2023年02月03日

仕返しや反発はダメ 悔しいことが多い人が、神に出会う 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》




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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言、
「神を喜ばせる生活」の後半です。

恨の心情

「良い父母や良い師に巡り合うことが
できなかった。その自分の過去が悔しい」、
このような思いは一生胸に残ります。

そのような思いを韓国では「恨(ハン)」と言います。
恨を抱いている人は、のどの渇いている人と同じです。

貧しさに恨を抱いている人は、自力で家を建てます。
知識に恨を抱いている人は、負けん気になって勉強します。

恨を抱いている人は、どんな逆境に立っても、
貫いていくのです。

しかし、恨を抱いていない人、心配することがない人は、
神様が助けてあげることができません。

何かを失ってしまったり、失敗した時には、
それが恨として心に残らなければなりません。

韓国人は、悲しみが多いのです。
皆さんの血の中にも恨があります。
ただそれが自分では分からないだけです。


韓国人は歴史上、悔しいことを多く受けてきました。
ですから悔しい歴史、恨の多い歴史をもち、
涙が多いのです。

このような涙ぐましい民族の中に、
神様は一人の方を送られました。

この国が受けてきた悔しさを神様は、
御自身が受けてこられた悔しさに連結しようとされました。
それは有り難いことです。

私たちは悔しさを受けたけれども、
そのような神様の意図で、
この民族は救われるようになったのです。

 
イエス様はこの地上に来られて、
祭司長と民族に会おうとされましたが、
彼らが反対したために、
らい病患者、孤児、娼婦など、
悔しさの多い人たちと会われるようになりました。

その人たちは同じ民族の人からは見下されたり、
疎んじられましたが、イエス様によって救われたのです。

私たち韓国人もこれらの人々と同じです。
悔しいこと、涙ぐましいことを
たくさん受けてきたのです。

 
そして、摂理の恨を抱いてこられる
真の御父母様と会って、
正しい主従関係を結ぶようになりました。

私たちの中にも恨が血統的に流れているのです。

しかし、この恨を横的に濫用してはなりません。
恨は蓄えなければなりません。

腹が立っても、耐えきれないほどに悔しくても、
我慢して恨の原動力を豊かに蓄え、
それを抱いてじっとしていなければなりません。

そして、自分の目的に向かっていく
原動力としなければなりません。

それは、決して爆発させたり、反発したり、
相手にうっぷんを晴らしてはならないのです。

悔しい時、人間は大きな過ちを犯します。
恨のゆえに、悪の実を結ぶことも、
堪え忍んで善の実を結ぶこともあるのです。
それは私たちの責任です。

 
お父様は幼い時、学校や教会に行って、
言うに言えない悲しいことにたくさんぶつかったそうです。

そのたびに、「私が将来責任者となった時に
どうなるだろう」と思われながら、
恨の心情をたくさん蓄えてこられました。

お父様はそのような恨を爆発されずに、
あすのために蓄積してこられた方なのです。

恨をたくさん抱いている人は恐ろしいです。
私たちは恨を抱くことによって、
義人として称えられる路程を
開拓していかなければなりません。

そして極めて小さな葛藤や悲しみなども、
自分を発展させる原動力として蓄えなければなりません。

恨を蓄える方法

ところでどうすれば蓄えることができるのでしょうか。

神様や父母様のことを考え、比較したならば、
これは問題にならないほど易しいことです。

自ら一大決心をして、天に蓄えておけばいいのです。
神様のみ名を通して蓄えるのです。

悲しみや苦しみを横的に無駄使いしないで、
自分の一生の原動力として使えるように蓄えるのです。
そのようにして、蓄えられた恨のことを
「義」というのです。

義とは、恨を神様に連結させることです。

イエス様は十字架上で亡くなられた時、
悔しかったはずです。

しかし、イエス様は、十字架上で
亡くなられる直前まで、み旨を不信せず、
義の道を立てられ、恨を蓄えられたのです。

このような秘法を皆さんによく知ってほしいのです。

 
皆さんは、苦痛の中、あるいは人から
無視された中においても、神様のみ旨を中心として、
自分のすべての逆境を神様に連結させなければなりません。

これが信仰者の、しかるべき姿勢です。
苦しいといって不平不満を言うことは、
神様を無視する行為です。

「自分が受けている悔しさや苦しみのゆえに、
神様がどんなに悲しまれていることか」
という恨の心情をもたなければなりません。

そうすることによって、神様を喜ばせることができ、
自分の人生を成功へと導くことができるのです。

     
(『統一世界』一九九〇年九月号より翻訳転載)

21・神を喜ばせる生活
「恨の心情/恨を蓄える方法」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


韓国は「恨(ハン)」の文化だと言われています。
実現できなかった悔しい思いを持ちながら
それでも対象に怨みをもたない、
悔しい情を持ち続ける民族です。

それが神様の抱いてこられた心情であり、
真の父母様の心情に通じる、というのです。

「怨」というのは、仇を討つ、
復讐の思いが込められています。

韓国は「恨(ハン)」の文化といっても、
ドラマを見れば、ドロドロから
痛快ものまで、復讐系はとても多いようですから、
恨の思いを天に蓄えて、
神様に繋げていかなければ意味はないでしょう。

何か、願い通りにいかないことがあっても、
神様の心情を思いつつ、
「怨」でなく「恨」の心情を抱いて、
乗り越えていきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 08:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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