2022年12月05日

文鮮明師は反日≠ナはない! 「週刊現代」の悪意ある でっち上げ記事に対して




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先生(私)は日本の歴史上
誰よりも日本を愛した。


文鮮明



真の父母様宣布文サイトより
「週刊現代」に掲載されたみ言批判≠フ虚偽【反論1】
――文鮮明師の思想は反日≠ナはない
を紹介します。


「週刊現代」に掲載されたみ言批判≠フ虚偽【反論1】
――文鮮明師の思想は反日≠ナはない

「週刊現代」2022年11月19・26日合併号に、
「統一教会・文鮮明『日本憎悪』の凄まじい未公開語録」
と題する批判記事が掲載されました。

その記事は、「日本への憎しみや蔑視が入り混じった
文氏の複雑な心境」とコメントしながら、
家庭連合(旧統一教会)創始者・文鮮明師の御言選集から
一部を抜粋して批判文を書いています。

これらの批判は、全体の文脈(コンテクスト)の
意図を汲み取っておらず、
悪意を持った批判にほかなりません。

 
その批判文は「日本は一番の怨讐の国でした。
二重橋を私の手で破壊してしまおうと思いました。
裕仁天皇を私が暗殺すると決心したのです」(「週刊現代」168ページ)

「裕仁天皇を二重橋を越えて殺してしまおうとした
地下運動のリーダーだったんです。
こうした学生時代には、日本の婦人たちに
無視されたこともたくさんありました」
(同168〜169ページ)とあります。

 
これらの批判は、「週刊現代」に大意≠ニあるごとく、
文脈(コンテクスト)を考えないで批判しているものです。

文師が語っている時代背景は、
1941年4月から1943年10月の
日本留学時代に限定されることです。

この時代においては、韓半島出身者ばかりでなく、
国内の共産主義者や反体制思想家、活動家などが、
日本の軍国主義に対して様々な思いを
抱いていたことは事実であり、
文師も義憤心から戦争をやめさせるために
様々な思いを持っていたことが窺われます。


文師は次のように語っています。

「日本の国もわたしと怨讐(敵、憎む相手)でしょう。
 日本がどれほど怨讐ですか。

 昔、日本の天皇を捕まえて殺そうと、
 それを皆、謀議していたのに、
 わたしは、『やいやい、そんなことはするな』
 と言ったのです。

 それで、日本人以上にアジアのために
 生きなさいというのです」
(『本郷』94ページ)


これは、文師が、日本統治時代において
「愛国者」「国の忠臣」として地下運動をした
と語っておられ、「愛国」のために、
韓国のみならず、日本の国、ひいては
アジアを生かすためであると
語っているみ言もあることから明らかです。


「週刊現代」が取り上げた文言は、
日本統治時代という時代的背景を無視しています。

事実、終戦後の日本に対して
「天は滅んだ(敗戦)者を再び打つことはありません。

 滅んだ者の中で、自分の罪を自首して
 謝罪する者に対しては、憐れみをもって対する」
(御言選集25−333)
という天(神様)と同じ思いをもって
対さなければならないと語っておられます。

文師が語られた内容の全体を見ていないため、
「週刊現代」の批判内容は
大意≠ノすらなっていません。


文師は、さらに次のようにも語っておられます。

「先生(私)は日本人から、多くの拷問を受けました。

 しかし戦争が終わって、拷問をしたその特高刑事に
 復讐をしようとしている友達たちを集め、
『かわいそうなのは負けた日本である。
 すでに主権を失って、膝を屈している
 哀れな人間を打つ者は、神様が罰せられる』

 と話して、また韓国において(残留し)
 追われている日本人をひそかに呼んで、
『拷問される前に早く帰りなさい』
 と言って荷物をまとめることもしてあげたのです」
(御言選集15−182)


このように、文師は第二次世界大戦中、
弾圧している「全体主義」国家としての
日本と戦っていたのであって、それは
「罪を憎んで人を憎まず」の
精神からであることを知らなければなりません。


「週刊現代」は、「『日本憎悪』の凄まじい未公開語録」
と大げさなタイトルを銘打っていますが、
決して日本という国家そのものを
憎悪しているわけではありません。

それはあくまでも、戦時中の「全体主義」国家としての
日本に対してであり、当然、そこに天皇に対する
憎しみがあったというわけではありません。

文師は、天皇が万世一系≠ニいう優れたものとして、
日本の天皇を神の代身者の如く敬うことも
良しとして語っています(「『反日カルト』批判の虚偽=vを参照)

また、「先生(私)は日本の歴史上誰よりも日本を愛した。
 韓国人ではないかと言うかも知れない、
 平面的基準はそうかも知れないが、
 しかし内的基準においては、
 日本人以上に日本を愛したのである」
(1969年4月27日、「理想の基準」より)
とも語っておられます。


「週刊現代」の批判記事は、
ある一部の言葉だけ抜き取り、文師を貶めようとする
悪意≠ノ満ちたものと言わざるを得ません。

ちなみに、「週刊現代」は
「皇居の正門に架かっている二重橋を破壊しようとしていた」
(169ページ)と述べますが、
文師の留学時代には二重橋は参賀が禁止されており(参照:Wikipedia「二重橋」)
破壊することは不可能なことでした。

この記事は、左翼勢力が
保守派と家庭連合との分断作戦≠
謀ったものと言わざるを得ません。

True Parents
(真の父母様宣布文サイト)より
https://trueparents.jp/?page_id=7145


言葉尻を捕らえて、真実をねじ曲げた
情報を流すのは、マスコミの常とう手段だとはいえ、
本当にあきれて言葉になりません。

上のサイトで述べているように、
明らかに意図的に、悪意をもって
作られた記事であることは間違いないでしょう。
思想的、政治的意図もあると思われます。

私たち食口(教会員)は、お父様(文先生)が
いかに日本を愛していかれたか、
その心情を理解し、実感しています。

日本を愛したというのは、日本人に対して
祈られるだけでなく、具体的な行動を通しても
愛していかれました。

それは、戦後すぐに日本の特高警察を
ただ見逃すのではなく、
逃がしてあげたという姿を見てもわかります。

私も拉致監禁の現場で、強制改宗のための
説得を受ける中で、文先生に対して、
非常に悪辣なことをさんざん言われました。

しかしそれほどまでに言われても、怯まないのは、
先生の真実の姿を知っているからである、
そのことを断言したいと思います。




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posted by ten1ko2 at 09:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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