李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言
「神のみ旨を推し量ろう」から紹介します。
☆
環境の中の存在
私たちは、お互いに相対関係を維持しながら生きています。
一つの個体として特に意味をもつのではなく、
私たちの存在は四位基台をもって
生活することによって、意味があるのです。
いうならば、私たちは環境の中にある存在なのです。
相対関係において「義のある人」と言われるのは、
人々との関係に良い影響を及ぼす人です。
そのような人は、秀でるとか目立ったりしませんが、
相対的関係から見た場合、他の人に劣らないのです。
大体の人は、特別な事情がない限り、
このような関係が維持できます。
健康状態が良くないとか、病人で入院するなど、
自分の生活において他の人と同じ歩調で
前進できないのは、血統的な原因があるからです。
それは横的というよりも、縦的な原因による蕩減なのです。
☆
カイン・アベルは血統的原因
聖書には、アベルは神様から愛されたが、
カインは見捨てられたと記されています。
一般的に人々は、アベルとカインは
神様から等しく愛されるべきであると思います。
兄弟が差別なく、同じ立場で、
愛されなければならないと思うのです。
しかし、カインは神様の目から外され、
アベルは愛されたというのですから、
これほど不公平なことがあるでしょうか。
同じ環境にいながら、神様は羊をささげた
アベルの供え物を受け入れ、
穀物をささげたカインの供え物は
受け取られなかったということは、
カインの立場からは
どれほど不公平に見えたことでしょうか。
私たちもこれと同じように、
自分は頑張ろうと努力していても、
神様や周りから疎外されていると感じることがあります。
これは血統的なところに原因があります。
カイン、アベルは同じ母親から生まれたのだから、
神様も同じ立場で接するべきなのに、
一人を愛し、もう一人を憎んだとは
本当に理解し難いことではないでしょうか。
☆
カインの身の処し方
それでは、このように差別されたカインはどのように対処すべきだったのでしょうか。
神様から差別されても、憎まれる状況にあったとしても、
横的に不平を言わずに黙々と自分の環境を克服し、
責任を果たしたならば、ある期間を経て回復することができ、
神様の愛はカインに向かうことができたことでしょう。
カインは、「アベルはあんなに愛されて、
私はなぜこんなに憎まれなければならないのですか」
と抗議するのではなく、ただ我慢すべきだったのです。
アベルが神様から愛されたのは、アベルがかわいいからではありません。
ですから、カインは神様の心を推し量らなければならなかったのです。
そこで不平を言うと、条件に引っ掛かるのです。
すべてそうせざるを得ない理由があるのだろうと思いつつ、
これを喜んで受け入れ越えたならば、
カインは神様から義人として扱われたのです。
神様はそのような人を義人として扱わざるを得ません。
これが逆境にある人のもつべき心持ちなのです。
神様がカインを不公平に扱ったとしても、
カインは過ちを犯すべきではなかったのです。
神様は二人の兄弟を差別して愛しました。
平面的に見れば、神様が過ちを犯したとも思われます。
カインにとって、この扱いが神様の過ちであると思われたとしても、
カイン自らは、「私は絶対過ちを犯さない」と覚悟しなければならなかったのです。
近視眼的に見ると、神様が過ちを犯したように見えますが、
神様は何も過ちを犯しておられません。
このことが分からないので、世の中は乱れているのです。
カインとアベルの不平等は、血統的なところにその原因があるということを、
世の中の人々は知らないのです。
人々は、「すべての人間は一律に平等でなければならない」と言うのですが、
果たして人は一律に平等であることができるでしょうか。
(『統一世界』一九九〇年八月号より翻訳転載)
20.神のみ旨を推し量ろう
「環境の中の存在」
「カイン・アベルは血統的原因」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「環境の中の存在」
「カイン・アベルは血統的原因」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
神様は、アベルを愛し、カインを愛さなかった、
それには、事情があったのでした。
蕩減復帰の原則がそのようになっているわけですが、
しかし、カインは、愛されるべきでした。
すなわち、アベルを通して、神様の愛を受けるべき
立場にあったのでした。
神様から愛を受けていたアベルは、
その愛を独り占めするのではなく、
カインに分け与えないといけなかったのでした。
周藤先生がこんな説明をされています。
「アベルは神様からおまんじゅうをもらった。
でもそれはアベルのおまんじゅうではなく、
カインに渡すおまんじゅうだった。
本当はアベルは少しプラスして
おまんじゅうをカインにあげないといけなかった。
でもカインには渡さず、
自分のものだと思って
おまんじゅうを食べてしまった」
アベルとしての立場を全うすることも
重要であった、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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分けてあげないといけなかったのですか?
全部あげないといけなかったのですか?
難しいですね。