1950年10月14日、死の収容所、興南から
劇的に解放された前後のお話です。
金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
新しい章「興南解放と釜山伝道」より
「歴史的な解放の日」です。
☆
この戦争(6.25動乱)が起こったのと前後して、
牢屋の中でお弟子になっていた人の中には、
北韓のキリスト教連合会の会長をしていた
有名な一人の牧師がいました。
彼は(文鮮明)先生に一生侍って働く決意をして、
自分の身に何事か起こると、
常に先生に相談していました。
興南から四キロくらい離れた本宮に
刑務所の分所がありました。
そこの仕事は非常にたやすいということで、
年も取っているので、先生に
「私は、そこは非常に仕事がたやすいというので、
移ろうと思いますけれども、先生の意見はいかがですか」
とアドバイスを受けることしたのです。
先生は彼に、「ここにいる方がいいですよ」
と勧めてあげました。
彼は、興南はなかなかつらいと思っていたのです。
それで先生から言われても、
自分の思いのままに分所に移りました。
☆
次に、牢屋で最初のお弟子になった金さんが、
先生のところへ来て、
「私も大変なので、分所に移りたいのですけれども、
どうしたら良いでしょうか」と聞きました。
先生は、「お前が本当に行きたいのならば、
行くがよかろう。
もし何事か変わったことがあった場合には、
そこから逃げ出すようにしなさい」
と注意をしてあげました。
☆
動乱がますます進むうちに、
戦いの情勢は逆転して、
UN(国連)軍は海から興南に上陸することになりました。
牢屋では、囚人を別の所に移さなければなりませんでした。
しかし、戦いが急に不利になってきたため、
収容しているたくさんの人たちを連れていくことができないので、
仕方なく処刑しなければならなくなりました。
そこでついに手を出したのが、この分所でした。
その分所の人たちを全員トラックに乗せて、
裏山に運んでいって残らず銃殺にしました。
その時、先生から行かない方がいいと
言われていた牧師は、犠牲になったのです。
ところが、金さんは、トラックに乗せられて走っている間に、
どうにかして逃げなければいけないと思い逃げたのです。
そして無事に南まで帰ってきました。
牧師さんはみ言のとおりにせずして銃殺され、
全さんはみ言のとおりにして救われたのです。
☆
その次に手を出したのが、
先生の収容されている興南でした。
夜になると、一人一人、
部屋の前で番号を呼ばれます。
そして、この人たちを別の所に移す
といって安心させて、裏山に連れて行くのでした。
囚人たちにシャベルを持たせて穴を掘らせ、
次に機関銃で皆殺しにして、そこに埋めたのでした。
先生には全員が処刑されるということが分かりました。
運ばれていって、ある時間が経過すると、
銃殺する銃の音が大きく聞こえ、
それによって銃殺された
ということが分かったのです。
その時の先生の心はどれほど緊張したかということを、
私たちは推し量れると思います。
一つの部屋から次の部屋へと、
先生の部屋までどんどん近寄ってきたのです。
十月十三日には先生の部屋から何人か呼ばれました。
ところが、それを最後に、国連軍が上陸してきたので、
その時点で共産主義者は、
それ以上処刑する時間がなくて
逃げ出すようになったのです。
それで先生は奇跡的に脱出することができたのです。
それが1950年10月14日のことです。
このようにして先生は
歴史的な解放の日を迎えるようになったのです。
☆
皆様もよく御存じのように、サタンは先生を
自分の思うままに自由にすることができたので、
この牢屋にまで入れたのでした。
けれどもサタンは
先生を讒訴することができませんでした。
私たちがサタンの侵入できるある条件を
提起しない限りは、サタンは
紙一枚であっても侵すことはできないのです。
先生の歩まれる道は、天が助けざるを得ない、
そして霊界が協助せざるを得ない道である
と私は思います。
先生は苦労の中にあっても、それを
自分の苦労とせず、神の苦労の身代わりとして、
天宙の身代わりとして、世界のすべての、
あるいは霊界すべての人々の苦労の代表として歩まれました。
そのように、神から見てもサタンから見ても
感動せざるを得ない、
そういう心情の内容をもっていらっしゃいました。
ですから、先生が危ないところに立てば立つほど、
神が人を遣わしてそれを免れるようになさっても、
サタンは讒訴できないのです。
サタンも先生を見る時、讒訴条件がなかった場合、
先生を後にして逃げなければならないということになるのです。
先生は神を感動させ、そしてサタンを感動させ、
そういう人間としての勝利の基準を立てたのですから、
その先生を慕う私たちも、
こういう路程を勝利の基準としながら
歩かなければならないと思います。
第六章 興南解放と釜山伝道
歴史的な解放の日より
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
歴史的な解放の日より
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
興南の解放の奇跡は、韓総裁の自叙伝にもあるように、
文先生様のためでもあり、
また、韓総裁のためでもあったといいます。
そういう意味では、
神様の摂理はなんとも奥妙であると感じます。
そして、この時、文先生とともに助かったのは、
自分の判断で物事を決めた人ではなく、
先生の指示通りに動いた人でした。
そして、先生ご自身も
貴い精誠を尽くしていかれ、
サタンが讒訴できない条件をたてられたので、
神様が救い出されたのでした。
真の父母様と一つになることが、どれほど重要であるか、
そのことを改めて教えていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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