2022年12月21日

心はどこにあるか 神様は、人間の最も大切な所に棲んでいる?! 《史吉子先生》




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史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より
『霊人体の成長と完成」を紹介します。


私が既成教会に通っていた時、
解けなかった疑問点が1つありました。

人の霊が体を持っており、死んだら確かに天国に行くのに、
私の霊魂はどこにあるのだろうかと気になっていました。

頭で考えるのをみると、頭にあるようでもあり、
胸で感じるのをみると、胸にあるようでもあり、
霊の所在が正確にわからなくて、とても気になっていました。

霊の存在とは、雲や霧のように漂っているものなのか
と、考えたりもしました。


創造原理の「無形実体世界と有形実体世界」で見ると、
肉身の姿の まま霊人体が成長すると言います。
ですから、肉身は霊人体の型(かた)です。

それだからかも知れませんが、
世界を回ってみても不思議なことに、
そっくり似ている人は一人もいませんでした。


おもしろい逸話があります。

36家庭の婦人の中で顔に疥(はたけ 硬貨大の円形の白い粉をふいたような
発疹ができる皮膚病:疥癬(カイセン) )
ができてかゆくなり、
いくら掻いても、病院に通っても、治らない人がいました。

それで仕方なく、その婦人が神様に祈りを捧げたそうです。
「神様!私はあなたの娘です。
かゆみがひどいので、どうか治してください。」
と祈ったそうです。

そうしたら体の中から、
「よし、よし!わかった。
かゆい所におまえの唾をよく塗りなさい」
と言う、神様の声が聞こえたそうです。

神様の言われたとおりに唾を続けて塗ったら、
いつの間にか綺麗に治ったそうです。

あまりにも不思議で嬉しくて、
「神様!どこにいらっしゃいますか?
神様の声は聞こえるのに、
どこにいらっしゃるのかわかりません。
どこにいらっしゃいますか?」と聞いたそうです。

そうしたら、「ここにいる。ここにいる」
と言う声がして、突然、自分の手が
自分の生殖器を続けて叩いたそうです。

また、 「どうしてわからないのか!
どうしてわからないのか!」と言う声も聞こえたそうです。

お父様はこの話をお聞きになって、
おもしろいと言われました。

いつか祝福家庭が清平に集まった時にも、
その婦人に証をするように言われたので、
出て来て、おもしろく証をしました。


私が気になってお父様に、
「本当に神様が人間の生殖器にいるんですか?」
と伺いました。

お父様は、「神様が人間を創る時、
男と女の生殖器を創るのに一番時間をかけて
精誠を尽くされたのだ!」とおっしゃいました。

このように人間にとって、生殖器が最も重要なのです。


お父様は、本当に貴いみ言を語られました。

「私も肉身をまとっていて、
あなたたちも肉身をまとっているが、
私が生きている間に人々に会うとしても、
何万人くらい近くで会えるだろうか?」
とおっしゃいました。


事実、草創期に青坡洞の教会のお部屋で
お父様に侍っていた頃は、門番がいませんでした。

誰でも部屋に入って座れば、
お会いすることができました。

今は漢南洞の公館に、
許可無くして勝手に入ることはできません。
そのように敷居が高くなってしまいました。

お父様も、 全ての食口たちに会おうと
思われてもあまりにもお忙しく、仕方なく
漢南洞に来る食口を制限したのですが、
そのようになったことに対して、
大変残念に思っておられます。

しかし、私たちが霊界に行けば事情が違うのです。

お父様が語られるには、霊界に行く時には
私も光を発する生霊体となって霊界に行き、
あなたたちも地上でどれほど神様を愛し、人間を愛し、
万物を愛しながら精誠を尽くしたかによって、
それに見合う光を発する霊人体になって
霊界に行くのだと言われます。

それで精誠をたくさん尽くした人は、
自分自身の霊人体の光が明るくなるそうです。
それは偽ることのできない、一つの永遠の真理です。


このように肉身を脱いで行くのですが、
光の度数が強ければ、すぐ目につくそうです。

夜に南山 (ナムサン:ソウル市の中心にある山)
高い所に行って下を眺めて見れば、
明るいネオンサインが見えるのですが、
暗い光よりも強く明るい光の方がすぐ目につくのと同じです。

このように、霊界には数多くの霊人体が
肉身を脱いで上がって来るのですが、
お父様がご覧になる時、
最も明るい霊人体が先に目につくそうです。


お父様がおっしゃるには、
そんな人が地上から霊界に行く時に、
子供が父を訪ねていく前に、父が先に訪ねて来て
その子供を連れて行くと言われました。

「愛する息子よ!娘よ!
地上ではおまえと親しく過ごせなかったが、
おまえは神様を愛し、人間を愛し、
万物を愛し、多くの精誠を尽くして来たのだなあ。
もう永遠に私から離れないで、
私と一緒に暮そう」
と言いながら連れて行かれるそうです。

ですから、神様は公平であられるのです。
たとえ地上ではお父様の近くで
待って暮すことはできなかったとしても、
霊界では一緒に暮すことができるのです。


このみ言は、地上で一度も父母様に侍れなかった
食口たちには、大変な慰労となり、激励となるでしょう。

皆さんは若い ので、お父様にお目にかかることの
できる機会は多いでしょうが、
年がいった人たちはそうではありません。
それで、年がいった人たちは、
父母様をどれほど恋しく思っているかわかりません。

私たちが肉身を脱いで霊界に行くと、
いくら田舎の名も無い人であっても、
神様に精誠を尽くしたら、霊人体の光が明るくなるのです。

それで私が霊界に行く時、明るい光を持つ
霊人体を持って行くために、
どれくらい準備したかと言うことが、最も重要です。

霊人体の完成は個性完成、人格完成、
つまり愛の完成だそうです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章 創造原理 105
一部編集(注釈)、文責:ten1ko


「神様が人間の生殖器におられる」
何ともユニークな証しですね。。。

神様は愛の器官を最も貴く作られ、
夫婦が一つになるところに神様が宿る、
というようなみ言を、
真のお父様が語られたことがあります。

そのようなみ言が語られる前に
神様の啓示を受けた方がいるのは、凄いことですね。

「地上ではお父様の近くで
待って暮すことはできなかったとしても、
霊界では一緒に暮すことができる」

このみ言も本当に重要なみ言だと思います。
精誠を込めて、真の父母様と共に
歩んでいきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 09:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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