2023年02月06日

集会最前列で、アボジが私の目の前に・・・しかし 《TPとの小さな出会い*石尾局長》




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石尾局長の証し。
今回は、「小さな願いにも
応えてくださる真の父母様」です。


6500家庭の祝福 (1988年10月) の後、
真の父母様は6500家庭の集会をよく開いてくださいました。

その頃、私は、主に韓国・ソウルの城東(ソンドン)教会と
江東(カンドン)教会で、 私の相対者は
新村(シンチョン)教会で任地生活を送っていました。

城東教会で活動をしていたとき、
真の父母様が龍仁(ヨンイン 京畿道キョンギド)の
メッコール工場で集会を開いてくださることになりました。

私は新村教会に電話をかけ
(今のような携帯電話がなかった時代でした)、
相対者と、一緒に参加する約束をしました。

当時、私は、このような集会があれば、
「できるだけ前の方に座りたい」と思っていました。
少しでも真の父母様のお近くに行きたかったのです。

集会当日、私は、誰よりも早くメッコール工場に到着しました。
そして、正門の前で相対者の到着を待ちました。
その後、6500双の食口たちが次から次へと到着しました。

皆、正門の前に立っている私に、
「おはようございます」と声をかけて通り過ぎ、
集会場へと入っていきました。

最後に、私の相対者が到着しました。
ふたりで工場の最上階にある集会場に入ろうとしましたが、
すでに立錐の余地もなく、入り口が閉められていました。

そして、遅れて到着したメンバーは、
会場の1階下にある小さな部屋へと誘導されたのです。

私たちは、その小さな部屋で、スピーカーから流れてくる
真の父母様のみ言を聞き続ける
「音声のみの集会」に参加することになりました。


ところが、真の父母様が
メイン会場のステージ側に行くために、
私たちがいた部屋の横を通り過ぎようとされたとき、
私たちが真のお父様の目に入ったようでした。

驚いたことに、お父様は部屋に入ってこられ、
み言を語り始められたのです。
長時間が経過しても
み言が終わる気配はありませんでした。

ついには、マイクが持ち込まれ、
その小さな部屋での音声を上のメイン会場に
スピーカーで流すことになったのです。

いつまでたっても真のお父様のみ言が
終わらないので、ついに真のお母様が
お父様を呼びに部屋に入ってこられました。
お母様を見て、部屋の中にいた食口たちは
大歓声を上げました。

そのとき、真のお父様がニコニコしながら、
「それは、みんな、先生に失礼じゃないの!?」
と言われ、部屋中が笑いに包まれました。

そして、お父様はお母様と共に
メイン会場へと行かれたのです。


また、江東教会で活動していた頃、
「明日、世界日報本社の講堂で
真の父母様の集会があるから、
6500双のメンバーは集まりなさい」
と連絡がありました。

私は「いちばん前で真の父母様に
お会いしたい」と強く思いました。

その夜、私は礼拝堂で大声で必死に祈っていたので、
江東教会で一緒に歩むメンバー全員が
「彼はいちばん前に行こうとしている」
と知っていました。

翌朝、 私は早朝の活動を猛スピードで終え、
全速力で世界日報本社へ行きました。
本社前のお店で眠気覚まし用に巨大なあめ
「ヌナルサタン (直訳:目ん玉あめ)」を
買うことも忘れませんでした。

早朝の活動後だったので、
真の父母様のみ言中に
寝てしまう恐れがあったからです。


会場に来てみると、すでに、
前方3分の1は埋まっていました。
しかたなく、私は彼らの後ろに座りました。

そのとき、スタッフの一人が出てきて、
「会場整理をします。
全員、一度、会場の外に出てください」
とアナウンスしました。

私は何も考えずに歩いて、そこから出て、
ドアの横に立ちました。
すると、先に来て私の前に座っていた
メンバーたちが次から次へと、
その出入り口から出てきて、
私の後ろに一列に並び始めたのです。

すぐに、私を先頭に長い列ができ上がりました。
しばらくして、会場整理が終わり、
私はアナウンスされるまま無意識に再入場しましたが、
私が1番に入り、最前列の真ん中に座ることになりました。


皆、新たな場所に座って、集会が始まるのを待ちました。
やがて、講堂は満杯になり、
真の父母様を中心とした集会が始まりました。

当時の真のお父様のみ言はエンドレスでした。
長時間が過ぎた後、私は後ろを振り返りました。

すると、2列目以降のメンバーたちは、
ほとんどが寝ていました。
皆、早朝に活動してきたので、
眠くなるのは当然でした。

「このままでは、私も寝てしまう。
メシヤの目の前で寝るのは、申し訳ない」
と考えた私は、
眠気覚ましに準備したヌナルサタンを
口にするタイミングを狙っていました。

そのとき、真のお父様が
ステージの端の方に歩いていかれ、
壁際の食口たちに話し始められました。

私は、「今だ」と思ってポケットの
あめを取り出し、口に入れました。


「これで、もう、寝ることはない」
と安心したその瞬間、真のお父様が
私を目掛けて足早に歩いてこられたのです。

お父様は、私のすぐ前で両手両足を広げながら
中腰になられ、私の目を見ながら、
「今、先生が話していたことを言ってみろ」
と言われました。

私は、頭が真っ白になりました。
ヌナルサタンは飲み込むには大きすぎ、
一瞬でかみ砕くことはできない硬いあめでした。

私は「まさか、メシヤと会話をするときに、
あめをなめていたとは失礼すぎる。
末代までの汚点になってしまう」
と思いました。

しばらく、口を開くことができないまま
時間が過ぎました。

真のお父様は、いくら待っても、
私が口を開けずに黙っているので、
立ち上がり、 顔を上げて
全体に向かってみ言を再開されました。

私は真の父母様との会話ができる
絶好の機会を失ってしまいましたが、
当初の願いであった
「いちばん前で真の父母様に会いたい」
との祈りはかなえられたのでした。

幼すぎて、孝情という言葉も知らず、
ただ真の父母様を慕い、
必死に歩んでいた20代の思い出です。

今、地上には、真のお母様がおられます。
もし、会話の機会が与えられれば、
孝情をもって歩んだ報告ができるよう、
日々の聖業に死力を尽くして歩みます。

真の父母様との 小さな出会い10
小さな願いにも応えてくださる真の父母様
世界家庭より


石尾局長には失礼かもしれませんが、
とても面白い証しでした。

石尾局長がまだお若いころの話ですが、
もし私もそこにいたら、同じような
考えをもったかもしれないな、なんて思います。

お父様の目は後ろについているのでしょうか。
もしかしたら霊的にあめ玉を口に入れたことに
きづかれたのかもしれませんが、
きっと純粋にお父様を求めていること、
いつも精誠をこめて歩んでいることも
わかったことでしょう。

それにしても、真のお父様と直接因縁を持たれた、
というのは本当にうらやましいです。

私たちも今、お母様が地上におられるこの時、
しかも、困難なこの時だからこそ、
み旨を歩んでいることに
感謝していきたいと思うのです。




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