2022年11月09日

○○は死んでも直らない 「お金がすべて」の人が霊界に行くと・・・ 《浅川先生☆天活のすゝめ》




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天正宮の花☆


浅川先生の「天活のすすめ
〜天国への準備はできていますか」
今回は、『真の愛を実践する』です。

「真の愛を実践する」
 
人間には、死んでも直らない性格があります。

心の根となっているので「心根」といいます。
人は、心根を身につけて霊界に行くのです。

火葬して消滅するのは、
目に見える肉身と所持品だけです。

見えざる心根は何千度の熱でも燃えません。
霊人体とともに、霊界に持参していきます。

人生の結実は、心根だけです。
心根が、「真の愛」になっていれば、
天国に行くことができるのです。

「真の愛」とは、人を愛して与え、
それを忘れて、また与える愛です。

真の愛を体得していれば、
「天国」で豊かな衣食住生活ができます。
すべて可能です。

天国は、真の愛を実践する人だけが住む世界です。
相手の幸せだけを考えて実践するのが天国人です。

それゆえ、真の愛の心根を身につけることが、
天国準備活動、“天活”なのです。

「お金が人生のすべて」と考える心根の人が、
「愛が人生のすべて」と考える心根に変わるのは、
簡単ではありません。

  
文鮮明(ムンソンミョン)先生は、次のように言われます。


「地上で生きた人があの世に行って、
 突然変わることはできません。
『三つ子の魂百まで』という言葉がありますが、
 もって生まれた性格は直すのが難しいのです。

 あの世に行っている霊人体は、
 地上で暮らしてきた内容と特別に違うのでしょうか。
 突然に変わるのでしょうか。

 そのようなことはありません。
 地上で生きた、その姿どおりに
 収穫されていくのです」


  
ある男の物語をします。

この男は金だけが人生のすべてと考えていました。
何十年も生きるうちに、
そのような人生観が身についてしまったのです。

「人はお金をやらなければ動いてくれない」、
また、「自分が苦労したからには、
必ずお金をもらわなければならない。
たくさん苦労したら、たくさんお金をもらうべきである。
またお金をもらえないなら働かない」。

そのくせ、この男は天国に行きたかったのです。

さて、この男が死んで霊界に行きました。
霊界に行くと、川が流れていました。
広い川で、その川を渡ることができません。

川べりに一人の船頭が船の上に乗っていました。
どうやらこの船頭に頼めば、
川の向こう岸まで連れていってくれるようです。

この男はその船頭に、「船頭さん、船頭さん、
ぜひ向かい側の岸まで乗せていってもらえませんか。
向こう岸まで連れていってくれたら、
たくさんのお金を払うよ」と頼んだのです。

この男は、お金を払わなければ、
人は人のために働かないと思っているのですから、
「向こう岸まで連れていってくれたら、
お金をはずむよ」と言ったのです。

この言葉がこの船頭さんに不思議な印象を与えてしまいました。
随分不思議な人であると思って、
異星人を見るように、この人を見たそうです。

この天国の住民である船頭さんは、
朝から人のために尽くすことしか考えていないし、
そのことしか考えられない人だったのです。
報酬も一切、頭の隅にさえ考えたこともありません。

ただただ人のために尽くしてあげたい、
そう思って生きてきたのが、この天国の船頭だったのです。
ですから、何かをしてくれたらお金をはずむ、
この考え方にはびっくりしてしまいました。

「あなたはここの住民ではありませんね。
今までたくさんの人を向こう岸に連れていきましたが、
お金をはずむよと言う人はいません。
いったいあなたはどこから来たのですか」
としみじみと聞いたそうです。

この男は向こう岸に渡ってから、
会社に勤めて働こうと思っているのですが、
これだけ働けばいくらもらえる、時給はいくらなのか、
そういうことばかりしか考えられなかったのです。

ところが天国は、そうではありません。
先を競って人のために尽くすことだけが喜びの世界なのです。

ですから、働いたことに報酬を要求するこの人は、
あまりにも不思議な人、おかしな人だと思われるようになります。

結局、彼は恥ずかしくなり、
到底天国には住めないと思って去っていったのです。
以上が天国に行けなかった男の物語です。

  
天国に行くためには、愛して忘れる心根を
しっかり身につけなければなりません。

計算高く生きては天国に行くことはできません。


文鮮明先生は、次のように言われています。


「天国は与えながら生きるところです。
 良いものを与えたあとも、もっと良いものがあれば、
 それをまた与えたいと思うのが父母の心です。

 赤ん坊にどんなに晴れ着を着せ、
 どんなに良いものを食べさせたとしても、
 それで満足するのではなく、
『もっと良いことをしてあげられないか』
 と思うのです」


浅川勇男・著
(光言社刊『“天活”のすすめ〜
天国への準備はできていますか』より)
第五章 天国への愛磨き
「真の愛を実践する」
(blessed life)


人生の結実は、心根だけである。
心根が、「真の愛」になっていれば、
天国に行くことができる。。。

恐ろしくもあり、またこれが現実であるとも言えます。
『恐ろしく』と書いてしまいました。
まだ私の心根はどうなんだろう、と思ってしまいます。

人の喜びを自分のように喜べる、
与えることに周知徹底する
そんな人生を送っているだろうか。。。

まだまだ修行が足りないな。
そんな風に思わされます。

この世の価値というものは、
あの世、霊界に行っても通じないのです。

どんな億万長者になっても、
どんな地位、名誉が与えられても
霊界では何の価値もないのです。

文先生ご夫妻のように、
為に生きる人生を生涯の指針とする、
そんな信念を持たなければ、と思うのです。

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posted by ten1ko2 at 08:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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