金元弼先生のみ言。
今日は、「*厳徳紋(オム ドンムン)先生の入教と
釜山での開拓伝道」です。
釜山に到着したのが、1951年1月27日、
厳徳紋先生と再会したのが、1月28日のことでした。
6.25動乱(朝鮮戦争)で、北から命懸けで
避難した文先生たちでしたが──
70年以上前の1月のお話です。
☆
ニヵ月ほど過ぎたころ、朴さん(朴正華氏)の足が
ほとんど治ってきたので別れて、
(文鮮明)先生と私だけが釜山(プサン)に向かうことになりました。
途中、蔚山(ウㇽサン)で初めて汽車に乗ることができました。
釜山に着いた最初の夜、先生は
昔、ソウルで日曜学校の先生をしておられた時の
弟子の家で休まれました。
私は他人の家なので、共に世話になることができず、
ある食堂に就職して、そこに寝泊まりするようになりました。
☆
先生は、日本で一緒に勉強していた
厳徳紋(オム ドンムン:36家庭)さんに会われました。
そして厳さんの家に落ち着かれることになりました。
厳さんは、先生と学校時代
(早稲田大学附属早稲田高等工学校)の同窓生であり、
互いに友達のような間柄で、先生は厳さんに
これからの理想世界に対するいろいろな話をされました。
☆
すると彼の夢にイエス様の妹が現れ、
「私はイエス様のことで私の母に恨みがあります。
その恨みを解くには、大きな門があって、その中に小さな門があり、
またその中にさらに小さな門がありますが、
それを開けなければなりません。
その鍵を持っている人は文先生だけです」
と言うのです。
☆
その人は仏教の人ですから、キリスト教のことも
聖書の内容も全然知らないのです。
それで朝になって目を覚して、先生にお話しされるのですが、
その時はひざまずいて話しました。
昨日の夕までは、「君」「おまえ」と言ったのが、
その朝はひざまずいて、「先生」と言うのです。
そして先生に鍵のことを
「それは何のことですか」と聞くのです。
そこで先生は、ずっと歴史を
お話ししてくださったというのです。
そして、厳さんはそれからずっと熱心に
先生と共に歩んでいらっしゃいます。
☆
また、先生は金さんという弟子の家に
二週間ぐらいとどまられたこともありました。
金さんは北韓の興南の獄中での最初の弟子でしたが、
その後結婚して小さな家に住んでいました。
先生が厳さんと働いておられた時、
部屋がありませんでした。
それで結婚して何日もたたない金さんの、
四畳の小さな部屋に行って一緒に暮らしたのです。
そこで先生は原理を書かれました。
『原理原本』です。
先生は厳さんと一緒に本の表紙を作る仕事をしながら、
原理を書き始められたのです。
☆
ある時、先生は、
「ここではどうしても原理を書くことが
できないから、お前が下宿している所に
私は行かなければならない」とおっしゃいました。
それで先生は私が下宿していた所に
一緒に住まわれるようになりました。
その下宿というのは、三畳の部屋なのです。
だからもう先生の頭と足が壁にぶつかるのです。
そういう狭い所にいらっしゃりながら、
先生は原理を書かれ、
また開拓伝道をされたのです。
平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「厳徳紋先生の入教と釜山での開拓伝道」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第六章 興南解放と釜山伝道
「厳徳紋先生の入教と釜山での開拓伝道」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
2ヵ月かけてようやく蔚山(ウㇽサン)から
釜山に入られた真のお父様(文鮮明先生)と
金元弼先生でした。
長い道のりになったのは、例えばソウルも
そうですし、韓国の至る所で
戦火が上がって多くの被害が出ている中で、
釜山は、被害がない都市だったので、
多くの避難民同様、そこまで南下することになったのでしょう。
(ちなみに当時7歳の真のお母様は、
その頃、大邱(テグ)に避難されました。)
☆
さて、真のお父様と早稲田の同窓生だった厳徳紋先生。
建築家として大きな業績をもたれつつも
共に歩み続けられ、
真のお父様の数ヵ月前に聖和されました。
釜山での奇跡的な再会に関しては、
自叙伝「平和を愛する世界人」にも掲載されています。
イエス様の妹が夢に現れたという証しは、
厳先生が見られたのですね。
確かにこの内容は、真のお父様でなければ、
解くことができない話だと思います。
☆
また、原理原本を書かれた場所というのも
金元弼先生のそばで書かれたということでした。
釜山といえばポムネッコルであり、
そこで原理原本を書かれたと聞いていましたが、
同じ年1951年の8月に建てられたので、
それより以前に書き始められていたのですね。
元弼先生の下宿は、たった、三畳の場所でしたが、
スペースの大きさが問題なのでなく、
心情の基台が問題である、
ということなのだと思います。
*厳徳紋(オム ドンムン)先生
2012年天暦5月12日(陽暦7月1日)聖和。享年93。
真のお父様の日本留学時からの友人であり、後にお父様を人生の師として仰いだ。
世宗(セジョン)文化会館やロッテホテルなどを設計した韓国有数の建築家。
真の父母様は嚴徳紋先生の聖和の報告を聞かれると、「天心(チョンシム)親舊(チング)」の揮毫と花を贈られ、霊界入城の道を祝福された。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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