2023年01月12日

主との生活の始まり あの頃、釜山の小さな部屋で 《金元弼先生》




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金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「『原理原本』の執筆」です。


その後、私は米軍部隊で働くことになりました。

その間、先生は原理を執筆され、
私が帰ってくるとそれを私に渡してくださるので、
読んで差し上げると先生はじっと聞いておられました。

先生はよく山に行かれ、
暇さえあれば山から石を拾ってきて、
土を運び、家を造る準備をされました。


そのころ、私は米軍部隊で
いろいろなペイントの仕事をしていました。

ある日、私がいたずら半分に絵をかいていると、
先生が御覧になって、
「これからどんどん絵をかくように」
とおっしゃるので不思議に思っていました。

するとある時、同じ職場の人が私に、
絵をかいてみないかと言うのです。

その人は米軍の婦人とか女友達の写真(絵?)を
かいてあげていたのですが、
私にもその注文を取ってやる、というのです。

 
最初の仕事は黒人の写真でした。

私は黒人を見たことがなかったので、
どんな色を入れたらよいのか迷いながら、
とにかく四時間半かかってそれを仕上げました。

私はそれでお金をもらおうという考えはなく、
ただ悪口さえ言われなければと思っていたのですが、
意外にもその人は「良くかけた」と言って
お金をくれ、さらに注文を取ってくれました。

それで私は力を得、先生のお言葉どおりに
絵をかくようになったのです。
その後、食口の数が増えれば増えるほど、
注文も多くなっていきました。

 
私は毎日、五時に仕事を終え、
注文を受けて帰って来て、
それから絵をかき始めるので、
いつも終わるのは午前零時か一時ごろでした。

先生は私が帰る前に市場に行って
必要なものを買って、
絵をかく準備をしてくださいました。

そして、私がかき終わるまで
そばで見守っていてくださり、
そのあと私が休むと、先生はそれを
朝持って行けるように、
切って丸めて準備してくださるのでした。

そのうちに、先生も色を選んだり、
背景をかいてくださるようになり、
またしばらくすると、
私は顔だけかけば先生が服や髪の毛や
背景を塗ってくださるようになりました。

そうして、一日に十五枚、二十枚と
注文が来て、時には午前四時、五時まで
かかることもありました。


時々おばあさんの食口が訪ねて来て、
疲れるので横になろうとすると、
先生は「このように苦労しているのに
眠ってはならない。
眠りが来たら壁に寄りかかって寝なさい」
とおっしゃいました。

仕事をする人は仕事に酔うので
それほど疲れを感じませんが、
そばでただ見ている人は、
大変だったろうと思います。

そのような中で、先生は絶対に
私の前から離れないで見守っていてくださったので、
私は疲れても耐えることができました。

 
私は働いて得たお金は全部先生に差し上げました。

すると先生は、一か月間食べる米と燃料、
石油、そしておかずとして煮干しを
先に買っておかれました。

私は部隊で食事をしました。
先生は御自分で御飯を炊いて召し上がることが多く、
先生は女の人よりも上手に食事をつくられました。

先生は貧しい修道者たちに
米や服を買ってやったり、
またお金を与えたりして、
お金はすべてそのように使われるようでした。

ある日先生が、「あなたが持って来たお金を
全部使った」とすまなさそうにされ、
誰々に何を買ってやったとか、
何にいくら、本を買うのにいくらかかったと、
私に報告をされました。

先生がそのお金をどう使われようが、
いったんおささげしたものだから私には関係ないのに、
かえって私の気持ちを案じてくださる先生の姿に、
自分の足りなさを感じ、
もっと尽くさなければと心の底から思いました。

 
私の帰りが遅くなると、先生は
路地まで出て来て、待っていてくださいました。

また私が疲れて眠ってしまうと、
先生はよく泣き声の混ざった声で歌われたり、
祈ったりされました。

ある時には、まだ暗いのに私を起こして
山に登り、岩のある所で、先生が
「あなたはここで祈りなさい、
私はあそこで祈るから」と言われて、
一緒に祈ったこともありました。

 
ある日の早朝、先生は突然私を起こして
「早く明かりをつけなさい」とおっしゃいました。

私がランプをつけると先生は、
鉛筆と紙を用意させて「私の言うとおりに
書いておきなさい」と言われました。

私たちが何か文章を書く時は、
途中で考えたりしますが、先生は
初めから終わりまで休まず続けられました。

それは再臨論に関するもので、
『原理原本』はほとんど先生の筆跡ですが、
その部分だけは私の筆跡になっています。


先生は神のために愛して、
それでもなお不足を感じられる方です。

だから私たちも、いつも不足を感じながら
神と先生を愛し、またすべての人々に愛を与え、
また与えながらも自分の足りなさを感じている、
そうすることによって初めて、
天の誇りうる人となることが
できるということを信じます。

平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「『原理原本』の執筆」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


お父様に慕わしさを感じるとき、
お父様の若き日に、ともに歩まれた
金元弼先生の証しを読ませていただくと、
その時の情景が思いおこされ、胸が熱くなります。

お父様とともに、
お二人で生活された金元弼先生が
とても羨ましくなりますね。

以前、ある方から、教わったことがあります。

自分自身が御父母様とともに生活していた
お父様から愛されて育った・・・
そのように瞑想の中でイメージしていくと
本当に御父母様と親子の心情関係を結ぶことができる。

ですから、金元弼先生がその場におられたのではなく、
私がお父様とともに生活していたんだ。。。
そんな心情を持つことが重要だと感じます。

実際、2000年前におられたイエス様を慕うクリスチャンたちは、
一度もイエス様にお会いしたことがないにも関わらず、
かつては殉教を乗り越えてきたことがあったことを思えば、
イエス様を恋い慕う心情が強いのだと思うのです。

私たちはそれ以上に強烈に
真の父母様を慕っていかないといけないと感じます。




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posted by ten1ko2 at 08:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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