2022年12月06日

失敗をはずみにする! 避難勧告下、最後の避難民となって・・・ 《金元弼先生》




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金元弼先生のみ言。
今回は、「失敗をはずみとする
避難命令下でおばあさんを探す」です。

失敗をはずみとする

(文)先生は困難な中にあっても、余裕があるのです。
難しいことがあっても、
それを難しいものとはとらえないのです。

例えて言いますと、ちょうど商売をやっていて、
それが失敗してお金を全部失ってしまったとしましょう。

そうした時には、お金を失ったことで
苦しんだり、悩んだりします。

それはちょうど男がばくちをするために
お金を借りたけれども、ばくちに負けて
お金が吹っ飛んだという気持ちと同じだというのです。

そういった時に、先生はどうとらえるのでしょうか。
将軍が戦いで負けることは、普通にあることだと考えるのです。

私たちは一つ失敗したら、立ち上がれないくらいに
心配して、悩むことがいっぱいあります。

しかし、先生の場合は、
「もっとよくやる」という心で、
それを全部吹っ飛ばしてしまうのです。

理解できますか。

私がこういうふうに話すのは、
皆さんがたまたま誤ったとしても、
それに執着して悩まないで、
それを刺激として次のことに突進していく
態勢を整えることが必要だと思うからです。

避難命令下でおばあさんを探す

先生が食口たちを訪ねておられると、
既に十二月四日になっていました。

戦況は、中共軍が参戦するとまた北が優位となって、
国連軍は南下し始めました。

その後、「全員避難せよ」という指示が下り、
自由を求める人々は北から南へ、
どんどん避難し始めました。

みんなが次々に避難する中で、
先生はあるおばあさんの食口を
最後まで探しておられました。

市民は朝早くから全部逃げていったのですが、
おばあさんを訪ねて日が暮れるまでとどまりました。
それで避難は一番遅れました。


そのおばあさんは、四十歳になるまで
字が読めなかったのですが、神の手が現れて、
聖書の文字を一つ一つ指しながら
読み方を教えてもらったのだそうです。

また、いつも祈りに行く場所にある老木が、
「おばあさん、倉庫でもいいから
私を使ってください」と頼んだり、
高い山に登ろうとすると、風がフイと吹いて
おばあさんを持ち上げて、
山の頂上に置いてくれたりしたのです。

その方はキリスト教が入ってくる前に、
土俗宗教を信じていました。

ところが、ある日神様が現れて、
「その宗教はそのくらいにして、
これからは私の導く教会へ行きなさい。
十字架の、とがっているあそこの教会に行きなさい」
と教えられて、イエス様を信じるようになりました。

そのおばあさんが先生に会ったのは七十六歳の時で、
先生をメシヤと信じ、いつも先生のそばに座っては、
先生の服に触りたがっていたのでした。


十二月四日に先生がやっと探し当てたら、
そのおばあさんは、もはや死ぬ寸前のような状態でした。

私が先生の代わりに、そのおばあさんの所に行って、
大きな声で先生の無事を伝えると、
おばあさんはもうろうとした意識の中で、
「うん」と返事をしました。

このことを先生に伝えると、先生は初めて
「ではこれから避難しよう」と言われ、
やっと出発することになったのです。

平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「失敗をはずみとする」
「避難命令下でおばあさんを探す」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


最近、仕事でうまくいかないことがあり、
どうすることもできない状況に陥りました。

自分の足りなさ、不甲斐なさに落ち込みつつ、
さて明日のブログを造ろうと
記事を見た時に、救われる思いになりました。

元弼先生の例えがちょっとすさまじいものですが、
しかし、最悪な状態になったとしても、
執着して悩まない、という精神を
文先生は持たれているということを考えると、
何か、気持ちが晴れたような気がしました。

現実は変わりませんが、
心の持ちようが大事である、と思います。

また、後半の内容ですが、神様を愛する心情は、
神様と出会った人との縁を、大事に貴く思っていた
その心情の現れである、と思います。

神様を愛するように、人との縁を貴く思われるお父様。
私たちも相続していきたい、と思います。


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posted by ten1ko2 at 12:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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