李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言、
「神を喜ばせる生活」の後半です。
☆
恨の心情
「良い父母や良い師に巡り合うことが
できなかった。その自分の過去が悔しい」、
このような思いは一生胸に残ります。
そのような思いを韓国では「恨(ハン)」と言います。
恨を抱いている人は、のどの渇いている人と同じです。
貧しさに恨を抱いている人は、自力で家を建てます。
知識に恨を抱いている人は、負けん気になって勉強します。
恨を抱いている人は、どんな逆境に立っても、
貫いていくのです。
しかし、恨を抱いていない人、心配することがない人は、
神様が助けてあげることができません。
何かを失ってしまったり、失敗した時には、
それが恨として心に残らなければなりません。
韓国人は、悲しみが多いのです。
皆さんの血の中にも恨があります。
ただそれが自分では分からないだけです。
☆
韓国人は歴史上、悔しいことを多く受けてきました。
ですから悔しい歴史、恨の多い歴史をもち、
涙が多いのです。
このような涙ぐましい民族の中に、
神様は一人の方を送られました。
この国が受けてきた悔しさを神様は、
御自身が受けてこられた悔しさに連結しようとされました。
それは有り難いことです。
私たちは悔しさを受けたけれども、
そのような神様の意図で、
この民族は救われるようになったのです。
☆
イエス様はこの地上に来られて、
祭司長と民族に会おうとされましたが、
彼らが反対したために、
らい病患者、孤児、娼婦など、
悔しさの多い人たちと会われるようになりました。
その人たちは同じ民族の人からは見下されたり、
疎んじられましたが、イエス様によって救われたのです。
私たち韓国人もこれらの人々と同じです。
悔しいこと、涙ぐましいことを
たくさん受けてきたのです。
☆
そして、摂理の恨を抱いてこられる
真の御父母様と会って、
正しい主従関係を結ぶようになりました。
私たちの中にも恨が血統的に流れているのです。
しかし、この恨を横的に濫用してはなりません。
恨は蓄えなければなりません。
腹が立っても、耐えきれないほどに悔しくても、
我慢して恨の原動力を豊かに蓄え、
それを抱いてじっとしていなければなりません。
そして、自分の目的に向かっていく
原動力としなければなりません。
それは、決して爆発させたり、反発したり、
相手にうっぷんを晴らしてはならないのです。
悔しい時、人間は大きな過ちを犯します。
恨のゆえに、悪の実を結ぶことも、
堪え忍んで善の実を結ぶこともあるのです。
それは私たちの責任です。
☆
お父様は幼い時、学校や教会に行って、
言うに言えない悲しいことにたくさんぶつかったそうです。
そのたびに、「私が将来責任者となった時に
どうなるだろう」と思われながら、
恨の心情をたくさん蓄えてこられました。
お父様はそのような恨を爆発されずに、
あすのために蓄積してこられた方なのです。
恨をたくさん抱いている人は恐ろしいです。
私たちは恨を抱くことによって、
義人として称えられる路程を
開拓していかなければなりません。
そして極めて小さな葛藤や悲しみなども、
自分を発展させる原動力として蓄えなければなりません。
☆
恨を蓄える方法
ところでどうすれば蓄えることができるのでしょうか。
神様や父母様のことを考え、比較したならば、
これは問題にならないほど易しいことです。
自ら一大決心をして、天に蓄えておけばいいのです。
神様のみ名を通して蓄えるのです。
悲しみや苦しみを横的に無駄使いしないで、
自分の一生の原動力として使えるように蓄えるのです。
そのようにして、蓄えられた恨のことを
「義」というのです。
義とは、恨を神様に連結させることです。
イエス様は十字架上で亡くなられた時、
悔しかったはずです。
しかし、イエス様は、十字架上で
亡くなられる直前まで、み旨を不信せず、
義の道を立てられ、恨を蓄えられたのです。
このような秘法を皆さんによく知ってほしいのです。
☆
皆さんは、苦痛の中、あるいは人から
無視された中においても、神様のみ旨を中心として、
自分のすべての逆境を神様に連結させなければなりません。
これが信仰者の、しかるべき姿勢です。
苦しいといって不平不満を言うことは、
神様を無視する行為です。
「自分が受けている悔しさや苦しみのゆえに、
神様がどんなに悲しまれていることか」
という恨の心情をもたなければなりません。
そうすることによって、神様を喜ばせることができ、
自分の人生を成功へと導くことができるのです。
(『統一世界』一九九〇年九月号より翻訳転載)
21・神を喜ばせる生活
「恨の心情/恨を蓄える方法」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
21・神を喜ばせる生活
「恨の心情/恨を蓄える方法」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
韓国は「恨(ハン)」の文化だと言われています。
実現できなかった悔しい思いを持ちながら
それでも対象に怨みをもたない、
悔しい情を持ち続ける民族です。
それが神様の抱いてこられた心情であり、
真の父母様の心情に通じる、というのです。
「怨」というのは、仇を討つ、
復讐の思いが込められています。
韓国は「恨(ハン)」の文化といっても、
ドラマを見れば、ドロドロから
痛快ものまで、復讐系はとても多いようですから、
恨の思いを天に蓄えて、
神様に繋げていかなければ意味はないでしょう。
何か、願い通りにいかないことがあっても、
神様の心情を思いつつ、
「怨」でなく「恨」の心情を抱いて、
乗り越えていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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