなく、
人並み外れた活気と愛情のこもった言行で
数多くの食口たちの記憶の中に永遠に生きておられます。

アメリカの食口と祝福された後、アメリカに来て
あまりたたない一人の韓国の女性食口がいました。
初めは英語も話せなくてアメリカの社会も充分に分からず、
家にばかり引きこもっていました。

そうこうするうちに、なんとかご父母様の家庭で
奉仕したいという意向が教会から承認され、
イーストガーデンで衣類の洗濯及び手繕いを担当する
奉仕生活を始めることになりました。

この女性は、すべてのことが不慣れで、
真のご父母様の邸宅の雰囲気が注意深いので、
毎日地下の洗濯室で仕事ばかりしていました。


これを興進様が少し痛ましく思われたようでした。

ある日、興進様がこの食口が働いている
地下の洗濯室の階段を急いで降りてこられて
何か大声で言われました。

英語がほとんど分からないこの女性は、
何のことか分からず急いで興進様の方に顔を向けると、
興進様が左腕を右手で白い布切れで覆うようにしておられましたが、
布切れには血の跡のようなものがじっとりとにじんでいました。

間違いなく左腕に大きな傷を負われたようでした。

この女性はそれまで興進様と一度も話すこともできないで
注意深い限りだったのですが、
突然の救急事態が起こったので、我知らず飛び出して
興進様の腕をつかみました。

「興進様、大変なけがをされたのですか?」と、
この女性は目を大きく開けてとても驚き、
興進様が覆っていた白い布切れを注意深く開いて傷口を見てみると、
血の色が少しおかしいのです。

当時12歳の中学生だった興進様は
ハハハと大きくお笑いになりました。
真っ赤な絵の具を白い布切れににじませて、
少し意地の悪いいたずらをなさったのでした。

ところが、女性はとても驚いてから安心したので、
妙にこれまで凝り固まっていた心が一度に溶けたそうです。
明るくハハハと笑われる興進様につられて一緒に笑いました。


そのように一緒にひとしきり笑ったら、
興進様が近しく感じられるのは当然です。

興進様のほうから
まず自分と親しくなりうるきっかけをつくってくださったのが、
イーストガーデンの生活を始めたばかりのこの女性にとっては、
とてもありがたい関心と心配りでした。

翌日、興進様が学校から帰ってこられる頃、
果物一皿を準備してお部屋に入れておきました。

これを知られたのか、興進様は時々、
彼女が仕事する地下の洗濯室に降りてこられました。

とくに多くの話はされませんでしたが、
地下の洗濯室がとても安らかな休息の場であるかのように、
そこにあるソファーでしばらく休まれたり、
時折、居眠りして行かれたりしました。

興進様にいかなる警戒や、感情の壁も
感じなかったといいます。


女性が最近、この話を聞かせてくれて、私は涙が出ました。

興進様が周りの食口たちと親しく過ごされるのは
大体このような具合であり、
そのかたを心よりお世話して侍った食口たちの純粋な心は
おおむねこのようなものでした。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)

日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


この後、孝進様、そして文先生の聖和を
見送られたお母様でありますが、
この興進様を亡くされたことは、
女性として生涯で最大の苦痛だったに違いありません。
何度そのような境地を越えていかれたのでしょうか。

お母様と興進様のお姿。。。
お母様から信頼されていた興進様、
お母様を愛しておられた興進様。

興進様が今、地上におられたなら、
どれだけお母様を支え、
お母様のために歩んでおられただろう、
そんな思いをもつのは私だけではないと思います。

しかし、霊界で活躍しておられる興進様であり、
お父様の代身として、先駆けて霊界解放の道を
歩まれた興進様であることを思うと、
お母様も誇りに思われているに違いないと思うのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック