金元弼先生のみ言。
今回は、「失敗をはずみとする
避難命令下でおばあさんを探す」です。
☆
失敗をはずみとする
(文)先生は困難な中にあっても、余裕があるのです。
難しいことがあっても、
それを難しいものとはとらえないのです。
例えて言いますと、ちょうど商売をやっていて、
それが失敗してお金を全部失ってしまったとしましょう。
そうした時には、お金を失ったことで
苦しんだり、悩んだりします。
それはちょうど男がばくちをするために
お金を借りたけれども、ばくちに負けて
お金が吹っ飛んだという気持ちと同じだというのです。
そういった時に、先生はどうとらえるのでしょうか。
将軍が戦いで負けることは、普通にあることだと考えるのです。
私たちは一つ失敗したら、立ち上がれないくらいに
心配して、悩むことがいっぱいあります。
しかし、先生の場合は、
「もっとよくやる」という心で、
それを全部吹っ飛ばしてしまうのです。
理解できますか。
私がこういうふうに話すのは、
皆さんがたまたま誤ったとしても、
それに執着して悩まないで、
それを刺激として次のことに突進していく
態勢を整えることが必要だと思うからです。
☆
避難命令下でおばあさんを探す
先生が食口たちを訪ねておられると、
既に十二月四日になっていました。
戦況は、中共軍が参戦するとまた北が優位となって、
国連軍は南下し始めました。
その後、「全員避難せよ」という指示が下り、
自由を求める人々は北から南へ、
どんどん避難し始めました。
みんなが次々に避難する中で、
先生はあるおばあさんの食口を
最後まで探しておられました。
市民は朝早くから全部逃げていったのですが、
おばあさんを訪ねて日が暮れるまでとどまりました。
それで避難は一番遅れました。
☆
そのおばあさんは、四十歳になるまで
字が読めなかったのですが、神の手が現れて、
聖書の文字を一つ一つ指しながら
読み方を教えてもらったのだそうです。
また、いつも祈りに行く場所にある老木が、
「おばあさん、倉庫でもいいから
私を使ってください」と頼んだり、
高い山に登ろうとすると、風がフイと吹いて
おばあさんを持ち上げて、
山の頂上に置いてくれたりしたのです。
その方はキリスト教が入ってくる前に、
土俗宗教を信じていました。
ところが、ある日神様が現れて、
「その宗教はそのくらいにして、
これからは私の導く教会へ行きなさい。
十字架の、とがっているあそこの教会に行きなさい」
と教えられて、イエス様を信じるようになりました。
そのおばあさんが先生に会ったのは七十六歳の時で、
先生をメシヤと信じ、いつも先生のそばに座っては、
先生の服に触りたがっていたのでした。
☆
十二月四日に先生がやっと探し当てたら、
そのおばあさんは、もはや死ぬ寸前のような状態でした。
私が先生の代わりに、そのおばあさんの所に行って、
大きな声で先生の無事を伝えると、
おばあさんはもうろうとした意識の中で、
「うん」と返事をしました。
このことを先生に伝えると、先生は初めて
「ではこれから避難しよう」と言われ、
やっと出発することになったのです。
平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「失敗をはずみとする」
「避難命令下でおばあさんを探す」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第六章 興南解放と釜山伝道
「失敗をはずみとする」
「避難命令下でおばあさんを探す」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
最近、仕事でうまくいかないことがあり、
どうすることもできない状況に陥りました。
自分の足りなさ、不甲斐なさに落ち込みつつ、
さて明日のブログを造ろうと
記事を見た時に、救われる思いになりました。
元弼先生の例えがちょっとすさまじいものですが、
しかし、最悪な状態になったとしても、
執着して悩まない、という精神を
文先生は持たれているということを考えると、
何か、気持ちが晴れたような気がしました。
現実は変わりませんが、
心の持ちようが大事である、と思います。
また、後半の内容ですが、神様を愛する心情は、
神様と出会った人との縁を、大事に貴く思っていた
その心情の現れである、と思います。
神様を愛するように、人との縁を貴く思われるお父様。
私たちも相続していきたい、と思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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